第二十一話「冬支度」
午後からはルシアンとクロードに合流した。
泥炭の買い付けは上手くいったようで、これからは食料を見るそうだ。
「それではいきましょうか、クロード様、ルシアン様。」
そう言ったのはメイド服に身を包んだリリーだ。髪を染めるのは間に合わなかったようで、頭には白いメイド帽を被って金髪を隠している。クロードは慣れたもので軽く頷くだけだったが、「リリー」に初めて会うルシアンの顔は引き攣っていた。
「あの、アンジェリーク様?」
「リリーです。」
反論は許さないとばかりににっこりと笑うリリー。
「ルシアン。リリーは私のメイドです。今はそう振る舞って下さい。」
クロードの言葉でもまだ納得できないのか、ルシアンがシエルを見た。シエルが黙って頷くと、ルシアンはようやく観念したのか、わかりました、と言った。
◇
4人での買い物は、思ったより順調で、そして楽しいものだった。
最初に回ったのは衣料品の店だった。シエルがメイド服の他はいくつかの古着しか持っていないことを知ったリリーが、ルシアンに服を買うべきだと強く主張したのだ。シエルは「私などにそんな」と断ろうとしたが、結局押し切られてしまった。たしかに北の冬越しは初めてだ。防寒の必要性は感じていたが……。
「あの、いいのでしょうか?こんなに。」
想像以上の量の服を買ってもらってしまった。クロードが言うには、ケラトスの角の代金で十分賄えますよ、とのことだが、使用人の範疇を超えている気がする。それにリリーに何着も試着を指示されてくたくたになってしまった。ルシアンはルシアンで、リリーに服の感想を毎回求められて困らされていた。
「ルシアン様?毎回よく似合うでは参考になりません。」「いや、だって他に言いようが……」「つまり、シエルの服に興味がないとのことですか?」「そういうわけでは!」
まだアンジェリークである「リリー」にルシアンは慣れていなかった。口答えもできずに、必死で言葉を絞り出していた。
「ふふっ」
その時のことを思い出して、笑みが零れた。
「どうしました、シエル?」
「いえ、何でもないです。」
不思議そうな顔をしているルシアンを見て、シエルは本当によい主人に出会えたなと感謝した。
◇
服を買ったあとは、ルシアンの提案で、保存が効く贅沢品や嗜好品を中心に街を見て回った。フランベルクにはなかなか出回らない塩漬け肉を買い込む。燻製もいろいろな種類があった。特にチーズの燻製には驚かされた。乳を原料とした食品は日持ちしない。そう思い込んでいたが、こんなやり方があったなんて。
「泥炭の普及で燻製作りが最近広まってるんです。なんでも、酒造りの職人が麦芽の乾燥ついでにはじめたとか。」
クロードが解説してくれる。本当に彼は博識だった。どうやってそんなに幅広い知識を身に着けているのだろう
「食べる前に暖炉であぶると、そいつは極上じゃぞ。」
不意に、そんな声が後ろから聴こえてきた。
驚いて振り返るとそこには髭面の見覚えのある男が立っていた。
「グスタフさん。お久しぶりです。」
シエルは丁寧に頭を下げた。そこにいたのはキャラバンで出会った酒職人、グスタフだった。
「やあ、嬢ちゃん、あんた結局クロードに雇われたのか?」
「違いますよ。二人も雇えるほど私は裕福ではない。」
クロードはとんでもないといった感じで否定した。それにリリーの声が重なる。
「そうですよ。クロード様のメイドは私一人ですから、」
出会った頃なら聞き流していたような台詞だが、二人の関係を知ってしまった今では、深い台詞に聴こえる。クロードが咳祓いをしていた。
「グスタフ様。こちらの方が私の新しい主人です。ルシアン様、こちらは酒職人のグスタフ様です。キャラバンでお世話になりまして。」
何も世話などしとらんがの、とグスタフが笑う。そんなグスタフにルシアンが頭を下げた。
「どうも、初めまして。ルシアン・フランベルクです。」
がたん
グスタフが手に持っていた小樽を落とした。目を見開いてルシアンを見ている。
「フランベルクじゃと?」
「はい」
「漆黒騎士団のか?」
「はい」
「ジルベルト様の息子の?」
