第十六話「フラム」
「俺に力を貸して欲しいとは、どう言うことだ?」
自分にできることなら何でもするが。そんな調子でルシアンが言った。
「それに答えるためには、現在北部で起きていることを説明しなければなりません。」
そう言ってクロードはチラリと食堂の隅を見た。そこでは暖炉で薪がパチパチと燃えていた。
「この館では、泥炭は使ってないんですか?」
「母が、泥炭の臭いを嫌っていたらしいんだ。身体に悪いと。……俺や父も、魔の森から薪を取れたから、ずっとそれを使っていて。」
ルシアンは少し言い淀むように答えた。
「いいよな、領主さまは。こんな立派な家もあるし、強いから森で薪だって採れる。」
ニルスの言葉が思い出された。
人はいつだって自分の物差しで物事を考える。それはシエルも一緒だ。だからこの街を、食料が豊富な平和な街と誤認してしまった。
だけど、それではいけないのだ。領主は常に領民のことを考える必要がある。少なくともルシアンはそう思っている。であるならば、領主に仕えるシエルも同じ考えを持たなければならない。領主の目となり耳となるのはメイドの務めだ。
「ふむ。なるほど。だから、気づかなかったのですね。」
「あの、クロード様。気づかなかったとは。」
クロードは軽く首を振ってから、2人の方に向き直った。
「現在北部では泥炭が高騰しています。ここ数年、その兆候がありましたが、今年は特にひどい。泥炭はフラムという単位で取引されます。1フラムは平均的な家庭が1か月使用するくらいの量とお考えください。」
フラム。どこかで聞いた言葉だ。
「例年1フラムは銀貨2枚程度で取引されていました。それが昨年には3枚となり、今年はなんと銀貨6枚です」
「銀貨6枚!?」
シエルは思わず悲鳴をあげた。銀貨が6枚。冬の3か月を乗り切るには銀貨が18枚必要ということになる。それは北部の一般的な家庭の1か月分の収入に相当する。
どんっ!
食卓が強く叩かれた。上に乗っていた食器が跳ね上がり、テーブルスプーンが机の下に落ちた。食卓を殴った張本人、ルシアンが、スプーンを拾う。
「すみません。取り乱しました。」
ルシアンの気持ちは痛いほどに分かった。何故気がつかなかったのか。責任を感じているのがありありと見て取れた。
(私のせいだ)
ルシアンの仕事のほとんどは魔物の討伐だ。領民と接触する機会はそう多くない。シエルがしっかりと気を配っていれば、これは気づけた事態だ。シエルはメイド服のスカートをぎゅっと握りしめた。
「さて、何故これだけ泥炭が高騰しているのか。実は、泥炭自体の値段は上がっていません。むしろ泥炭船のキャラバンのおかげで下がってると言ってもいい。」
シエルの脳裏に一瞬、リコの顔が浮かんだ。
「足りないのは泥炭ではなく、泥炭と一緒に燃やす、臭い消し(フラム)なんです。」
そう、クロードが言った。
「あのフラムって、先ほどは単位と言っていましたけど。それに、あの魔法の釣り針も。」
シエルが疑問に思ったことを口にする。
クロードは一瞬、不思議そうな顔をしたがすぐに合点がいった顔をした。
「シエルさんが言っているのはたぶん、本来の意味のフラムのことですね。確かに北部の人間以外にはややこしいかもしれません。フラムとは古語で『魔物の骨』という意味です。もっとも最近ではこの意味で使う人間はいません。だいたい、これを指します。」
そう言ってクロードが鞄から白い筒状の物を取り出した。シエルの腕より太い。長さは、さっきルシアンが落としたテーブルスプーンより少し長いくらいだろうか?
