第三章 32:意外と悪くない
パチパチと爆ぜる焚火を挟んで、パティアとルナが座る。
疾うに日は落ちて、辺りはすでに闇に覆われている。街道の脇の森の中、わずかに拓けた場所で二人は野営していた。地面がすでに黒焦げているところから察して、旅人たちがよく利用する場所なのだろう。
携帯していた革袋から干し肉を取り出して、ルナが齧る。
パティアは焚火をぼんやりと眺める。その大きな瞳には、映った炎がゆらゆらと揺れていた。
「いる?」と、ルナが革袋を差し出す。
艶っぽく、橙色に染まった顔を、パティアはゆっくりと横に振った。
ルナは小さく息を吐くと、脇に革袋を無造作に置いた。
「そう言えばさ」と、パティアは焚火を見つめたままで言う。
「あなたって、ヴァンパイアなんでしょ」
「半分ね。母は人間よ」
ルナはなんでもないことのように答える。手元の枯れ枝を、焚火の中に放り込んだ。火の粉が舞って、炎の勢いが一瞬だけ弱まる。
「いつも普通に食べてるけれど、生き血は啜らないの?」
パティアの問いに、ルナは少しだけ考える。
「…別に。血を吸わなくても、こうやって生きてるし」
「そうなんだ」と、パティアは顔を上げた。
ルナの青白い肌も、焚火の炎の色に染まっていた。こうして改めて眺めると、この大人びた端正な顔立ちは、とても十五歳の少女だとは思えない。
「あなたの他に、ヴァンパイアはいるの?」
「知らない。少なくとも、会ったことはないわね」
ルナは眉を顰めて、パティアを見据える。
「そんなに興味がある?」
「んっ」と、パティアが唇を尖らせる。
「まったく無いって言ったら嘘になるけど」
パティアは言葉を探す。しばしの沈黙が二人の間に落ちた。
夜風が、カサカサと葉っぱを揺らす。ぐるりと木々に囲まれて、二人の頭上だけがぽっかりと空に通じていた。切り取られたような夜空で、幾つもの星が瞬く。
「ルナはどうして、こんな正義の味方みたいなことをやってるの」
「…シュタが勝手にやってるだけで、私は別に――」
言いかけて、ルナはふと目を瞑る。そして、思わず噴き出した。
「何なの。その、正義の味方って」
堪え切れずに、ルナが笑い声を漏らす。
ルナがひとしきり笑い終えるまで、パティアは唇を曲げて不満そうに睨む。
「何よ」と、パティアが冷めた口調で責める。
「いや、言葉選びが、パティアらしいなって」
思い出したように、ルナは再びお腹を押さえて笑う。
そんな彼女を、パティアはじっと静かに見つめる。しばらくして、呟くように言った。
「あなたも笑うことがあるのね」
今度はルナの方が唇を曲げて、パティアを睨んだ。
「私を何だと思ってるの」
ルナの頬が、わずかに赤く火照ったように見えた。焚火のせいだけでは無さそうだ。
拗ねたような表情を見せる彼女を眺めていると、十五歳という年相応な一面にも気付かされる。この銀髪の少女が、魔族すら圧倒する魔力の持ち主だということを忘れてしまいそうになる。
ルナを眺めながら、自然とパティアは微笑んでいた。
そんなパティアを不服そうに睨んで、ルナはさらに表情を険しくする。
しかし、次の瞬間。ルナは真顔で、ふっと視線を焚火に落とした。
彼女の突然の変化に気付いて、パティアは訝しげに眉を寄せた。
「私さ、むかし殺されそうになったことがあるの」
ルナが独白するように呟く。パティアも表情を改めて、その言葉に静かに耳を傾けた。
「とんでもない奴に命を狙われてさ。シュタとリディアに助けてもらえなかったら――。今、私は、ここにはいなかったわ」
パティアが小さく首を傾げる。
「リディア、って?」
ルナはゆっくりと深呼吸すると、枯れ枝を摘まんで焚火に放り投げた。
「シュタの、かつてのパートナーよ」
「へー」と、パティアが相槌を打つ。
「今はどうしてるの。そのリディアさんは」
ルナが顔を上げる。そして、パティアに柔らかい笑みを向けた。
「死んだわ。私を守るために」
パティアが目を見開く。口をぽかんと開けたまま、ルナを唖然と凝視する。
ルナは両手の指を組んで頭上に上げると、大きく体を伸ばした。
「だから、私がリディアの代わりに、シュタを手伝ってるの。多分ね――」
ルナは言葉を切って、夜空を見上げた。
「シュタは、リディアのこと好きだったと思う」
咄嗟にパティアは腰を浮かすと、ルナの元へ駆け寄って抱き締める。
「ちょ、ちょっと…」
逃れようとルナが体を捩らせるが、パティアは放さない。さらに腕に力を込めて、ルナの頭を抱え込んだ。
抵抗を諦めて、ルナはパティアの腕に手を重ねた。
パティアの体温がじんわりと伝わってくる。鬱陶しいが、意外と悪くない気持ちに、ルナ自身も少し戸惑う。
二人の体が揺れる。そのまま、ごろんとその場で横に倒れた。
パティアがゆっくりとルナの後ろ頭を撫でる。
ルナは目を閉じた。すっと眠気が迫って来る。そのまま、ルナはその眠気に身を委ねた。
遠くの方で、何かの気配を感じた。野生の動物だろうか。ふとそんなことを思いながら、ルナの意識は少しずつ深い水の底に沈んでいった。