なんでそんなことを聞くのだろうといった感じで、ルシアンが答えた。
「はい、ジルベルトは俺の父ですが。」
グスタフがその場に跪いた。ルシアンは何が起きたのかが分からず、クロードとシエルを交互に見る。だが、シエルも状況が分からなかった。答えようがない。
「ジルベルト様のご子息とは知らずに、失礼なことをしました。」
「いえ、俺は何も。」
「ジルベルト様は、ワシの。いえ、このベルンシュタインの民の救世主です。あの方が大侵攻の年の税を無税にしてくれなければ、どれだけの人間が冬を越せなかったか……」
そういってグスタフが頭を下げた。
「それなのに、我々はジルベルト様と貴方を守れずにこの街から追いやってしまった。本当に詫びても詫びきれません。」
嗚咽が聞こえてきそうな声だった。そこには深い感謝と悔恨が感じられた。
しばらく呆気に取られていた一同だったが、ルシアンがゆっくりとグスタフに近寄った。
「顔をあげてください。親父はこの街を追われたことを別に恨んでなかったですよ。」
グスタフが顔をあげた。
「やっとこれでフランベルクに帰れる。そんな感じでした。それより……」
そういってルシアンはグスタフを立たせた。あどけない笑顔でにっこりと笑う。
「俺、その時のことあんまり知らないんです。よかったら昔の親父のこと、教えてくれませんか?」
一瞬戸惑ったグスタフは、髭の向こうでにっこりと笑った。
「かしこまりました。」
◇
「おや、クロード殿。杯が空いておるぞ。」
「ぐ、グスタフさん。いや、私はこれくらいで。」
「何をいう。フランベルク卿はまだまだ平気な顔をしておるではないか。」
「ルシアンと一緒にしないでください。この人は私の倍を飲んでもけろりとしてる化け物なんですから。」
「クロード。人を化け物扱いするな」
宴会は最高潮を迎えようとしていた。
グスタフを加えた5人でシエル達は酒場に向かった。シエルとルシアンの今日の宿だった。ルシアンが当たり前のように部屋を2つとる。銀貨がもったいなく感じないわけでもなかったが、さすがに同じ部屋では寝るわけにはいけない。シエルはぐっと我慢した。
そのまま一階の酒場で5人で夕食をとることになった。当然のように酒が入る。グスタフは楽しそうに、ジルベルトの英雄譚「赤毛のフランベルク」を語った。
それによれば、ジルベルトはヴァイスベルク将軍と二人で王侯会議に参加し、他の上級貴族を説得してベルンシュタインのその年の租税を無税にしたのだという。それがどんな困難であるかは、グスタフの芝居がかった台詞を聞くまでもなく容易に想像ができた。そして、それが原因でジルベルトが辺境伯の任を解かれたであろうことも。
「最近の若い者は忘れておるがのう!ジルベルト様がいなければ、この街はとっくに滅びておったんじゃ!じゃがな、わしは忘れんぞ。恩義を忘れたら、人はただの恥さらしじゃ。ワシは恥さらしにはなりとうない!」
「いや、グスタフさん。もう分かりましたから。親父も喜んでると思います、ほら、飲みましょう?」
「おう、赤毛のフランベルクに乾杯!」
ルシアンが周囲の目を気にしてかグスタフに酒を勧めた。酔いつぶすつもりなのかもしれない。
「それにしても、ルシアン様は本当にお酒が強いわね。」
それをみて、リリーが話しかけてくる。
「私も初めて知りました。あんまりフランベルクでは飲まないので。」
食前酒を何度か出したことはあるので下戸ではないとは知っていたが、まさかこんなに強いとは。
「そっかぁ。これだと酔いつぶす作戦は使えないか。」
「リリー?」
「ううん。なんでもない。」
何か不穏な台詞が聞こえたが気のせいだろう。
やがて、グスタフも限界を迎えた。それでも自分の足でしっかりと帰ったのは酒職人の矜持だろうか。
「フランベルク卿。何か困ったことがあれば遠慮なく連絡をください。」
そう言って、グスタフは深く頭を下げると帰っていった。
一方、立つことも出来なかったのはクロードである。
「すまないリリー。目が回る。」
「はいはい。危ないから眼鏡は預かりますね。すぐに馬車を呼びますから。」
そういって、リリーはクロードに肩を貸して辻馬車まで運んでいた。その様子はずいぶんと楽しそうだ。