「泥炭は燃やすと酷い臭いの煙を出します。しかし、魔物の骨や牙、角と一緒に燃やすとその煙がほとんど出ないことが分かりました。もっとも魔物の骨なら何でもいいわけではありません。ある程度の太さがない骨や牙では、煙を消しきれないそうです。ルシアンのお母様が泥炭を嫌っていたのもそれが原因でしょう。フラムが今の形になったのは、大侵攻の後と聞いています。」
ルシアンの母親は大侵攻で亡くなっている。
クロードが食卓の上のフラムを転がした。ごとりと音がする。意外と重量があるようだ。
「まぁ、そういうわけでですね。煙を抑えるために、泥炭は必ずフラムと合わせて売ることが、北部では義務付けられています。泥炭を『フラム』という単位で売るのもこれが理由です。これ1本で、一か月泥炭を燃やしても、ほとんどの煙を抑えられるんです。」
なるほど。とシエルは頷いた。確かにこれは北部ならではの常識だ。王都の周辺は雪も降らない温暖な地域だ。竈で使う薪も近くの森林でまかなえていた。
「ところが今、そのフラムがほとんど手に入らなくなっています。たまに手に入ってもとても高い。結果、冬の燃料代はあがるばかりです。」
「あの……フラムなしで、泥炭を燃やすのはダメなんですか?」
話を聞くと泥炭は余っているようだ。冬の寒さの前に臭いくらい我慢するのではダメなのだろうか?
「シエル。泥炭の煙は臭いだけじゃないんです。フラムなしだと身体が弱いものが吸うと体調を崩します。」
ルシアンがそう言った。
「ルシアンの言う通り、なのですが。最近はフラムなしは無理でも、紅石狼の牙など、代替品で泥炭を燃やす人間がベルンシュタインでは増えています。そうして、余ったフラムを買い取る商人がいまして。」
「それは……」
取り締まるべきでは?一瞬そう思ったがすぐに思い直した。たぶんそういった商人がいなければ、余った泥炭を売ることが困難になっているのだろう。貧乏人は粗悪な代替品で我慢して、富裕層が正規のフラムを買う。物は違えども、小麦が不作な時などは、王都でもよく見られた光景だ。
「クロードそれで。フラムの材料っていうのは何の魔物なんだ?どうせそれを俺に狩らせたいんだろ?」
ルシアンがそう言った。今にも森に飛び込んでいきそうな勢いだ。
「はい、それが貴方に頼みたかったことです。フラムの材料は……多角獣の角なんです。」
◇
「多角獣ってあの……キャラバンで遭った?」
「ええ。あのケラトスです。ケラトスは巨大でとても狂暴です。もともとケラトスを狩るのは大変難しかった。漆黒騎士団が春に狩ったものと、大侵攻時に蓄えられたもの、それが主な供給源でした。しかし、ベルンシュタインは栄えすぎました。人口は20年前の倍になっています。そして、大侵攻時に蓄えられた遺産も、ここ数年で枯渇しはじめました。」
需要と供給、という言葉が頭に浮かんだ。それはテオに教えてもらった言葉だ。
冷夏で不作になれば野菜の値段は上がり、豊作時には逆に下がる。供給量が減り、人口も増えたとなれば、当然値段は高騰する。
「正直焼け石に水かもしれません。しかし、少しでも供給量を増やさなければ、フラムの高騰は止まりません。ルシアン。40人ほどの討伐隊を用意しました。傭兵が中心ではありますが、彼らを率いてケラトスを狩って頂けないでしょうか?」
クロードが深く頭を下げた。もうこれしか手がないのだ。クロードの姿がそう言っていた。だが、ルシアンは、少し呆然とした顔で何かを考えこんでいるようだった。
「……ルシアン?」
「ああ、すまない。」
はっと我に返ったようにルシアンが顔をあげる。
「それで、討伐隊ですが。」
クロードが眼鏡越しに期待を込めた眼でルシアンを見た。だが、ルシアンから返ってきたのは意外な返答だった。
「悪いけど、それはできない。」
ルシアンはきっぱりとそう言った。




