第十九話「謁見」
シエルは緊張の面持ちでそこに立っていた。
ここはベルンシュタインの領主の屋敷だ。北部の守りの要であるこの屋敷はどちらかというと城に近い。屋敷を預かるヴァイスベルク将軍の性格を表してか、調度品は少なく質実剛健といった印象だ。
この国には、王家の下に「二公三侯五伯」がいる。この十家と王家によって毎年八月には王侯会議が開かれ、税額をはじめとする様々な取り決めが行われるのだ。
そんな国に2つしかいない公爵家の前当主が、ヴァイスベルク将軍だった。今は、長男のレナード様に家督を譲っているが、雲の上の人物であることは変わりがない。ラフォンテーヌ家も王侯会議に参加できる伯爵家ではあったが、あのアルマンよりも2つも家格が上なのだ。緊張するなという方が無理な話だった。
「大丈夫ですよ、シエル。将軍は気さくな方ですから。」
シエルの様子を見かねたのかルシアンが話しかけてきた。生真面目なルシアンにしては珍しく、くつろいだ様子だった。
「そういえば、ルシアンはこの屋敷に住んでいたのでしたっけ?」
ふと思い出した。ルシアンの父ジルベルトは、辺境伯としてこのベルンシュタインを治めていたはずだ。
「2年もいませんでしたけどね。それにあんまりこの屋敷は好きじゃなかったかな。居候みたいなもんでしたし。」
「居候、というと?」
シエルは首をかしげた。
「元々この街はベルンシュタイン侯爵家のものです。親父も将軍も代理で預かっているにすぎないので。」
「代理、ですか。」
「ええ。ベルンシュタイン侯爵は戦死なさいましたが、奥方様のお腹には赤ちゃんがいたそうです。その方が成人するまでの代理ですね。たしか今年で成人じゃなかったかな」
大侵攻は16年前。ソレイユ王国の成人年齢は16歳である。
「今は南部に預けられているそうですが、夏の王侯会議が終わったら戻って来られるはずです。もっともすぐに領主を継ぐのは難しいので、あと1年は将軍が領主を代行するみたいですが。」
「なるほど。勉強になります。」
北部の貴族事情にはシエルは疎かった。もう少し知識をつけないといけない。
(それにしても、侯爵家か)
頭の中にモンフォール侯爵家のことが浮かぶ。どうしてもよい印象が湧かない。うまくやっていけるだろうか。フランベルクとベルンシュタインは、とても近い。
そんなことを考えていると扉がノックされた。シエルが扉を開けると、「ヴァイスベルク将軍がお会いになるそうです」とメイドが知らせてくれた。シエルは礼を言い、ルシアンと部屋をでる。
そういえば、リリーはどこにいるのだろうか?心細さからか、そんなことを考えた。ゆっくりと執務室の扉が近づいてきた。いよいよ、謁見だ。
◇
その部屋は、アルマンの執務室によく似ていた。シエルが解雇されたあの部屋だ。ワインレッドの絨毯。ベルンシュタインの街を望む大きな窓。そして、正面に見える重厚な執務机。そこに座るのは灰色のひげをたくわえた老人だった。だが、眼光は鋭く、頬に斜めに走った傷跡がその顔に凄みを与えている。髪も髭と同じ色に染まっていたが、おそらく昔は見事な金髪だったに違いない。
「ルシアン・フランベルク。参りました。」
ルシアンが右の拳を左胸に当てて騎士の礼をとる。シエルはその後ろで深々と頭を下げた。
「うむ。」
ヴァイスベルク将軍が頷いた。それだけの仕草に妙に威厳を感じた。
「本日はヴァイスベルク将軍に、ご報告とお願いがあって、参りました。実は……」
「よい。」
朗々と語りだしたルシアンの台詞がさえぎられた。
「は?」
ルシアンが目を白黒させている。
「すべて許可する、といったんじゃ。クロードから報告は受けておる。口下手なお前に同じことを聞かされるのは、時間がもったいなくてかなわん。」
「そ、それは。」
ルシアンは謝るべきか、憤るべきか悩んでいるように見えた。
「ルシアンよ。手順は大事じゃ。それをないがしろにすれば国は荒れる。」
「はっ。」
「だがの、人命は手順よりも大事じゃ。それを忘れると要らぬ後悔をすることになるぞ。」
ヴァイスベルク将軍はどこか遠くをみるようにそう言った。ルシアンはその様子に戸惑いながらも、肝に銘じておきます、と言った。
「まぁ、それはそれとしてじゃ。後ろにいるのが噂のメイドか?」
いきなり将軍に呼ばれて背筋が伸びた。それにしても「噂の」とはどういうことだろうか?