「シエル。またね。」
二人が酒場から出ていく。
さて、どうしようか。明日も決して遅くはない。そろそろ部屋に、と思ったところでルシアンが口を開いた。
「あの、シエル。」
「はい。」
「もう少し、飲みませんか?」
シエルは小首を傾げた。
「もう少し、ですか?」
あれだけ飲んだのにまだ飲み足りないのだろうか?さすがに身体に障るのではと思ったところでルシアンが続けた。
「あの、俺思ったんです。親父のことを何も知らなったんだなって。」
その言葉に真剣な響きを感じて、シエルはルシアンに向き直った。
「俺、勝手に親父は統治に失敗したんだと思っていました。でも、そうではなかった。領民を守るために自分を犠牲にしたんだって、初めて知りました。」
ルシアンの拳が固く握りしめられて、震えていた。
「俺は、無知でした。俺はもっと、人に興味を持たないといけない」
そこにあったのは悔いというより、そこから何かを学ぼうという意思。
「だから、シエル。貴女のことを、教えてもらえないでしょうか?俺は貴女のことを何も知りません。どこで生まれたのかも。親が誰なのかも。どういう暮らしをしてきて、どうしてフランベルクに来たのかも。身近な人のことも学べなければ俺はたぶん領民のことも知ることはできない。」
そういえば、ルシアンにシエルは自分の身の上を話したことはなかった。ラフォンテーヌ家を解雇になった経緯を話すのに抵抗があったということもあるが、それ以上にいろいろなことがありすぎて、そんな余裕がなかったのだ。
「分かりました。本来なら雇用をお願いする時に話さないといけないことでしたし、ただ、その前に。」
「はい。」
「私も、お酒を頂いてもいいですか?」
シエルとリリーは宴の間、酒を飲んでいなかった。しかし、過去を話すのには少しだけ勇気が欲しかった。
「ええ。構いませんよ。」
ルシアンが微笑む。二人で席についた。ルシアンが女中に酒とつまむものを頼む。
やがて、運ばれてきた果実酒を一口飲むと、シエルは自分の過去を話し始めた。
◇
始まりは母のことからだった。
シエルを身ごもり路頭に迷っていた母イリス。そんなイリスをラフォンテーヌ伯爵が拾ってくれたこと。母に教育を受けながら伯爵の屋敷で育ったこと。アルマンとエレーヌは厳格だったけれど、決して不公平ではなかったこと。母親に、恩義に報いなさいと、習ったこと。
「ワシは恥さらしにはなりとうない!」
グスタフの台詞を思い出す。
本当にその通りだと思った。人の価値は生まれでは決まらない。行動の積み重ねこそが人の価値となる。母のその教えはシエルの考え方の根底だった。そして、恩義を忘れることは、もっとも価値を損ねる行為だ。
だから、シエルはラフォンテーヌ家を忘れられない。
雇用契約の時ルシアンにシエルは「もっとも大切なものに誓う」と教えられた。だから、あの時シエルは迷わずラフォンテーヌ家に誓ってしまった。今考えると失礼だったかもしれない。だけど、ルシアンは何も言わずにそれを受け入れてくれた。
それは多分、ルシアンの度量の大きさだけではなくて、きっとルシアンが人の過去に興味がないことに起因していたのかもしれない。だけどそんなルシアンが今、シエルの過去を聴かせてほしいと言ってきた。
(ルシアンも変わろうとしている)
そのことを強く思った。そして、シエルも変わらなければ、ルシアンに置いて行かれてしまうだろう。それは、いやだった。シエルは軽く深呼吸すると、過去の続きを話そうとする。ちょうど話は、シエルの解雇の話に差し掛かっていた
「私は、アルマン様に解雇を言い渡されました。」
このことをルシアンはどう思うだろう。顔をあげるのが怖かった。いつぞや受付の男のように、男性を誘惑する女性だと思われるかもしれない。そういえば、ルシアンは女性を雇うことに最初、抵抗をひどく示した。それでも……。
シエルは思い切って顔をあげた。
「…………。」
「……うそ。」
シエルの口から思わず声が零れた。
ルシアンは椅子にもたれかかって、寝息を立てていた。
次の話で第一部完結となります。




