第六話「キャラバン」
出発は一週間後だった。
路銀を少しでも貯めるために宿の皿洗いを申し出たところ喜んで受け入れられた。カナールを出ていくと決めた途端仕事が見つかったのは皮肉なことだが、もちろん生活できるほどの収入ではない。それでも、保存の利く食料や古着を買い足すことができた。
出発の朝。待ち合わせのエルヌ川のほとりに行くと、数艘の船の前に人だかりができていた。全部で40人くらいだろうか。馬や馬車も並んでいるので、実際より大人数に見えた。確かにこれだけ集まっていれば魔物もそうそう寄って来ないだろう。腰に剣を下げている人もいた。初めての経験に、少しだけ胸がわくわくする。
(さて、まずはどうするべきなのでしょう)
シエルが思案していると人混みをかき分けて一人の男が近寄ってきた。歳の頃は四十くらいだろうか?中肉中背で、人懐っこそうな笑みを浮かべている。
「失礼ですが、シエルさんですか?」
「あ、はい。そうですが」
初めて見る顔だ。いったいどなただろう?
「よかったぁ。黒髪の女性と聞いていたので、たぶんそうだと思ったのですが、何せこの人混みでしょう?ああ、自己紹介が遅れました。私、マルティーニ商会のマルコと申します。今回のキャラバンを任されております。」
丁寧な挨拶に、これはどうも、とシエルも頭を下げる。
「まずはこちらを。」
そう言ってマルコから小さな木箱が渡された。開けてみて、思わず声が漏れた。布に包まれたシエルの眼鏡が入っていた。綺麗に修理されている。カナールには昔からガラス職人が多く、眼鏡を作る技術も発達している。だが、こんなに短期間での修理となると、随分銀貨がかかったであろう。
シエルが思わず代金は、と口に出そうとしたが、マルコが手でそれを制した。
「リコさんから、シエルさんが何を言っても代金を受け取らないようにと言われております。旅客の費用についてもです。ただ、他の同行者の方の目もありますので、野営と食事の準備だけはご協力ください。料理の経験はございますか?」
「元々、台所女中でしたので大丈夫です。」
旅装のため今はメイド服ではないが、料理には自信があった。
それにしても、完全にリコに思考が読まれている。
「それは心強い。それではこれを。」
マルコは腰の袋から木札を取り出すと、そこに「一組 シエル」と、書いた。
「これは?」
「旅券のような物です。この旅の間は無くさないように身につけておいてください。旅の間は、5、6人ずつの組になって行動します。シエルさんは私と同じ一組となります。」
「よろしいですか?」というマルコに「はい」と頷き、木札を受け取ると、マルコはまた忙しそうに人だかりに戻っていった。
(いよいよカナールを出るんですね)
後ろを振り返ると、湖畔で朝日に照らされる王都カナールが見えた。
ラフォンテーヌの屋敷に生まれて、シエルはこの街から一度も外に出たことがない。脳裏に様々な思い出が浮かんだ。ラフォンテーヌのお屋敷。厳格な旦那様と奥様。10歳になったばかりのエミール坊ちゃん。元気なリネットに仏頂面のテオ。二人は上手くやっているだろうか。
あの屋敷での生活だけが、今までのシエルの世界のすべてだった。だが、それも変わる。
「いってまいります」
シエルは街に向かって深くお辞儀をした。
いつか、帰って来よう。そう思った。
その時は、胸を張れるようになっていたい。
◇
3日が経った。旅は順調だった。あと3日でベルンシュタインだというから、ちょうど旅程の半分を進んだことになる。ちなみに通常の泥炭船では8日の道のりだというから、これはかなり早いそうだ。
そんなことを教えてくれたのは、同じ組になったリリーだった。小柄でくるくるとよく動く彼女はリネットを彷彿とさせた。彼女もメイドで、主人のクロードのお供でキャラバンに参加している。クロードは二十代後半くらいの好青年で、ベルンシュタインの役人だ。
同じメイドと言うこともあって、リリーとはすぐに打ち解けた。食事の準備は二人の仕事だ。野営の準備をする男性陣のためにシチューを作る。
「ねえ、シエル。味付けはこれでいいかしら?」
スプーンで軽くすくって味をみる。
「今日は荷運びで少し汗をかきましたから、もう少しだけ、お塩を入れましょうか。」
「分かったわ。食べる人の体調によっても味付けを変えるのね。勉強になるわ。」
