初めての死は鉄の味
「お前は…ソリュア、ていうわけでもないよな。変身を解け」
「ふふ、なかなかどうして勘がいいね。まあ、経験者だからそれもそうか」
ヒナタの前に姿を現すは、ソリュアの姿をした『誰か』であった。それは変身している本人すらも、隠す気がないように認めている。
宿敵ともいえる、ソリュアの皮を被った何者かが武器を持って近づく。ヒナタは、その動きの中にわずかな違和感を見つけた。
リヒカが持っていた短剣だ。
それを見て、確信を持つ。
「お前、リヒカだな。理由はその短剣と、都合のいい時にいなかったことだ。俺を殺そうとした理由は——変身した本人がいなくなることで、ラベラの首を絞めた件をうやむやにしたかった、といったところか」
「私はリヒカではないですわぁ…」
「いまさら何だそれは。まあ確かに証拠としては心許ないが、十分には十分だ。あと、その喋り方をやめろ」
ぬぐい切れない殺意を押し込め、ヒナタから視線を外して考え込むように腕を組む。
靴底が床を叩く音が、二度、三度。決心したように、ヒナタのほうへ顔を上げた。
「結局、殺すんだから教えてもいいか。……リヒカはもう死んだよ」
「言い訳がひどすぎるな。リヒカ、お前も変身した姿ってことか? じゃあ、他の奴らの姿が見えないのは——死んだってことか」
「そうさ。騎士のほとんどは魔人に殺されちまった。そして俺は……いや、俺とリヒカは騎士じゃない」
リヒカの姿をした人物が顔に手を添える。
ベリ、ベリ。
粘着性のテープを剥がすような音を立てて、皮膚らしきものが捲れてゆく。中から現れたのは騎士長ハンスだった。血走った目に、にやけた笑み。その表情だけは、リヒカの姿の時から何ひとつ変わっていなかった。
「俺はハンス。最初に仕切ってた奴さ。まあ、この顔も偽物なんだがな。あと、騎士じゃないっていうのは——俺とリヒカは暗殺部隊ってことだ。依頼者も予測がつくだろうよ。まあ、ラベラ様の首を絞めたのは俺の独断だが」
「ど……どういうことだよ」
「自分で考えろってのも無理な話か。リヒカは俺の姿、俺はリヒカの姿——そうやって入れ替わってたんだよ。暗殺した後にな」
「俺たちは最初から、姿を入れ替えていたんだよ。だから死んだのは俺の顔をしたリヒカで、生きているのはリヒカの顔をした俺ってわけだ。簡単な話だろ」
ハンスは血走った目を細め、にやけた笑みのまま腕を組み直す。
ヒナタは、すぐに言葉が出なかった。
「……いや、待てよ」
眉間に皺が寄る。そもそも、ハンスの死体など見た覚えがない。自分の目で確かめたことなど、一度もなかった。あの時、自分はアリュと共に別の道へ落ちていた。ソリュアたちが何と戦っていたのかさえ、本当のところは何も知らない。
「そっちで何が起きてたんだ。魔人に何をされた」
「此処には魔人が住んでたらしい。多分、前にやってきた騎士が死んだのもあいつのせいだ。そいつにリヒカは——胴体を真っ二つにされて殺されちまった」
軽い口調だった。仲間の死を語っているはずなのに、まるで今日の天気を話すかのような温度のなさだった。
ヒナタは、その軽さに、言葉よりも先に胃の底が冷えてゆくのを感じた。確証もないまま、仲間の死を都合のいい説明として並べる男の感覚そのものが、何よりも気味が悪かった。
