第十二話「日常」
日の出が、起床の合図だった。
メイド服に着替えて、井戸に水を汲みに行くと、庭ではいつも通りルシアンが剣の稽古をしている。
「おはようございます、ルシアン。」
「おはようございます、シエル。」
雇い主を呼び捨てにするのは初めての経験だったが、意外なことに数日で慣れた。ルシアンはアルマンほど威厳に溢れているわけではなかったし、何より分からないことはすぐに訊いてきた。掃除の仕方、洗い物、料理のレシピ。名前を呼ぶ機会も増えた。抵抗感はだんだんと消えていった。
(メイドとしてはどうかとは思いますが)
そう思わないわけではなかったが、ルシアンは楽しそうだった。新しいことを覚えるたびに無邪気な笑顔に喜んでいる。主人が喜んでいるのならば、それを邪魔する道理はない。
水汲みが終わったあとは朝食の準備。それから市に行くのがシエルの日課になっていた。フランベルクの市は、街の入口にある南の広場に毎朝立つ。街の北端にあるフランベルクの館からはそれなりの距離はあったが、歩いていけないほどではない。
到着すると、そこは既に人でごった返していた。辺境の街、ということで寂れている印象を持っていたが活気に溢れている。市には、野菜を売る農家、野鳥の肉や山菜を売る猟師、ベルンシュタインから鍋などの日用品や嗜好品を売りに来ている商人などが並んでいる。
近くの店には行列ができていた。街に3軒しかないパン屋の1つだ。小麦はすべてベルンシュタインからの買い付けに頼っているフランベルクにとって、パンはちょっとした贅沢品だ。だが3軒のパン屋とも、毎日午前中には売り切れているらしい。
(いい街ですよね)
素直にそう思った。思い切ってカナールを出てよかった。
「ルシアンが若いメイドを雇った」という噂は、すぐに街中に広がったみたいだが、変な勘ぐりをしてくる人間もいなかった。もっとも、シエルの耳に入っていないだけなのかもしれないが……。
だが、分からないことを気にしてもしょうがない。
(聞こえないものは、ないものです)
そう、思い込む。
市場で根菜と葉物、さらに壺に入った塩を買い足して、館に帰る。
今日の夜は何を作ろうか。目を丸くしてでシエルの料理を食べるルシアンを思い出して、自然と顔が綻んだ。
◇
「ねえ、お姉ちゃん。そこのお姉ちゃん」
「私、ですか?」
そう呼びかけられたのは館まであと少しといったところだ。声の方を見ると、そこには一人の少年が石垣の陰に隠れるように立っていた。
年は10歳くらいだろうか?一瞬、エミールの顔が重なる。坊ちゃんは今頃どうしているだろう?泣いていないだろうか。しかし、人見知りだったエミールと違って少年は腕白そうだった。すぐに面影は消え、少年がにやりと笑ってシエルに話しかけてきた。
「そう。お姉ちゃんって、街の人?」
「はい。先週こちらに引っ越して参りまして。」
子供相手にこの言葉遣いはおかしいだろうか。しかしシエルは他の喋り方を知らなかった。
「お姉さん、変な人だね。でも、ちょうどいいや。これ買ってくんない?」
そういって少年が差し出したのは籠いっぱいに入った、きのこや山菜だった。
「これは……。」
ざっと中を見る。市で見かけたのと同じ種類の山菜だ。この辺りで一般的に食べられているものだろう。
「銅貨、1枚でいいよ。」
「この量を……ですか?」
先ほど見た価格を思い出す。この量ならばもっとする。
「あれ、安かった?」
「ええ。たぶん市だと銅貨3枚分くらいはあるかと。」
「そっか。」
どうやら相場が分からず、適当につけたらしい。
「じゃあ、銅貨2枚で買って。助けると思って、お願い!」
手を合わせて拝んでくる。シエルは悩んだ。正直、魅力的な取引ではあった。フランベルク家の家計に余裕はあったが、冬支度を考えると節約できるに越したことはない。
それにここは王都カナールとは違う。何か犯罪に巻き込まれたりすることはないだろう。
「分かりました。」
少し悩んだすえにシエルが銅貨を渡すと、少年はニカっと笑った。
「ありがとう、お姉ちゃん。よかったらまた買ってね!」
山菜やきのこをシエルが持っていた籠に移すと、少年は南の方に駆けて行った。不思議そうにそれを見送ったシエルだったが、ふと我に返ってため息をついた。
(この量、持てるでしょうか?)
籠は今にも溢れそうだった。
◇
時間はかかったが、なんとか館までたどり着けた。
太陽が天頂に上ろうとしている。シエルが急いで昼食の準備を始めていると、ルシアンが帰ってきた。魚がいっぱい入った木桶を手にしている。
「また、釣ってこられたんですか?」
「いや、だって、シエルの料理が美味しくってさ。」
照れくさそうにルシアンが笑った。
数日前、シエルはルシアンに魚料理を振る舞った。内臓と小骨をとり、丁寧に下味をつけて、羊のバターで焼いたのだ。
木串で丸焼きにすることしか知らなかったルシアンは、それが衝撃だったらしい。
「これはいったい何の肉ですか?」
と、問い詰められた。
魚の肉だと答えると、ルシアンは最初信じてくれなかった。頭もしっぽもついていないし、味も全然違うと。そもそも切り身という概念がルシアンにはないようだった。
仕方なく、次の日も魚料理を作り、今度は調理工程を見せる。ルシアンはその一つ一つに「すごい!」「まるで魔法だ!」と、興奮したように声をあげていた。おかげでシエルは指を切らないように包丁を入れるのに苦労した。
それからルシアンは毎日のように魚を釣ってくる。正直供給過剰なので、塩漬けにするつもりだった。今朝塩壺を買い足したのはそのためだ。川魚で塩漬けを作るのは初めてだったが、海魚では作った経験はある。何とかなるだろう。
「それにしても……」
ルシアンから木桶を受け取りながら、シエルは疑問を口にした。
「ルシアンは釣りの名人なんですね。」
今回釣ってきたのは5匹。市での買い出しには多少時間を取られたが、シエルが館を留守にした時間はそんなに長い時間ではない。川までの移動も考えると随分と早い。
「名人?ああいや、これには理由というか、そうですね。俺も魔法が使えるんですよ。」
「魔法、ですか?」
俺も、といった表現が気になったがそこは流す。
「ええ。これです。」
そういって、ルシアンは小さな鉤状の物を腰の袋から取り出した。
「釣り針、ですか?」
だが、金属ではない。白い。何かの動物の骨に見えた。
「正解です。これは水棲馬という魔物の骨で作った釣り針です。」
ケルピーは、上半身が馬、下半身が魚の化け物で、獲物を水中に引きずり込んで喰らう魔物なのだという。
「水棲馬の骨で作った釣り針には魚が向こうから寄ってくるんですよ。こういった魔物を素材にして作った道具は魔道具って言います。昔はフラムとも呼んでたかな。」
「それは……貴重なものなんですね。」
「いや、この街だとほとんど家庭にありますね。大侵攻の時に水棲馬はかなり狩られたらしいんで。」
大侵攻とは16年前に北の魔物が一斉に南下してきた事件だ。フランベルクの街はその時、一度滅ぼされかけたという話を、最近教えてもらった。
「まぁ、そんなわけで、この街の住人は魚に飽きているんですよ。焼くのも大変なんで、「薪は魚より高い」なんて格言もあるくらいですから。」
だから、魚は獲り放題なんです。そういってルシアンは笑った。
これはどこかで止めないと、毎日魚を食べるはめになるかもしれない。シエルは今晩話をしようと、決意した。