肩で切り揃えた綺麗な黒髪をかき上げながら、リリーはメモを取った。彼女は読み書きができる。やはり役人に仕えていると、こういった能力も求められるのだろうか。ベルンシュタインには役人が多いというから、シエルも雇ってもらえるかもしれない。
◇
「食事ができましたよー!」
野営の準備が終わり焚き火を囲んでいる男性陣に、リリーが呼びかけた。
「これは美味そうじゃ。」
そう言って顔を綻ばせたのは酒職人のグスタフだ。彼はベルンシュタインで琥珀酒を作っていて、今回は泥炭を仕入れた帰りだという。琥珀酒の原料である麦は泥炭の煙で乾かすと、独特の香りがつく。
「いやぁ、女の子が二人もいる組に入れるなんてラッキーだったねぇ。飯も美味ければ、目の保養にもなる。」
護衛のジャンがそう言って二人に片目を瞑った。明らかに慣れていないであろうその仕草が面白くて、思わず笑みが溢れる。
「お、うけた。」
「ジャン殿。うちのメイドを口説かないで頂けますか?」
クロードが眼鏡をくいっと上げて咎めるように言った。
「シエルちゃんの方はいいの?」
「そちらは私に止める権利はありませんので。」
「別にあたしは気にしないんだけどなー。」
「リリー。」
「はーい。」
二人のやりとりに皆が一斉に笑う。みんな気持ちのいい人たちだ。旅に出てよかった。ここにはシエルを悪く言う人間はいない。シチューを配り終わると、シエルもリリーの隣に座った。リリーがこれ美味しいよとばかりに笑いかけてきた。スプーンを口に運ぶ。うん、美味しい。
しばしの時間、スプーンを動かす音だけがその場に響いた。
◇
「それにしてもさ、眼鏡にメイドまで連れているだなんて、あんた、どこかいい所の坊ちゃんかい?」
食後にそう言ったのは真っ先に食べ終わったジャンだ。問われたクロードは眼鏡を丁寧に布で拭いていた。眼鏡は高級品だ。シエルもかけてはいるが、それはラフォンテーヌ家という上級貴族に仕えていたからだ。役人がかけているのはたしかに珍しい。
「こう見えても南部の貴族の長男なんですよ。もっともこの髪ですからね。家督は弟に譲りましたが。」
「そりゃあ。」
まずいことを聞いた、とジャンがバツの悪い顔をする。クロードの髪は栗色だった。貴族の証である金髪ではない。金髪でないと家督が継げないということはないが、他の家から軽んじられるのも確かだった。
「別に気にしないでください。私は今の生活が気に入ってますから。」
何でもないことのように、クロードが言う。こういうやりとりには慣れているのだろう。
「そんなことより!」
リリーが大きな声をあげた。
「シエルは、何しに北に行くの?」
興味津々な様子だ。
「リリー。あまり他の方の詮索をするものでは……」
「仕事を、探しに。」
クロードの言葉を遮ってシエルが答えた。
「へー。シエルもメイドなんだよね。」
「はい。理由があって以前のお屋敷に居られなくなりましたので、北でお仕事が見つかればと。」
シエルの返事に、今度はリリーがバツが悪い顔をした。クロードが「だから言ったのです」と小声で呟く。
「ごめん。言いにくいことを訊いて。」
「大丈夫ですよ。それに、自分で決めたことですから。」
少しだけ、クロードの言い回しを真似させてもらった。ここには、お手本になる人がたくさんいる。少しでも、自分も胸を張れる人間にならないといけない。
「さて、ジャンさん。今夜の見張りは貴方ですからね。そろそろ、頼みますよ。」
マルコがそう言って手を叩いた。ジャンが任せとけと胸を叩く。
「おうよ。どんな魔物が出ても俺様が一刀両断にしてやるさ。」
「初日に一角兎相手に、苦戦しておったがの。」
「旦那ぁっ、今それを言う?」
グスタフの突っ込みにジャンが情けない声を上げた。なんだかんだで二人は仲がいい。
「まぁ、一角兎も油断できる魔物ではありませんからね。」
クロードが生真面目にそう言った。
実際、アルミラージの突進は当たりどころが悪ければ命を落とすという。角が薬になるため比較的よく知られた魔物だが、その脅威を初めて身近に感じ、シエルは少しだけ身体を硬くした。そんなシエルに気づいたのか、リリーがそっと手を握ってくれる。
「大丈夫よ。そのためのキャラバンなんだもん。ジャンさんがヘマしても、他の護衛の皆さんが助けてくれるわ。」
「リリーちゃん!?」
皆がどっと笑った。
その温かさに、シエルも久しぶりに声を出して笑った。
笑うことができた。