「お前……それでよく笑えるな」
「は? 何言ってんだ。仲間が死んだのは悲しいさ。でもそれ以上に、仕事が終わってないってことが大事なんだよ、俺たちにとっちゃ」
「終わってない……? お前らの仕事って」
「察しが悪いな。お前だよ、ヒナタ。最初からお前を始末するのが俺たちの依頼だ」
一瞬、言葉の意味が脳に届かなかった。
——自分が、標的だった。
ラベラでもソリュアでもなく、最初から自分自身が狙われていたという事実が、ゆっくりと、内臓の奥まで染み込んでくる。
「な……なんで俺を……」
「お前の顔を借りて、先にラベラ様の首を絞めといたのさ。お前を孤立させるには、ちょうどいい絵だろ」
息が止まりそうになった。その直後、奇妙な安堵が胸を満たした。自分じゃないという確信は持っていた——だが、ほんの僅かな不安は消えていなかった。あの不安定な精神状態で、ラベラに何もしていない保証など、本当はどこにもなかったから。
「はは……やっぱ俺じゃない、あれは……よかった」
「お前の顔を被ったのは俺だよ。お前自身に疑いの目が向けば、それだけで十分、仕事はやりやすくなるからな」
ヒナタの中で、何かが冷たく固まっていく。あの日からずっと自分を責め続けていた感情の渦。記憶にない罪悪感。それすら、誰かの手によって作られたものだった。
怒りよりも先に、立っている足元そのものが崩れ落ちてゆくような感覚に襲われた。
「ふざけ……ふざけるなよ……!」
声が震える。短剣を握る手に力が入るが、太腿の傷が鈍く痛んで、踏み込む姿勢すら整わない。
ハンスはそれを見て、楽しそうに口の端を上げた。
「おっと、その足じゃまともに動けないだろ。可哀想だから、すぐに殺してやるよ。安心しろ」
懐から短剣を抜く。先ほどまでリヒカの姿で握っていたものと、同じ一本だった。構えを見るだけで、戦い慣れた者の気配が伝わってくる。
ヒナタの背筋に、冷たいものが走った。
(まずい——今のこの状態じゃ……)
逃げるべきだと、頭では分かっていた。だが足は、傷のせいだけではなく、根本のところで動こうとしなかった。目の前の現実を理解しきれていない自分自身に、足首を掴まれているような感覚だった。
「さあ、最後に何か言っとくことあるか?」
ハンスがゆっくりと距離を詰めてくる。
コツ、コツ、コツ。
靴音が一歩ずつ、確実に近づいてくる。ヒナタは後ずさろうとしたが、傷ついた足が無様にもがくだけで、思うように下がれない。背中が、冷たい壁にぶつかった。
「依頼者は……クリオラ王か」
少しでも時間を稼ごうと、声を絞り出す。ハンスはその問いに、面白そうに片眉を上げた。
「お、最後に気になるのはそこかよ。まあいいさ。墓場に持っていく話の種にしてくれ」
そう言って、答える気はないとはっきり示すように、短剣を握る手に力を込める。
「言っとくが、痛いのは最初の一瞬だけだ。そのあとはすぐ楽になる」
ハンスの足が止まる。距離は、もう腕を伸ばせば届くところまで縮まっていた。
ヒナタの視界の端で、短剣の先が震えながら光を反射する。心臓が、嫌な音を立てて早く鳴り始めた。
(動け……動けよ……!)
