第四話「髪染め」
早朝。
まだ暗い宿屋の一室で、シエルはお湯を借りていた。
たらいの湯で身体を拭くと、ゆっくりと髪の染料を落としていく。薬液で洗い、湯で流す度に、髪が本来の輝きを取り戻していく。漆黒の髪の隙間から覗くのは太陽を思わせる、黄金の色。
たらいの湯がすべて黒く染まる頃には、シエルの髪は本来の金髪に戻っていた。
ここソレイユ王国では、金髪は貴族の血を示すものだと言われている。
太陽王ソレイユは名もなき赤毛の戦士と協力して魔物を打ち払い、カナールの湖畔に国を建てた。ソレイユ王の髪は金髪で、助けられた原住民に金髪は存在しなかったとされる。だからこそ、貴族たちは庶民の血が混じることを嫌った。生まれた子が金髪でなければ、貴族としての威信を失うからだ。例外的に赤毛だけは、英雄の一族として敬われた。
だが、建国神話は何百年も前の話だ。貴族たちがいかに嫌おうとも血は混じり合う。
シエルのように、庶民でありながら金髪を持つ者も今では珍しくはなかった。
昔は、自分はどこかのお姫様で、いつか素敵な騎士様が迎えに来てくれる。そう夢想していた頃もあった。だが、10歳になった時に、母親から髪を黒く染めるように命じられた。
「その髪は使用人に相応しくない」それが理由だ。
今考えると、あの時のイリスはずいぶんと辛い立場に置かれていたのだろう。シエルはアルマンの子ではないか。状況を考えればそう噂する者がいてもおかしくない。実際エレーヌとイリスは、最初は仲が良くなかったという。だがイリスはシエルに徹底的に使用人の子であることを求めた。アルマンも決して贔屓はせず、厳格にイリスとシエルに接していた。
結局、イリスはどこかの貴族のお手つきになったメイドで、旦那様が不憫に思って助けた。ラフォンテーヌ家ではそう思われるようになった。イリスは決してシエルの父親の名前を言わなかったが、シエルもそれが真実だろうと考えていた。シエルのような使用人が髪を染めるのも普通のことだ。幸い髪染めは、北のベルンシュタインで安価に生産されている。
鏡に映った金髪を丁寧に布で拭いていく。髪染めは水にあまり強くない。一度染めてしまえば少し濡れたくらいでは落ちないが、濡れている髪は染料を弾いてしまう。
十分に乾いたのを確認して、丁寧に黒に染め直していく。普段は色が落ちたところを染め直すだけだったが、今日は気分を入れ替えたかった。髪が黒く染まるたびに、気が引き締まっていく。再びすべての髪が黒い光沢を帯びる頃には、いつものシエルに戻っていた。
仕上げのように眼鏡をかける。
さぁ今日から、仕事を探さねば。
◇
「悪いけど、今はメイドの募集はしてないねぇ」
この言葉を聞くのは何度目だろう。消沈する気持ちをこらえて丁寧に挨拶をすると、シエルはその屋敷を辞した。仕事探しをはじめて既に一週間が経過していた。しかし、結果は芳しくなかった。
王都カナールは夏場は避暑目当ての観光客や王侯会議の貴族達で賑わうが、冬支度に入るこの季節は仕事が少ない。頼りにしていたメイドとしての経験も、募集がなければ意味がない。
「やはり、私はこんなものだったのでしょうか。」
思わず弱音がこぼれる。
ラフォンテーヌ家では厨房を主な持ち場としていたが、人の頼みを断れない性格もあって、シエルはメイドとしての技術を一通り身につけていた。料理だけではなく読み書きや算術もできるし、礼儀作法もエレーヌに教わった。老庭師からは孫のように可愛がられていたこともあって、庭いじりはシエルの数少ない趣味だ。
それでも採用はされない。
屋敷によってはシエルの風貌を見ただけで、追い返されることさえあった。身だしなみには気をつけていたが、何か見落としていた所があっただろうか。毎朝宿屋の小さな鏡で自分を観察するが、理由が分からない。だがその理由は、ある商館で判明した。
そこは泥炭の切り出しを商売とする、荒くれ者が集まる商館だった。
王都カナールの西には、ネーベル湿原と呼ばれる巨大な湿原が広がる。ここでは泥炭が採れ、冬越しの燃料として北に売られていた。ちょうど今は泥炭の輸送が始まる時期だ。ここで下働きを募集していると聞きつけ、シエルは初めてこの商館に足を踏み入れた。 用件を伝えると、受付の男が値踏みするようにシエルに言った。
「黒髪に眼鏡、メイド服。あんたか、お貴族様を誘惑したってメイドってのは。」
その言葉に胸がどきりとした。
なんで?疑問が思考を止める。
「悪いがあんたを雇おうなんて人間はこのカナールにはいないと思うぜ。噂は街中に広がっている。もっとも欲求不満だって言うなら、俺が相手してやってもいいけどな。」
下卑た笑いを浴びせられる。そのいやらしい視線に、顔がかっと熱くなった。
そのまま身を翻して、商館を飛び出る。
(噂が広まっている?)
どうして気づかなかったのだろう。
モンフォール家は大貴族だ。貴族の動向はカナールの庶民にとって格好の娯楽だ。実際、ラフォンテーヌ家に仕えていた頃は、馴染みの食材店でいろいろな噂話を聞かされていた。それが自分の立場になった時、なぜ秘密にされると思ったのだろう。
羞恥と怒りに顔をあげることができない。誰かに笑われているような気がして、シエルは前も見ずに通りを走った。帰らなければ、でも、どこに?
「危ないっ!」
聞き覚えのある声に顔をあげると、目の前に辻馬車が迫っていた。
避ける時間は、もうない。
その瞬間シエルは、誰かに思いきり突き飛ばされた 。