ちらりとルシアンに視線をやるが、ルシアンも首を振っていた。心当たりはないらしい。
経緯は分からないが、ヴァイスベルク将軍はシエルの事を知っているようだ。失礼がないように挨拶するしかない。
「お初にお目にかかります。ヴァイスベルク将軍。シエルと申します。ルシアン様に仕えさせて頂いております。」
ヴァイスベルク将軍の目が細められた。笑っているようにも見えるが、その奥の眼光は鋭い。
「わしはな、シエル。このルシアンのことを心配しておったんじゃ。こやつは腕は立つが不器用でな。だからリリーに、機転の効く者を探すように命じておった。」
突然リリーの名前を告げられて驚く。
そういえば、ルシアンが使用人を探していると教えてくれたのはリリーだった。
「お主はいい目をしておるな。それは忠義者の目だ。じゃが、忠義に厚い者ほど、手順を大切にしすぎる嫌いがある。だからシエルよ。一つだけ問わせてくれ。」
心臓がどくんと跳ねた。
これは、試験ということだろうか?
もし間違えたら、解雇される?
あの時のように。
あの、ラフォンテーヌのお屋敷で、アルマンに言われたように。
それは……。
それは、いやだった。
ヴァイスベルク将軍が口を開いた。
「お主は、なんのために生きる?」
なんのために生きるのか。
それは、難しい質問だった。昔だったら迷わず答えられただろう。だがこの数か月で、シエルはいろいろな経験をした。信じていたものが崩れた。同時に、新しく大切なものができた。
一つ一つを思い出す。
取り繕った答えはきっと見透かされるだろう。だからこそ自分の気持ちを正直に語らなければならない。
シエルは必死で言葉を絞り出した。
「昔は、主のために生きる。そう思っていました。」
「ほう。過去形か。」
ヴァイスベルク将軍の髭が楽しそうに揺れた。灰色の髭だ。アルマンの髪を思い出す。
「はい、私は、前の主人から解雇されました。それで思いました。これから、何のために生きていけばいいのだろうと。」
メイドは裏切ってはならない。そう教えられてきた。だけどそれなら、捨てられたメイドは、どう生きればいいのだろう。
「それから職を探し、旅をして、この北にたどり着きました。そこで会ったのがルシアン様です。」
あの日ルシアンと出会った。魚が入った桶を手にした、あどけない顔。
あの時はまさか領主だとは思わなかった。
「ルシアン様は不思議な方でした。歴戦の戦士のような顔をしたかと思ったら、子供でもできるようなことができなかったりする。不器用、という言葉は、とても合っているかと思います。」
掃除を終わらせたシエルに「貴女は魔法使いですか?」と問うルシアンが浮かんだ。
魚の切り身に「これは何の肉ですか?」と感動するルシアンも。
「難しいことは私には分かりません。私はただのメイドですから。」
だけど、だけどだ。
ルシアンはただのメイドを必要としてくれた。
ただのメイドだからできることがあった。
「私は、今が楽しいです。楽しく仕えさせて頂いております。だから……」
ニルスのことを自分と似ていると言ったルシアン。
ルシアンは言った。誰もが安心して暮らせる領地にしたいと。
シエルは誓ったのだ。できるだけのことをすると。
そのためにも……
「私はこれからも、ルシアン様のお傍にいたいです。」
シエルはそう言い切った。
がたん。
隣で音がした。みるとルシアンが壁に手をついていた。顔が耳まで真っ赤だった。それでシエルも気づいた。自分が大胆なことを口にしてしまったことに。
「あの、もちろん、メイドとしてですよ?」
慌てて言わずもがななことを付け加えたのは逆効果だったろうか?ルシアンがますます顔を赤くしている。遠くで誰かが笑ったような気がした。
「よろしい。」
ヴァイスベルク将軍がそう言った。その顔は笑っていた。シエルも羞恥で俯く。なんてことを話してしまったのだろう。でもそれは、シエルの本心でもあった。
「ルシアンよ、よいメイドを見つけたな。」
「は、はい。」
ルシアンがかろうじて返事をする。そんなに、動揺しなくても……。そう思ったが、シエルも耳が熱くなっていた。私もルシアンみたいに、赤くなっているのだろうか?
「いや、いいものを見せてもらった。長生きはするもんじゃな。その礼というわけではないが、せっかくなので、わしの孫娘にも会っていってくれんかの。」
「アンジェリーク様に、ですか?」
ルシアンがようやく自分を取り戻した様子でそう言った。
「ああ。シエルよ。孫娘は今年で18じゃが、同世代の友人がいなくてな。よかったら友人になってあげてほしい。」
「そんな、私なんかが。」
悲鳴をあげるようにシエルがそう言った。将軍の孫娘ということは公爵令嬢ということだ。メイドにはとても恐れ多い。
「心配するな。絶対に仲良くなれる。アンジェリーク入れ。」
無責任なことを言いながら将軍がアンジェリークを呼んだ。困った。どんな顔をすればいいのだろう?なんとか平静な顔を保ちながらそちらをみると、小柄な女性が隣の部屋から入ってきた。肩口で綺麗に切りそろえられた金髪が揺れる。利発そうな顔。悪戯っ子のような瞳。よく知った人の面影をみて、シエルが固まった。
「久しぶり、シエル。」
彼女はにっこりと笑った。
それは、リリーだった。