足は応えなかった。傷の痛みよりも、何かもっと根本的なものに縛られているような感覚だった。
ハンスが、最後にもう一度笑う。
「じゃあな、ヒナタ」
短剣が、振り上げられる。
「使えるかわからないけど」
声が掠れた。腰に力を込め、口を一気に開き、力の限り唱える。
「風の神よ、力を吸引せよ——『フォーリェ』!!」
ゴオッ。
ハンスの体が、わずかに後ろへ引かれる程度の風が吹いた。足がバランスを崩しそうになる。
「おっと……魔法、使えたのか」
「初めてやった。それにしても……アリュやソリュアより威力が弱いことに驚きだ」
その隙を逃さず、拳を握る。叫びながら、ハンスの笑った顔面に全体重を乗せた拳をぶち込んだ。
ゴッ。
拳の先に、歯が折れたような硬く嫌な感触が走る。ハンスの口から血が垂れ、口元についた血を、彼は無造作に手で拭った。
再びにやけた笑みを浮かべたかと思うと、体勢を低くして再び突っ込んでくる。
「最初は腑抜けた奴かと思っていたが、確かに覚悟は決まってる。だけどよ——覚悟だけじゃ乗り切れねえこともあるんだぜ」
「…っつ!」
ザシュッ。
ハンスの短剣が、ヒナタの左腕を裂いた。
グシャ、という音とともに、切り裂かれた腕が壁に叩きつけられる。痛みをこらえ、ヒナタはハンスに背を向け逃げようとする。
だが、背中に短剣が深く突き刺さった。
ドスッ。
痛みをこらえきれず、扉の前で前のめりに転倒する。必死に逃げようと、地面を手で掻きむしる。爪が割れ、薄く血が滲んだ。
「ガハァ……っ……うぐ……あぁ……また、この世界でも……死んで……アリュ……ソリュア……らべ……」
「悪いな。お前が少し抵抗したもんで、苦痛を与えすぎたな」
ハンスが背中の短剣を引き抜くと、ヒナタの頭上にそれを持ち上げた。
口、腹部、足、腕——その全てから流れる血液が、盛大な血だまりを床に広げていく。ヒナタの服を、じわじわと赤く染め上げてゆく。
「来世は、敵を作らないよう人付き合いしていきな」
短剣が、頭上から振り下ろされる。
——確実に、絶命した。
それを見たハンスは、心底憐れむような目でヒナタを一瞥すると、何の感慨もないままその扉を閉めた。
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「そろそろヒナタさんのところへ戻りますか」
「うん…」
湯けむりが視界を遮る中、アリュとケイラはようやく戻ろうとしていた。
風の魔法で体を乾かし、再び甲冑を着始めるアリュ。ケイラも準備を整え、先ほどの場所へ戻ってゆく。
「あれ、ヒナタさん?」
「どこだろう……もしかして……ラベラ様のところへ行ったのかもしれない」
「だとしたら修羅場確定ですよ。急がないと」
廊下の扉が、ゆっくりと開く。
茶髪の、ヒナタと同じくらいの年齢に見える人物が、アリュとケイラの前に姿を現した。
その人物は、ほぼ裸の状態を布一枚で覆っていた。見覚えのない姿に、二人は一瞬戸惑う。
「え……だれですか? ていうか、なんてその格好してるんですか!?」
「俺? 俺はたしか……なんかバイクに轢かれて死んだと思ったら——それより、あの部屋に……死体が……」
その声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。
「ば……いく? それはわからないですけど……ここにいたら危ないので、一旦ついてきてください」
男は、自分が今いる場所そのものに困惑しているようだった。別の世界から来たかのようなことを、ぶつぶつと呟いている。慌てふためきながらも、ケイラとアリュの後について歩き出す。
三人は階段を下り、ソリュアとラベラの姿を探しに下層へと向かった。
「ソリュアさ~ん、ラベラ様~~どこですか~~!」
下のほうの扉が、不意に開いた。
そこから現れたのはラベラだった。ラベラはこちらを見るなり目を見開き、驚いた表情のまま、こちらへ向かって駆けてきた。
「犯人が分かった……ヒナタじゃなかった。犯人は……」
息が乱れている。言葉の途中で、何度も喉が詰まったように止まる。
「死んだはずのハンスが……血だらけで廊下をうろついてるのを見たの」
アリュとケイラは、その一言に言葉を失った。
