第十八話「川魚」
準備は大急ぎで行われた。
クロードは討伐隊へ連絡。ルシアンは自警団に留守を伝えに行った。魔物が出ても無理をしないように念を押さないといけないらしい。ルシアンがいると簡単に魔物を倒せてしまうので、気が緩みがちなんだという。その気持ちは少しわかった。
残されたシエルは旅の準備に入った。馬車で半日の道のりだが、ヴァイスベルク将軍への謁見もある。シエルは一番上等なメイド服を鞄に詰めた。今着ているメイド服はカナールの古着屋で買ったものだが、こちらはラフォンテーヌ家から持ち出したものだ。デザインも布の質も明らかに違う。
次に準備したのは食事だった。夜通しの行軍となる。手綱を握ったままでも食べられるものがいいだろう。黒パンに切り込みを入れる。葉物と、川魚の切り身を塩漬けにしたものを壺に入れて用意した。
試作で作ったものだが、パンにはさんで葉物と一緒に食べれば塩加減は程よくなるはずだ。
残りの時間は掃除をして過ごした。
「何だか、すごいことになってしまったな」
ヴァイスベルク将軍と言えば国の英雄の上級貴族だ。カナールを出た時は、そんな方に会うことになるとは夢にも思わなかった。そう言えば、リリーはベルンシュタインにいるのだろうか。会えたら心強いなと思う。
結局、クロードとルシアンが戻ってきたのは日も沈もうとした頃だった。クロードは一頭立ての幌馬車に乗ってきた。これでベルンシュタインに向かうそうだ。
シエルは馬に乗れないため、クロードと、ルシアンが交代で御者席に座った。馬の乗り方も勉強しないといけない。そう反省した。
夜の行軍はとても長く感じた。何せ何も見えない。ルシアンは、寝てていいですよ、と、言ってくれたが主人が起きているのにメイドが寝るわけにはいかない。
結局夜の闇を、幌の隙間から眺めながら過ごした。遠くで狼の遠吠えが聞こえる。紅石狼だろうか。身を縮こまらせていると、横に座っていたルシアンの肩が当たった。その温かさに少しだけ安心する。
◇
「そろそろ半分ですね。」
御者席に座っていたクロードがそう言ったので、食事の準備を始めた。
黒パンに葉物と魚の塩漬けを挟んで、クロードとルシアンに渡した。
「これは、美味い」
クロードが舌鼓を打つ。御者席にいるクロードの表情は見えないが、どうやら口に合ったようだ。安心しつつ、ルシアンの方をちらりと見た。だが、いつもは大騒ぎするルシアンが、真剣な顔をして黒パンを見つめていた。
「あの、ルシアン様。お口に合いませんでしたか?」
心配になって尋ねると、ルシアンは慌てたようにぶんぶんと首を振った。
「いや、美味いです。さすがシエルです。ただ……」
「ただ?」
何か間違いがあっただろうか?
「これ、冬支度に使えないでしょうか」
馬車が急に揺れた。馬がいななきを上げる。
ルシアンが御者席を見た。腰の剣に手がのびているのが見えた。
「クロード、どうした!?」
「いえ、すみません。手元が狂いました。」
クロードは慌てたように答えた。
「何も、ないんだな。」
「ええ。大丈夫です、それよりその話、続けてください。」
「その話?」
「冬支度の話です。」
「ああ。えっとだな。北部は沈黙の5日間から、雪に閉ざされるだろう?」
沈黙の5日間とは12月と1月の間にある、どの月にも属さない5日間のことだ。この5日間は家に閉じこもり、家族と新年を迎えるのがソレイユ王国のならわしだった。
「中央じゃ家にとじこもるのはシュティーレの間だけって話だが、北部はそうはいかない。3月の雪解けまで、市も立たないし、外にも出れない。だから、食事ってのは唯一の娯楽なんだ……」
シエルは北部の冬を知らない。今でも雪が薄く積もっている。だが、1月をすぎるとこんなものではないらしい。だからこそ、北部の民にとって冬支度は命に関わるのだ。
「そんな時にさ、この塩漬けがあったら、絶対笑顔になれると思うんだ。パンに挟むだけじゃなくって、スープに入れたり、竈で焼いたり。今日は何かなって。」
ルシアンは本当に楽しそうに語った。北部の冬を知らないシエルには、出てこない発想だった。
「ルシアン。」
クロードが御者席から呼びかけた。そちらをルシアンが見る。
「その考えは、貴方の功績です。」
「え?」
「川魚はその日のうちに食べる、それが北部の人間の常識でした。それを塩漬けにして保存食にする。これはフランベルクの新しい産業にできますよ。」
産業とクロードは言った。たしかに今のフランベルクで魚は無料も同然だ。わざわざ手間や貴重な塩を使って保存食にする人間なんて誰もいない。「薪は魚よりも高い」という格言がそれを表している。
だが、それがご馳走に化けるのだとしたら、「手間」をかける価値がある。そして手間をかけた物は高く売れる。
「もちろん、今年の冬は間に合いません。来年になるでしょう。それに川魚を獲っていい量も定めないといけません。川から魚がいなくなっては困りますから。」
そういうクロードの声は少し弾んでいた。
「そっか、産業か。」
黒パンを見ながら、ルシアンの顔が少し綻んでいた。
なんていい表情だろう。シエルはその顔にしばらくの間、見惚れていた。




