第十四話「ニルス」
その少年はニルスと名乗った。
ルシアンの行動は迅速で、次の日の朝にはニルスを捕まえてきた。
「離せ、離せってば!別においらは悪いことなんてしてないだろ!」
ルシアンの肩に担がれたニルスが叫ぶが、ルシアンはがっちりと彼を押さえ込んで離さない。やがて、ルシアンがニルスを放したのは、フランベルク家の応接室に着いてからだった。
シエルはそれを、ルシアンの少し後ろから見ていた。
「お姉ちゃんがチクったのかよ。ずるいぞ、信じてたのに!」
そんなシエルをニルスは容赦なく糾弾する。シエルは黙ってそれを受け止めた。
「魔の森に入るには許可がいる。子どものおまえには認められていない。それくらいおまえにも分かるだろう。いったいなんで、森に入った!」
ルシアンが厳しい口調で問い詰める。
その剣幕にニルスがうっと、下を向いた。
「だって……おいらが稼がなきゃ……」
「この時期はまだ魔物がうろついている。一角兎の一突きでも、人は簡単に死ぬんだぞ!」
ルシアンが必要以上に大声を出しているのが分かった。二度と同じことを繰り返させてはならない。そういった強い意思が感じられた。だが、少年の反応はそれ以上だった。
「冬が越せなきゃ、どうせ死ぬんだよ!」
ルシアンが絶句する。
「いいよな、領主さまは。こんな立派な家もあるし、強いから森で薪だって採れる。だけど、おいらの家は違う。薪は手に入らない。冬を越すための泥炭も買えない。毎日魚を獲って、やっと飢えを凌いでいる。今しかねえんだよ。雪に閉ざされる前になんとか金を稼いで、泥炭や日持ちする食いもんを買わねえと!」
ニルスが話す内容は切実だった。とても10歳の子どもが話す内容ではなかった。
「親は……どうした。」
ルシアンが絞り出すように問うた。
「父ちゃんは頑張ってくれてる。だけど5年前に怪我をしてから仕事があんまりねえんだ。父ちゃんは優秀な狩人だったんだ。だけど、一角兎に足をやられて。魔物が危険だなんて分かってるよ。あんなに強かった父ちゃんが、あっけなく狩りに出られなくなっちゃったんだ。だけど、他にどんな手があるって言うんだ。父ちゃんはな、一人で俺を育ててくれたんだ!母ちゃんを流行り病で亡くして。足を悪くしても愚痴一つ言わねえで。だから、今度はおいらが父ちゃんを守るんだ!」
涙を流しながら、ニルスはそう叫んだ。それは心の底からの訴えだった。
「おまえ、ハンスさんの子か。」
「……そうだよ。」
話の内容から誰の子かがルシアンには分かったのだろう。ニルスはそれを認めた。
「ニルス。おまえの言い分は分かった。だが、もう森には入るな。次に同じことをするなら、ハンスさんにこのことを話す。」
「父ちゃんにすぐにチクらねえのか?」
「俺はこの街の領主だ。責任は俺にある。だから、今回だけは見逃す。だが、これだけは理解してくれ。」
そう言って、ルシアンはニルスの顔をじっと見た。
「おまえが死んだらハンスさんは悲しむ。もう生きていけないかもしれない。いいか、領主として、おまえたち親子が冬を越せるように俺が何とかする。だから、もう二度と森には入らないでくれ。」
泣き出しそうな顔で、ルシアンが告げた。ニルスは意外そうな顔をして少し迷ったあと、ゆっくりと頷いた。
◇
ニルスを送り出したあと、ルシアンはずるりと、玄関の扉にもたれかかって座り込んだ。
シエルは何も言葉をかけられなかった。ニルスが語った内容は、カナールで育ったシエルには想像を超えていた。少し浮かれていたどころの話ではない。シエルはこの街のことを、本当に何も分かっていなかった。
そんなシエルに、ルシアンがゆっくりと話しかけてきた。
「ねえ、シエル。少し、話を聞いてくれますか?」
「……はい。」
シエルには頷くことしかできない。
「俺、ニルスの気持ちが分かるんです。俺も、あいつと同じだったから。」
シエルはルシアンの顔を見た。その顔は信じられないくらいに憔悴していた。今にも声を出して泣き出しそうだ。
「俺の親父、ジルベルト・フランベルクは、俺にとって英雄でした。いや、実際国にとっても英雄だったのかな。知ってますか?親父は、大侵攻で多くの魔物を討伐した功績で辺境伯に封じられたんです。ベルンシュタインもうちの領地だったんですよ。信じられないかもしれないですが……。」
その話は少しだけ知っていた。救国の英雄フランベルク。大侵攻の当時シエルは5歳だったから、詳しいことまでは知らない。だが、赤毛の英雄がたくさんの魔物を討伐したことは、吟遊詩人の歌で聞いたことがあった。
「もっとも、数年でダメになりましたけどね。田舎貴族が下手にでかい領地を持ったものだから、反感を買って商人やら中央の貴族やらに目をつけられた。それで結局、この街に戻ることになりました。」
ルシアンはどこか遠くを見るような目で言葉を続けた。
「だけど、それで親父への憧れがなくなったとか、そんなことはなかったんです。むしろ、一緒にいられる時間が増えて嬉しかった。親父は、強かったんですよ。今の俺よりもずっとです。剣の稽古をよくつけてもらいました。結局、一本もとれなかったなぁ。母さんを亡くして、領地も失くしたのに、あの人は結局一言も文句を言わずに、俺を育ててくれた。だから……」
ルシアンがゆっくりと立ち上がった。シエルの方を見る。
「今度は俺が、親父を助けてやりたいって思ったんです。立派な騎士になって。フランベルクの家の名誉を取り戻して。俺の親父は本当に英雄だったんだぞってね。でも、シエル。俺は無力です。親父は流行り病であっけなく亡くなりました。ニルスの母親と同じ病気ですね。それなのに、俺は領民の命一つ、ろくに守れていない。あんなに小っちゃい子が、懸命に頑張っているのに。」
「……ルシアン。」
名前を呼ぶ。それ以外にできることが、シエルにはなかった。
「大丈夫ですよ。これでも俺、強いんで。だけど、俺には圧倒的に知恵が足りない。お願いがあります、シエル。俺に、知恵を貸してください。この領地を復興させたい。誰もが安心して暮らせる領地にしたいんです。」
正直、シエルにもどうしたらいいか分からなかった。事態はシエルの手をとうに超えていた。だからといって、ルシアンを見捨てるという選択肢はなかった。分からなければ調べればいい。学べばいい。そう思った。私はメイドだ。メイドは、主人を裏切らない。
「私に何ができるかは分かりません。だけど……できるだけのことは、させて頂きます。」
シエルはそう言って、ノックをするように手を掲げた。ルシアンが微笑んだ。ルシアンの手も上がる。
こつん。
手の甲と甲が触れ合う感触。
二人は今、新しい誓いを結んだ。




