第三章 31:スカウト
噴水の縁に腰掛けたソラヤが、子供のように足をぶらぶらとさせている。
エルザハの北側。噴水を囲むように、円形の広場に様々な商店が並ぶ。ソラヤは腰を捻って上半身だけを振り向かせて、吹き上がる水しぶきを眺めた。
午後の日差しを反射して、水しぶきがきらきらと光る。ソラヤはその眩しさに目を細くした。
その時、商店の一角がひと際大きな歓声で沸いた。自然とソラヤの視線がそちらに向けられる。
屋台の前で、自分の倍はありそうな体格の男と、ウィルが腕相撲をしていた。ウィルが力むたびに、腕を乗せた酒樽がギシギシと軋む音を立てる。
男の筋肉で盛り上がった腕に、太い血管が浮き出てくる。鼻息荒く男が腕を引き込むと、ウィルの腕が酒樽に激しく叩き付けられた。
「奢りだな」
男はにやりと笑みを浮かべると、屋台の方を向いて大声で酒を注文する。ウィルは悔しそうに懐から硬貨を取り出して、テーブル代わりの酒樽の上に置いた。
「おい。次の奴はいねえか」
男は腕まくりしながら周囲を見回して、次の挑戦者を探す。
ウィルは腕を擦りながら屋台から離れると、噴水までやって来た。
「弱っちいのね」
つまらなさそうに言うソラヤに、ウィルは弱々しい笑みで返す。
「ただ酒は無理でした」
「馬鹿みたい。何が楽しいの」
ソラヤが呆れたように、再び噴水に視線を戻した。ウィルがゆっくりとその隣に腰を下ろす。
「とても楽しいですよ。この街の人たちって、良い人ばかりですね」
はしゃぎ声を上げて、二人の近くを子供たちが駆け抜けていく。
何も聞こえていないかのように、ソラヤは黙ったまま水しぶきを眺める。その表情からは、何を考えているのか窺い知ることができない。
ウィルも不安になって、彼女の横顔を見つめる。
「どこに行く予定なの」
ソラヤがぽつりと言う。
一瞬、何を聞かれたのか分からず、「え?」とウィルは聞き返した。
「冒険者なんでしょ。依頼か、何かなの」
「あ、そういうことですね」
ウィルは少しの間、言葉を考える。
「テーベイって村、知っています?」
「…テーベイ?」と、繰り返しながらソラヤが振り向く。
「聞いたことない。どこなの」
「ええと、なんだっけな。アリレナって街の近くだって言われたような」
ソラヤは視線を逸らしてしばらく考えた後で、再び顔を上げた。
「アリテアでしょ、それ」
視線を落として、ソラヤは足をぶらぶらと揺らす。
「ここから、さらに北に行ったところにある街よ」
そして、自身の足元を眺めたままで続ける。
「表では、そのマリオール訛りは控えた方がいいわ。この街の大多数は、マリオールが嫌いだから」
「今朝もそう言っていましたよね」
ウィルの言葉に、ソラヤは直接には答えない。
「何もないただの荒野だったこの地に、街を作ったのは私たちケルヴァ人よ。それが、十年ぐらい前、マリオールの武力を後ろ盾に、ナーヴァ人が実質的にこの街を支配するようになった」
ソラヤは揺り動かしていた足を止める。じっと自身のつま先を見つめた。
「――その首長が、ファルク・ナディール」
その時、不意にソラヤの足元から伸びてきた大きな影が、噴水の縁に座る二人を覆う。ふと顔を上げると、そこには大男が立っていた。先ほど腕相撲でウィルを負かせた男だ。
「おい、お前」と、大男がウィルの目の前に仁王立ちする。
「お前、マリオールの人間か」
大男は睨むような目付きで、ウィルを見下ろす。
「そ、そうですが…」
戸惑いの表情で見上げるウィルを、大男は静かに見つめる。
「この人は違うの――」
ソラヤが咄嗟に立ち上がる。
その時だった。突然、大男は破顔して両腕を広げた。
「おお、そうか。マリオールか。俺もだ。こんな所で会うなんて奇遇だな」
大きな笑い声を響かせながら、広げた両腕でウィルを抱き締める。その力強さに、思わずウィルは口の端を歪めて身を捩らせた。
痛がるウィルに気付いて、大男は慌てて腕を緩めた。
「おっと、すまん。あまりにも嬉しくてな」
そして、ウィルの耳元で意地悪そうに囁く。
「この街の人間は、マリオール出身者に対して警戒心が強くて面倒なんだ」
拍子抜けして、ソラヤは唖然と佇む。大男はそんな彼女には目もくれずに、親しげにウィルに話し掛け続ける。
「俺は、ペルセイドの生まれでな。仕事でこの街に来ている。――お前は?」
笑顔で迫られて、ウィルは愛想笑いで答えた。
「この街で人を待っています。トラブルで、遅れているようなので」
「そうか」と、大男は笑顔で頷いた後、腕組みして何かを考える素振りを見せた。
しばらくして、何度か小さく頷くと、口元をにやりと歪めた。
「暇なら、俺たちの仕事を手伝わないか?」
「えっと、…仕事ですか」
不安そうに聞き返すウィルに、大男は笑顔のままで続けた。
