第十三話「亀裂」
その日は朝からルシアンは館を留守にしていた。魔物がまた出たらしい。
一般にソレイユ王国で魔物が活発になるのは4月から6月と言われている。だが、魔の森が近いこの北の辺境では、その時期以外でも日常的に魔物が出没していた。
「完全に冬になってしまえば、魔物も森から出て来ないので、忙しいのは今くらいなんですけどね。」
ルシアンはそう笑って出かけて行ったが、いくらルシアンが強くても「もしも」ということもある。あらためて、彼が命をかけてこの街を守っていることを思い知らされた。だからこそ、この街の住人はルシアンを尊敬の目で見るのだろう。シエルに対してよからぬ噂が立たないのも、そういった理由があるに違いない。
シエルは感謝の気持ちと無事を祈って「ご武運を」とルシアンを送り出した。
ルシアンがいない昼間は随分と静かだった。館の掃除はもうほとんど終わっていた。
2階には領主の部屋の他に書庫と、もう1部屋があった。この部屋は亡くなったルシアンの母の部屋ということだ。大侵攻で命を落としたらしい。
(少し浮かれていたのかもしれませんね)
活気のある平和な街だ。そう思い込んでいた自分を戒める。この街は、やはり過酷な環境にあるのだ。
◇
日も落ちた頃になって、ようやくルシアンは帰ってきた。
紅石狼の群れが出たんですよ、そうルシアンが言った。紅石狼は群れで狩をする魔物で、額の赤い石から人に聴こえない高い音を出して位置を伝え合うらしい。暗がりから襲いかかってくる獣の群は厄介で、さすがのルシアンも困憊していた。泥だらけの外套と剣帯を脱がせると、ルシアンは食堂の椅子に倒れるように腰を下ろした。幸い怪我はないようだ。
「お疲れ様でした。」
「さすがに疲れましたね。もうお腹がペコペコです。今日の夕飯はなんですか?」
それが本当に重要なことだと言わんばかりにルシアンが聞いてくる。シエルはくすりと笑って答えた。
「黒パンと山菜のスープです。ルシアンが好きな川魚の切り身も入っています。おかわりもいっぱいありますよ。」
ルシアンの顔がとたんにぱっと明るくなった。大きめの椀いっぱいについで渡すと、待ちきれないとばかりに食べ始める。その食べっぷりにシエルは目を細めた。自分が作った料理を食べる人の姿をみることは、ラフォンテーヌのお屋敷ではほとんどなかったことだ。
「やっぱり、シエルの料理は本当に美味しいですね。魚と山菜がこんなに合うなんて知りませんでした。」
「どうでしょう?素材がいいからじゃないでしょうか?山菜を館の近くまで売りに来てくれる子供がいて、彼が持ってくる山菜はとても美味しいのですよ。」
がたん。
椅子が倒れる音がした。驚いてそちらを見ると、ルシアンが立ち上がっている。
「ルシアン?」
「シエル、子供が山菜を売りに来たのですか?」
「え?はい。5日に1回くらい持ってきてくれるんです。あ、もちろん代金は払っていますけど。」
「市ではなく、この館の近くにですか。」
「え?はい」
どうしたのだろう。ルシアンの顔が先ほどまでとは別人になっていた。これは、魔物を退治に行く時の顔だ。
「シエル。この街では市で商売ができるのは成人になってからです。子どもには販売する権利がない。これが、何を意味するか分かりますか?」
「……えっと?」
意図がみえない。
「普通はこういった山菜は、大人が売るんです。子どもが売りに来るのはおかしい。もし、子どもが売りにくるのだとしたら理由は2つです。1つは、親が病気や怪我で動けなくて代わりに売りに来ている場合。だけどもしそうなら、山菜を採りに行ったのは誰だという話になる。となると、もう一つの理由が怪しくなります。つまり、子どもが親に内緒で山菜を採って売っている場合。」
「それって……。」
ルシアンが言いたいことが分かってきた。身体が震える。そうか、何故気づかなかったのだろう。フランベルクの地は痩せている。街の周囲に山菜を採れる場所なんてない。ただ一つを除いては。
「最近、こんな噂を聞きました。魔の森に出入りしている子どもがいると。シエル、その少年のことを、詳しく教えてください。」
◇
魔の森に入るために許可証がいる。
昔は自由に入れたらしい。だが、魔の森で怪我をしたり命を落とす者が多発したため、12年前にヴァイスベルク将軍が法を定めた。
ヴァイスベルク将軍の名前はシエルでも知っていた。ソレイユ王国唯一の公爵家の出身で、国の英雄だ。現在は家督を長男に譲って南のヴァイスベルクからベルンシュタインに拠点を移している。そして、ルシアンが所属する漆黒騎士団の団長でもあった。
「ごめんなさい、ルシアン。私が気づかなかったばかりに。」
ルシアンにことの経緯を話すと、シエルはスカートを握りしめてじっと下を向いた。
「いえ、俺がもっと森の危険を話すべきでした。悪いくせなんです。自分を基準に物事を考えがちで。」
ルシアンは「俺にとって魔の森は庭も同然なんです」と語った。だから、そんな俺と生活していれば、森の危険を軽く考えてしまうのは仕方ないと。
だが、そんなはずはなかった。少し考えれば分かったはずだ。それなのに、シエルはこの街は安全だと過信した。危険な王都カナールとは違うなどと勝手に決めつけた。フランベルクにはフランベルクの危険があるというのに。
「シエル。まだ子供が犠牲になったわけではありません。話を聞く限りその子供は、人に見つからないように早朝に森に入っているみたいです。明日の朝一に、俺が見回りをします。この館の近くに売りに来ていたのだとしたら、どこから森に入ったのかもだいたい推測がつきます。貴方が話をしてくれたおかげですよ。」
ルシアンの言葉にシエルは深く頭を下げた。
(どうか、犠牲が出ませんように。)
少年の笑顔を思い出して、シエルはそれだけを願った。




