第九話「夕飯」
フランベルク卿の案内で、シエルは門をくぐった。
先ほどまでは気づかなかったが、よく見ると庭は少し荒れていた。木や草は伸びすぎており、シエルの目には剪定が行われていないように見えた。もっとも手入れがされていないのは精々数か月程度だろうが。
やがて赤毛の青年は玄関の扉まで来て、そこを素通りして左に曲がった。
(え?)
館はコの字型をしていた。西の棟の横を通ってその中心、中庭にフランベルク卿は向かう。そこには一人用の小さなテントが張られていた。
「あの、これは?」
困惑した様子でシエルが問う。
「すぐに座る場所を作りますから、ちょっとまってくださいね」
そう言ってフランベルク卿は倒木の上に積もっていた雪を払うと、テントから取り出した毛皮を敷いた。恭しく礼をする。どうやらここに座れということらしい。恐る恐るシエルが腰を下ろす。何の毛皮だろうか?予想以上にふかふかで、座り心地はよかった。
青年はシエルが座ったのを確認すると火を起こし始めた。転がっていた薪を組み立てて焚火を作る。火打石を打つ音が聞こえてくる。その手際はこういった事に慣れているように感じたが、何故館の中ではなく中庭なのだろうか?
(やはり私はまだ信頼されていないのでしょうか?)
『間違いがあっては困りますし』
先ほどの言葉が思い出される。
フランベルク卿の言葉に悪意があったわけではないことはシエルにも、もう分かっていた。自分が思い込みで彼を責めてしまったことも。それだけに負い目があった。疑問を口に出すことができず、青年の「夕飯の準備」を見ていることしかできない。やがて魚が木串に刺されて丸焼きにされていく。ぱちぱちと、薪が爆ぜる音が聞こえた。
(内臓を抜かなくていいのでしょうか。それに下味も。味付けはお塩を振っているだけみたいですし)
テオに料理を教えられたシエルからすると、その様子はあまりにも大雑把だった。
「ん。そろそろいいかな。」
フランベルク卿が魚の刺さった木串を一本火から外す。焼き加減を軽く確かめると、なんとそのままかぶりついた。シエルが目を丸くする。卿はうんうんと頷くと、別の木串を火から外した。そのままシエルに差し出す。
「この時期は、魚も脂を蓄えてるから結構美味いんですよ。どうぞ。」
受け取ってはみたが、シエルは固まってしまった。どうしたらいいんだろう。フランベルク卿が何かを期待するようにこちらを見ている。このまま食べないわけにはいかないだろう。シエルは思い切って、魚にかぶりついた。
「熱っ。」
口の中いっぱいに魚の脂と身が広がる。
「あ、すみません。熱いので気をつけて」
もっと早く言って欲しかった。そう思ったがそれ以上に、魚がもたらした味は衝撃的だった。
「……美味しい。」
口が綻ぶ。しっかりと焼かれた魚は柔らかく、骨も気にならなかった。脂が乗った身は旨味たっぷりで、懸念していた内臓も、臭みがまったくなくほろ苦さが逆に癖になるほどだ。テオの洗練された料理とは違う。だけど、間違いなくこの魚かは美味しかった。朝食以来の食事ということもあって夢中で食べていると、青年がそれをにこにこと見つめていた。
「ご、ごめんなさい。私ったらはしたなくって。」
羞恥に顔が赤くなる。
「いえ、そんなに美味しそうに食べてもらえるのなら、俺も嬉しいですよ」
そういって笑う様子は少年のようだ。魚の美味しさとその笑顔に、シエルの心がほぐれる。口も軽くなった。
「でも、納得しました。なんで中庭に案内されたんだろう?って思っていたんですが、これを食べさせてくださるためだったんですね。」
「え?」
「え?」
シエルの合点がいったとばかりの言葉に、フランベルク卿から驚いたかのような声が返ってくる。
やがて、青年が頭をかきながら言った。
「いや、実は俺。こういう料理しかできなくってですね。」
「はい?」
「あ、勘違いしないでくださいね。羊の肉とか、魚以外も焼けますよ?こういう料理しかってのは焚火での調理しかやったことがないって意味で。」
「あの、厨房は。」
「もちろん、あります。ただ……使い方が分からなくって。」
頭がくらくらした。リリーは変わっている、と言っていたが、たしかに普通ではない。いや、案外貴族の男性なんてこんなものなのかもしれないが。アルマンが厨房に立つ姿は、シエルも想像ができなかった。
「今までは、どうされていたんですか?」
「爺や。いえ、家令がいたんですが、二か月前に老齢で亡くなりまして……」
二か月前。なるほど、庭の荒れ具合とも一致する。
「なので、すみません。これ以上は貴女をもてなすことはできません。東棟に客間がありますので、今夜はそちらでお休み頂けると。」
シエルは考えた。仕事を探さないといけないのは勿論だが、それ以上にこの人をこのまま放っておいていいのだろうか。焚火での調理だけだと栄養も偏るであろうし、何よりこれから本格的な冬が来る。いつまでも中庭での食事は難しいはずだ。
「あの、フランベルク卿。」
「なんでしょうか?」
「やはり、私を雇って頂くわけにはいかないでしょうか?前のお屋敷では台所女中をしておりましたので料理には自信があります。掃除や洗濯だけでなく、庭のお手入れもできます。この館には人手が必要です。」
シエルの申し出にフランベルク卿の瞳が少しだけ揺れた。彼も使用人の必要性は感じているのだろう。当然だ。そうでなければ求人を出したりはしないはずだ。
「有難い申し出ですが、少しだけ考えさせてください。」
拒絶が、検討に変わった。
これは大きな前進だろう。シエルは大きく頷くと、食事の続きを頂くことにした。