「俺たちは、この街の外れにある遺構で、神殿の建築工事をやっているんだ。だが、人手不足でなあ。数日でもいい。手伝ってくれたら助かるんだが」
大男の言葉を聞いて、ウィルとソラヤは思わず顔を見合わせた。
「さっきの腕相撲も、なかなかのもんだった。良い腕っぷしだ」
そう言うと、大男はウィルに顔を近付けて声のトーンを抑えて囁く。
「それに、この街の奴らよりも、マリオールの人間の方が信用できる」
ソラヤが力強く頷く。
それを受けて、ウィルも目の前の大男を見つめた。
「分かりました。仲間がこの街に着くまでで良いのなら、お手伝いさせてください」
「もちろんだ。そうかそうか、大助かりだ」
大男が嬉しそうに目を輝かせる。
その時、隣でそれを見ていたソラヤが自身の胸の前で手を握り締めて言った。
「私も、何かお手伝いできることはありませんか?」
振り向く大男を、ソラヤはじっと見つめる。
「お嬢ちゃんもか。飯は炊けるか」
「はい。料理は得意です」
食い気味で答えるソラヤを、大男は視線を上下に流して値踏みするように眺めた。
「まあ、いいが、給金はそんなには払えないし」
大男は一旦、そこで言葉を切る。そして、何かを思い出すように眉を顰めた。
「…怖い、お局がいるが、それでも大丈夫か?」
「はい」と、ソラヤは間髪入れずに答えた。
「よし。分かった」
大男は大きく息を吐いて、軽く身なりを整える。
「改めて、二人ともよろしくな。俺は現場主任のハリクだ」
大男は名乗ると、そのごつい大きな手をウィルに向かって差し出した。
「よろしくお願いします」
ウィルは緊張した面持ちで、彼の手を握る。
ハリクは次に、ソラヤにも手を向けた。ソラヤは頷きながら、その手を力強く握った。
「――これが遺跡か」
シュタインが独り言ちる。
エルザハの西の外れ。海岸線まで続く、小さな森。切り拓かれた道を進むと、すぐに小高い丘が姿を現した。
よく見れば、丘の土盛りが至るところで崩れ落ちて、石造りのブロックが剥き出しになっていた。丘の上にはやぐらが組まれている。ソラヤが持ってきた図面の通りであれば、この上に三階建ての神殿を建てるつもりなのだろう。
丘の東側の斜面には、内部へ伸びる黒い穴がぽっかりと空いていた。今はその穴の前には金属製のバリケードが幾重にも設置されており、中に入れないようになっている。
近くの掘っ立て小屋から、男がのっそりと顔を覗かせる。
「おい、にいちゃん。ここは観光地じゃねえぞ」
男はシュタインを怪しむような視線を向ける。小屋の中には、まだ複数の人の気配がした。
「すみません。迷ってしまって」
笑顔で頭をへこへこと下げるシュタインを見て、男はさらに眉間の皺を深くした。
「迷って、来るような場所じゃねえだろ」
シュタインは笑顔を崩さずに、丘の方を眺める。
「これはなんなんですか」
ドアががたんと閉められる。つっかえ棒を外す音が聞こえてきて、再びドアが開けられると、男が小屋から出て来た。その手には、角材が握られていた。
「にいちゃん、あぶねえぞ。まだ仮設を組んだばかりだ。それ以上、近付くな」
男はシュタインの横に並ぶと、一緒に丘の方へと視線を向けた。
「神殿を建てているんだ。女神さまの神殿と聞いているが、――まあ、俺たち職人にはどうでもいいことだ」
「遺跡の上に、ですか」
男が振り向いて、眉を顰める。
「にいちゃんは、学者か何かか」
「そんなもんです」
飄々と答えるシュタインを眺めて、男はため息を吐いた。
「よくあるんだ。昔の神殿の跡に、新しい神殿を建てるってことは。あんたら学者は気に食わんだろうがな」
「地下で事故があったらしいですね」
シュタインの言葉に、彼はゆっくりと首を左右に振った。
「ああ、そう聞いてる。地下はまだ封鎖中だ」
背後から微かに、小枝を踏む音が聞こえてきた。シュタインは正面を向いたまま、目線だけで後ろの様子を探る。
「――こっちを尾けてきたか」
呟くシュタインに、男が訝しげに顔を向ける。
シュタインは笑顔で応じると、男の肩を軽く叩いて振り返った。
「邪魔したな」
「気にするな、にいちゃん。今日は現場は休みなんだ」
見送る男に手を振って、シュタインはその場を後にした。道を引き返しながら、先ほど音が聞こえてきた方向を見やる。
木の幹の陰に、人の姿がちらりと覗く。どうやら男のようだ。シュタインは切り拓かれた道を外れて、人影の方に向かった。
幹の向こう側で、男が動揺しているのが分かる。
「俺に何か用か」
シュタインが声を掛けるが、男は隠れたままで微動だにしない。
一歩、シュタインが足を踏み出した。その瞬間、木陰から飛び出した男が、逃げるように街の方へと駆け出した。
シュタインはそれを追わずに、その場に佇んで、走り去る男の背中を眺めた。
「素人なんだよ」
右耳を掻きながら、シュタインが呆れたように呟いた。




