第二十話「主従」
そこはベルンシュタインの屋敷の一室だった。
テーブルには昼食が並べられている。ルシアンはクロードと一緒に出かけてしまった。買い付けに行くのだという。代わりにシエルの目の前には美しい金髪の少女が座っていた。
「驚きました。まさかリリーが公爵令嬢だったなんて。」
言いながら失礼だったかなとリリーをみる。リリーの眉間にかすかに皺が寄っていた。何か気に障ることを言ってしまったのかもしれない。
「申し訳ありません。立場をわきまえておりませんでした。」
即座に謝ると、リリーが大声をあげた。
「そんなことはない!」
驚いて顔をあげると、泣きそうな顔をしている。
リリーは、すぐにはっとした様子で冷静な表情に戻った。だが、その顔にはいつもの明るさがなかった。
「ごめんなさい、大きな声を出して。私が悪いのよね。嘘をついて。身分を偽って。それに今度は権力を笠に着て、友情を迫ろうとしている。」
その言葉を聞いてシエルはようやくリリーが怖がっていることに気づいた。彼女は不安なのだ。しっかりしているように見えて、彼女はまだ18歳だ。自分は受け入れられるだろうか、責められないだろうか?そんな思考が渦巻いているようにみえた。シエルはすっと立ち上がった。彼女の肩に手を乗せる。
「いいですか、リリー。人の価値は生まれによって決まるものではありません。人の価値は、行動の積み重ねによって決まるのです。」
突然言い聞かせるように語り始めたシエルに、リリーが目を丸くした。
「うちの母の物真似です。亡くなってずいぶん経ちますけど。」
そういってシエルはにっこりと笑った。
「リリー。キャラバンで、貴女はいつも私に話しかけてくれましたね。料理のレシピについて訊いたり、逆に私が分からないことを教えてくれたり。」
くるくるとあちこちを動き回りながら、リリーはシエルの手を引いてくれた。
「あの時、私は人が怖かった。カナールでは辛いことにあったばかりでしたから。また誰かに傷つけられるのではないか。悪意のある言葉を投げつけられるのではないか。ずっとびくびくしていました。でも、貴女がその恐れを取り払ってくれた。」
リリーの瞳がかすかに揺れた。
「貴女はアンジェリーク・ヴァイスベルク様。公爵令嬢です。それはきっと変えられない事実でしょう。でも、私が貴女のことを友達だと思うのは、貴女が公爵令嬢だからではありません。貴女があの時私を助けてくれたから。私を「友達」と呼んでくれたからです。」
「シエル!」
リリーが立ち上がって抱きついてきた。小さくて軽い。華奢なこの身体に、この子はどれだけのものを背負っているのだろう。髪を撫でる。リネットのことを思い出した。旅立ちの時も、こうやって髪を撫でた気がする。金髪の髪はさらさらで、少しいい匂いがした。
「そういえば、髪、染めてたんですね。」
メイドの時のリリーは黒髪だった。
「シエルと同じでね。」
「気づいていたんですか?」
その返答に驚く。そんな様子は微塵も感じられなかった。
「黒髪って結構珍しいのよ?それに自分も染めてると、気になっちゃうの。」
そういうものなのか。たしかに旅に出てから、黒髪の人物はほとんど見なかった気がする。
「それより、シエルはなんで髪を染めてるの?」
「使用人に金髪は相応しくありませんので。」
「どこかの貴族の令嬢だったりは?」
「しません。リリーとは違いますよ。」
「なーんだ。残念。」
リリーの心底残念そうな顔が面白くて笑いがこぼれる。リリーも笑っていた。そうだ。キャラバンでもそうだった。笑えなかった私を、こうやってリリーが笑顔にしてくれたのだ。そしてあの時は……。
「あの、リリー?」
「なに?」
「クロードさんとは、どういうご関係なのですか?」
リリーは少しだけ、何かを考えるようにしてから言った。
「同僚で主従ってところかな。」
「同僚で主従?」
不思議な言い回しだ。
リリーは少し悩んだあと、シエルにならいいか、と答えた。
「内緒だけどね。あたしも監査官なのよ。監査官は相手が上級貴族でも、不当な税を追求する権利を持つわ。だから監査官って、基本的に二人一組で仕事をするの。片方が暴走しても、ちゃんと止められるようにね。」
シエルは目を丸くした。
「驚きました。」
「そう?」
「はい。クロードさんとは、恋人ではないのですね?」
リリーががたんと、椅子に躓いた。ドレスの裾がひっかかっている。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ。」
ドレスをなおしながらリリーが座る。シエルもそれを見て向かいに座った。
「なんで、そんなこと思ったの?」
少し恨めしそうにリリーが訊いてくる。なんだか可愛い。
「キャラバンで、リリーは手が空いている時はいつもクロード様を目で追っていました。」
キャラバンの旅を思い出す。リリーが天を仰いだ。
「あのね、シエル。本当にそんなんじゃいのよ。彼はあたしの家庭教師だったの。公爵令嬢のお付きのね。だから「主従」。もっともあたしがメイドの時は逆に振る舞っているけどね。」
なかなか複雑な関係だな。シエルはそう思った。
少し膨れていたリリーだったが、何かを思いついたかのように逆に質問してくる。
「それで、シエルはルシアンとはどうなの?」
「どう、とは?」
「ルシアン様のお傍にいたいです、って」
「リリー。」
少しクロードの真似をして咎めるようにそう呼ぶ。リリーが反射的にひるんだ。
「先ほどもいいましたが、あくまで「メイドとして」です。それ以上でもそれ以下でもありません。……それに、私もルシアンとは、主従ですから。」
言ってから「様」が抜けたことに気づいた。
「ルシアン、ね。」
リリーが楽しそうに笑う。
「あの。」
「大丈夫よ。今日はこれくらいにしてあげる。それよりお昼にしましょ。スープが冷めちゃったわ。」
たしかに、と思う。
シエルとリリーは手を合わせると、昼食に手を伸ばした。
優秀な料理人がいるのだろう。料理はどれも美味しかった。
少しだけ、ルシアンにも食べさせたかったな、とシエルは思った。




