第三章 30:再び、ウィヴロス渓谷へ
キュケロナの城壁の外まで見送りに出たクランドゥに、パティアが丁寧にお辞儀を返した。
「わざわざ、ここまでありがとうございます」
「いえ」と、クランドゥは笑顔を見せる。
「任務の達成と、パティア様のご無事を、ここで祈っております」
パティアの頬がぴくりと引き攣る。表情を悟られないよう、彼女は顎を上げて斜め上に視線を向けた。
「そ、そうね。任せてちょうだい。マイヤー卿、あくまでも極秘なので、口外は無用です」
「心得ております。是非、ご無事で」
クランドゥに見送られて、パティアたちは再び国境へ向けて旅立った。
街道を北西へ進む。途中で、ルナはふと後ろを振り向いた。
遠くに、クランドゥとその従者たちの姿が見える。彼らはまだその場から立ち去ろうとはせずに、じっとこちらを見据えていた。
視線を戻すと、ルナは先頭を歩くパティアの背中を眺めた。彼女の歩調に合わせて、背中で長い金色の髪が跳ねている。
ルナは陽光を遮るために、外套のフードを被り直した。
街道が走るなだらかな丘陵の向こう側に、パティアたち一行の姿が見えなくなったのを確認したクランドゥの表情から、潮が引くようにすっと張り付いていた笑みが消える。彼は横に顔を向けながら、背後に控える従者たちに小声で言い放つ。
「――あれは、第二王女を騙る偽物だった。良いか」
従者たちが短く返事するのを聞きながら、クランドゥは再び向き直って丘陵を眺める。そして、ふんと鼻を鳴らすと、街の方向へ振り返った。
一行は聳えるルビナ山脈に沿って、街道を進んで行く。
道の両側には鬱蒼と木々が生い茂っている。この辺りは森を切り拓いて整備されたのだろう、道幅はやや狭い。時折、離れたところから、カサカサと枝の擦れる音が聞こえてくる。
半日ほど歩いたか、一行は街道から外れる。しばらくすると、視界が開けて村が見えてきた。
「さすがは、マイヤー卿ね。もう援軍が来てるわ」
パティアの言うとおり、既に村の方からは多数の人の気配がした。
村の中央には、何台もの馬車が並んでいる。もう運び終えたのか、村を出る前にはそこに置かれていた隊商の部下や私兵たちの遺体は既に無かった。
派遣された兵士が、異形の女たちの遺体を村の隅っこに運んで積み重ねる。その兵士たちの中に、汗だくになったクラウスの姿もあった。
クラウスが一行に気付いて、顔を上げて額の汗を拭う。
「だいぶ早かったな」
黄ばんだ歯を剥き出しにして、にかっと笑う。
「助かったよ。死体に囲まれてるとさ、本当は俺も死んでるんじゃないかって気がしてくるんだよな」
「馬鹿なこと言わないで」
パティアが村の中を見回しながら、クラウスの元へ歩み寄る。
壊れた建物もあるが、ほとんどの家は人が暮らしていたことを感じさせる、しっかりとした造りだ。とても急ごしらえなものだとは思えない。
「この村は、何だったのかしら」
パティアが独り言ちる。
最初は、魔物の討伐隊に男手を取られて、居残った女性たちだけの村だと思った。しかし、住民たちはすべて魔物に取って代わられていた。今となっては、村を乗っ取られたのか、それとも元々の住民が魔物に変化させられていたのかは分からない。
この村の目的も不明だ。ロミが関係しているのか、それとも国境を押さえるためだったのか。
気が付けば、パティアは積み重ねられた異形の遺体の山の前に立っていた。
積み上げられた数十体もの遺体を、じっと眺める。――まるで戦争だ。生まれ育ったこの国で、このような悲劇を許しても良いのか。
最後の遺体を、兵士が山の頂に積み重ねる。
「どうしますか。燃やしますか?」
近くにいた兵士が、パティアに声を掛ける。パティアは視線を巡らせると、銀色の髪の少女を見つける。
「――ルナ」
名前を呼ばれて、ルナが面倒臭そうにやって来る。
「出来る?」と、問うパティアを、ルナは目を細くして見つめ返す。
「何を?」
「王都の地下水路のあれ、ルナがやったんでしょ」
ルナは小さくため息を吐くと、短く詠唱する。彼女が外套の裾を払いながら腕を振るうと、遺体の山が青白い炎に包まれた。
思わぬ炎の勢いに、側にいた兵士はおろか、パティアも咄嗟に身を引いた。
「間近で見るのは初めてだけど、本当に凄いのね」
パティアが感心したように呟く。不思議な炎だ。勢いはあるけれど、見た目ほどの熱は感じられない。視線の先で、遺体が次々にぼろぼろと黒炭になって砕けていく。
「パティア様、ルナ様。お話が…」
二人の背後から、メルリネスが声を掛ける。
振り返ったパティアの顔を見て、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。
「私は一旦、エルドヴァルに戻ります。隊商もこのような状況ですし…」
「仕方ないわね」
答えるパティアの隣で、ルナは顔を逸らして燃え盛る遺体の山へ視線を移した。覚悟の上だとは言っていたが、メルリネスは同行した部下をすべて失ったのだ。
「テーベイまでご一緒できずにすみません」
メルリネスは深々と頭を下げる。
そして、「これを」と、上着の内ポケットから封書を取り出す。
「エルザハの支店に渡せば、テーベイまでの便宜を図ってもらえるはずです」
「ありがとう」と、パティアは微笑んで封書を受け取った。
「いえ。お二人とも、お気を付けください。――ご一緒できて、光栄でした」
メルリネスはパティアと握手を交わした後、顔を上げてクラウスを呼び寄せた。
「こりゃあ、派手な火葬だな」
やって来たクラウスが、燃える遺体を見て感心したように声を上げる。
「私たちはエルドヴァルに帰ることになった。二、三日の内に、キュケロナの支店から応援が来る。積み荷をまとめる用意をしてくれ」
「それがなあ…」と、クラウスはばつが悪そうに後ろ頭に手を当てた。
「食糧に、ちいとばかり手を付けちまった」
メルリネスが小さく息を吐いて、苦笑する。
「緊急事態です。仕方がない」
顎に手を当てて、ルーファスが興味津々に燃え盛る炎に腕を伸ばそうとしている。
「ルーファス」と、メルリネスがそんな彼の名前を呼んだ。伸ばしかけた腕を引いて、ルーファスがおもむろに振り向く。
「君にも、申し訳ない。私たちと一緒に、エルドヴァルに来てくれ。唯一の生き残りとして、証言してほしい。それで仕事は終わりだ。報酬も、そこで渡す」
「…ええ。分かりました」
ルーファスが笑みで答える。
「お別れね。残念だわ」
パティアが歩み寄って、腕を差し出す。ルーファスはその手を取ると、意味ありげに口の端を歪めた。
「また会えますよ。きっと、近いうちに」
二人の握手を眺めて、ルナが露骨に眉を顰める。どうして、あの男の違和感に気付けないのか。そんなパティアにも苛々してくる。
ルーファスが振り向いて、視線をルナに向ける。
拒絶するように、ルナはさっと振り返る。そして、一人で村の出口の方へ歩き始めた。
「ちょっと、ルナ。待ちなさいよ」
立ち去るルナを、パティアが慌てて追いかける。
「嬢ちゃんたち、達者でなあ」
二人の背中に向かって、クラウスが大声で叫ぶ。振り返らずに、ルナは片腕を振ってそれに応えた。




