第二話「荷造り」
自室に戻ったシエルはすぐに荷造りを始めた。
とはいっても持っていけるものは多くはない。数着の私服に下着。防寒用の外套。愛用の櫛と髪を結ぶリボン。あとは、髪染めや裁縫道具に紙とペンといった小物。僅かな路銀。これらを母の形見である旅行鞄に詰めていく。
そして、最後にベッドの上にはメイド服が残った。
肩口にラフォンテーヌ家の刺繍が施されている。長年シエルの身を包んできたものだ。
本来なら、これはラフォンテーヌ家にお返しするべきなのかもしれない。だがこのメイド服を手放せば、この屋敷で過ごしたすべてが消えてしまう気がした。それは、少しだけ耐えられなかった。シエルは旅行鞄から裁縫道具をとりだすと、布を傷めないように丁寧に刺繍をほどき始めた。
部屋に糸をほどく音だけが響く。
しばしの後、生まれたのは、どこの家のものでもないメイド服であった。
「一着だけ。頂いていきます。」
そういって頭を下げると、シエルは旅行鞄にそれを詰めた。
これで準備は完了した。完了してしまった。
21年間の荷物はずいぶんと小さくまとまった。こんなものなのか。あまりの呆気なさに、思考がまとまらない。ただ、時間だけがすぎていく。やがて、扉がノックされた。どうぞ、と返事をする。
「シエル!」
入ってきたのは同僚のリネットだった。リスのように動く小柄な身体と、愛らしい栗色の髪。その目には涙が浮かんでいた。リネットはそのままシエルに抱きついてくる。その後ろには、奥様、エレーヌ・ラフォンテーヌの姿も見えた。シエルは彼女に一礼したが、エレーヌは静かに首を振った。先にリネットを、とその目が言っていた。
「なんで、シエルが出ていかないといけないの……こんなのおかしいよ。」
エレーヌの前だというのに、リネットが泣きながらそう言う。
彼女はいつだってそうだ。思ったことをそのまま口にする 。メイドとしては褒められたことではないかもしれないが、そんなリネットのことを、シエルは好ましく思っていた。自分のために泣いてくれる人がいる。そのことに、少し救われた気がした。リネットの髪をあやすように撫でる。
「仕方がないことなんです。モンフォール家の御意向ですから。たかがメイド1人のために、お家を危険に晒すわけにはいきません。」
「でも、でも……」
リネットが泣きじゃくる。
「リネット。私が辞めた後、テオを助けてもらえますか?彼は読み書きも算術も苦手です。怖く見えるかもしれませんが、根はとてもいい人ですから。」
「うん。ひっく……がんばる。」
「お願いしますね。」
シエルはそういってリネットに笑いかける。彼女は何度も頷きながらシエルから離れた。
それを見て、エレーヌに一礼する。
「奥様。長い間、大変お世話になりました。お暇を頂くことになりましたが、この屋敷で学ばせて頂いたことは決して忘れません。本当に、ありがとうございました。」
「シエル。貴女って人は……本当に、イリスにそっくりね。」
エレーヌが目を細めて笑う。今にも泣きだしそうだ。
「母はいつも言っていました。私たちが生きていられるのは、ラフォンテーヌ家のおかげだと。だからいつも……」
『忠義を胸に持ちなさい』
シエルとエレーヌの声が重なった。
そのまま笑い合う。
(私は本当にこの家でよくしてもらった。)
エレーヌの笑顔が一瞬イリスと重なってみえた。
「シエル。二つお願いがあります。一つは、これを受け取って。」
革袋が差し出される。中を開けると銀貨が入っていた。ずっしりと重い。
「こんなに、受け取れません。」
「そう言うと思ったから、お願いなのよ。」
また熱いものがこみ上げてくる。これを断っては奥様に恥をかかせる。
それに、正直に言えばありがたかった。これからは一人で生きていかないといけないのだ。路銀はいくらあっても困らない。
「そして、もう一つのお願い。私も、抱きしめさせてもらっていいかしら?」
その言葉に、シエルはもちろんですと頷いた。
少しだけためらって、その身体に腕を回す。 背丈はシエルの方が少し高い。
エレーヌはずっと威厳に溢れた立派な奥様だった。だが、その身体は驚くほど軽かった。
「シエル。アルマンのことを許してあげて。彼も本意ではないの。」
「分かっています。奥様。」
声が震えるのが分かった。これ以上は涙を我慢できそうにない。
その時だった。どすどすと、廊下を踏み鳴らす音が聞こえたのは。
足音はシエルの部屋の前で止まり、バタンと扉が激しく開かれた。
「どういうことだ、シエル!!」
野太い声が、シエルの小さな部屋に響き渡った。