身内の中に、犯人がいた。
ケイラにとっては、それ以上の意味を持っていた。長く尊敬してきた騎士長の裏切り——その事実だけで、胸の奥が抉られるような感覚に襲われる。唇を強く噛みしめ、握った拳がかすかに震えていた。
アリュは、ソリュアからリヒカ以外の騎士は全員死んだと聞いていたことを思い出す。
——だとすれば。
「リヒカが、ハンスのふりをしている……?」
声にすると同時に、背筋に冷たいものが走った。
ラベラが、ふと指を差す。
「で……誰、その人」
「俺は、サワミヒナタ。日本の東京ってところから来たんだけど、わかるかな?」
「え……ヒナタ?」
ラベラが、戸惑いながらその人物を見上げる。
「ヒナタ……同じ人じゃないよね。見た目、全然ヒナタじゃないし」
(やっぱり俺は、転生したらしいな。でも、ここはどこだ……ダンジョンの中か? それに状況的に、この女性は俺のお姫様的な人物だな。最高じゃないか)
ラベラがその男をじっと見つめる。何かを確かめるように、視線が動かない。
数秒——だが、ヒナタにとっては永遠にも感じられるほどの静寂が流れた。
やがてラベラの表情が、再び驚きに変わる。
「権化がある……。確かに、ということは——本当にヒナタ、それとも……」
「え……どうしたの……」
「なんでもない。本当に、その男はヒナタらしい。何があったのか分からないけど……見た目が変わったり、記憶がなくなったりしてるのかもしれない」
声に、隠しきれない動揺が混じっていた。
本人は、その緊張感など知らぬ顔で、ぼんやりと自分の妄想に浸っていた。
頭の中では——バイクの事故から瞬時にこの場面に飛んできたことになっている。寝起きの頭で、僕が考えた最強の未来を、全力で想像しているだけだった。
その時、ラベラの背後から、緑髪の人影が風のようにすっと現れた。
ラベラだけではない。ケイラとアリュも、その姿を見て息を呑んだ。
——リヒカだった。
「ヒナタっていうんだ、その人。さっき会ったよね~。おかしいな、傷もないし、見た目もすごい変わってるし……やっぱり、その人が前のヒナタに変装してたんじゃないのかな」
声は、軽く、何の重みもないように響く。
「……リヒカ! そんなわけないでしょ。嘘つかないで、犯人はあなたでしょ」
ラベラの声が、刃のように鋭くなる。
リヒカを見た瞬間、サワミヒナタと名乗った人物が、何かを思い出したかのように腰を抜かす。
額から、冷たい汗が一気に噴き出した。目を見開き、何か隠れる場所を探すように視線が左右に揺れる。
「お……お前は……思い出した。俺は……お前に殺されたんだった……! う……うぐっ」
声が、震えている。
(俺は、一回この世界を体験してるらしい。少し濁った記憶の中で——こいつだけは、どす黒く、濃く張り付いてる。あの激しい痛み、耐えがたい怒り……今はそれしか思い出せないが)
「何のことかわからな――いッ。なんてね。殺すしかねえか、身内でも」
リヒカの口角が、ゆっくりと持ち上がる。
腰に下げた短剣を抜き取り、刃の先をアリュへ向けた。
次の瞬間——姿が、消える。
ヒュッ。
気づいた時には、アリュの背後に立っていた。頭上から、短剣が振り下ろされる。
アリュは振り返ることすらせず、リヒカの皮を被ったハンスがいた方向へ顔を向けたまま、甲冑の中から低く唱える。
「『スぺラード・オルタ』」
ピシリ。
空気が、一瞬で凍りついた。
廊下一帯に、氷が音を立てて広がっていく。ハンスの持つ短剣と、それを握る腕が瞬く間に凍結し、氷は腕を伝って肩、胸元へと這い上がっていく。
「……っ、ぐ……!」
ハンスは痛みに耐えながら、凍りついた腕を力任せに叩き割った。
バキッ。
血は出ない。だが、骨の奥まで凍えるような痛みは、確かに彼の体を貫いていた。額から滲んだ汗すら、空気に触れる前に凍っていく。
——アリュの実力が、紛れもなく本物であることを物語っていた。
「暗殺部隊第三士団団長、スクリュアー・テーペンター……それが俺の本名だ。聞くのは、これが最後だろうよ」
凍りついた右手から短剣を外し、左手に持ち替える。動きに、一切の迷いがなかった。
「どっちにしろ、終わるのはお前らになるか俺になるかだ……お手合わせの続きを願おうか、アリュ様」




