第三章 28:…どうしたもんかな
むくれた顔付きで茹でた緑豆をフォークで刺す、深い青色の髪の女性を、ウィルは気まずそうに上目で窺う。
清潔なテーブルクロスで覆われた食卓に、シャフリアルが用意した遅めの朝食が並ぶ。ウィルの隣で、シュタインは自分に取り分けられた分を早々に空にしていた。
「なんで、こんな得体の知れない人たちと…」
「聞こえてるぞ」と、シュタインがティーカップを口元に運びながら言うが、ソラヤにはまったく悪びれたような素振りは見えない。彼女はシュタインを、不機嫌な目付きで睨め付ける。
居心地の悪い空気をなんとか変えようと、ウィルがおずおずと口を開いた。
「どうして衛兵から逃げていたんですか」
言葉を発したウィルを、ソラヤがキッと睨む。
「父の話を聞いていなかったの」
その剣幕に、思わずウィルはたじろいでしまう。
「そもそも、そのマリオール訛りも気に食わないのよ。お上品ぶって、何様のつもりよ」
助けを求めるウィルの視線を受け流しながら、シュタインはティーカップをソーサーに戻した。
「ファルク・ナディールってのは、そんなに酷い君主なのか」
「――酷い?」
ソラヤの目付きがさらに鋭くなる。
「強奪者よ。エルザハは、あいつらに乗っ取られたのよ」
言い放つソラヤを、シュタインは目を細くして見据えた。
戸惑うウィルを中心に、居心地の悪い静寂が辺りを包む。しばらくして、何かを察したように、ソラヤはゆっくりと息を吐いた。
「あなた達、本当に何も知らないのね」
ソラヤはティーカップを引き寄せて、ひと口だけ啜った。彼女の気の強そうな眉は、険しく歪められたままだ。
「十年ぐらい前のことよ。ファルク・ナディールが、マリオールを後ろ盾にしてこの街を簒奪したのは。形式上は元老院が推挙したことになっているけれど、実際は槍先を突き付けて脅したようなものよ」
そう言って、鼻の付け根に皺を寄せる。その仕草が、ウィルの記憶の中で、見知った顔の金色の髪の女性に重なる。
「それで、引き摺り落としたいってわけか」
シュタインが言葉に含んだ厭味に気付いていないのか、ソラヤは大きく頷いた。
「元老院の大多数は、私たちを支持してくれるはずだわ。――でも、決定打が足りない」
ソラヤが険しい表情のまま、ふっと目を伏せた。次に彼女の視線が持ち上げられたとき、その瞳には強い決意が宿っていた。
「遺跡の発掘途中の事故に見せかけて、調査員たちが殺された。この一件の証拠を掴んで突き付けてやれば、ファルク・ナディールを退陣に追い込むことができるはず」
思い出したように、ソラヤが立ち上がった。
「ちょっと待って」と、彼女は無造作に自身の胸元に手を入れる。そして、折り畳まれた紙の束を取り出した。
ソラヤは紙の束を、テーブルの真ん中に半ば叩き付ける。
「ファルク・ナディールは、遺跡を神殿に建て替えようとしているの。これがその図面よ」
テーブルの上でそれを広げる。彼女の言うとおり、何層にもなる建築物の平面図がそれぞれの紙面に記載されていた。
「昨日、ようやく手に入れたのよ。大変だったんだから」
自慢げに胸を張るソラヤを、シュタインは呆れ顔で眺めた。
「だから衛兵に追われてたってわけか」
ウィルの視線が、図面の一角に引き寄せられる。
「悪魔の話って、地下でしたよね」
その言葉に、ソラヤとシュタインもテーブルに広げられた図面へ視線を落とした。
「この記号って、何なんでしょうか」
地下のものと思われる平面図の中央に、円と弧を組み合わせた奇妙な記号が描かれている。それ以外には何もない、空白がただ広がっていた。
「女神のシンボルだな」
シュタインが興味なさそうに答える。彼の視線は、すぐに他の紙面に向けられていた。
「…女神ですか。マリセア様でしょうか」
大海が持つ穏やかさと荒々しさを司る、海神マリセア。ウィルはその記号を静かに見つめる。
「そんな異教徒の神殿なんて断じて許されないわ」
思わずウィルはむっとして、ソラヤを見返す。ウィル自身は熱心にマリセアを信仰しているわけではないが、それでも生活と共に女神の存在は自然とあらゆる場所にあった。
「異教徒は、言い過ぎじゃないですか」
ソラヤは口元を歪めて、嘲るように顎を上げる。
「神は、ただ一人よ。アシュタル様以外は、眷属か悪魔よ」
「北の国の神だな」
手に取った一枚の紙を面白くなさそうにテーブルに放りながら、シュタインが言う。
「ケルヴァの民か」
「そうよ」と、ソラヤは応える。
「このエルザハは、私たちケルヴァ人が作った街よ。異教徒も、異教の神も、この街からは排除されるべきなのよ」
シュタインが息を吐きながら、肩を竦めた。
「何を信じるかは、個人の自由さ。どうせ、どこにも真実はない」
「なっ…! アシュタル様を愚弄するなんて…!」
食って掛かろうとするソラヤとシュタインの間に、慌ててウィルが割って入る。
「落ち着いてください。シュタインさんも煽らないでください」
ウィルに咎められて、シュタインは少しだけ悪びれたように苦笑いする。
ソラヤは腕組みをしてシュタインを睨むと、ふんと顔を逸らした。間に挟まれたウィルが、困ったように両者を見比べた。
シュタインがため息混じりに、ソラヤに声を掛ける。
「それで、お嬢ちゃんはこれからどうするつもりなんだ?」
ソラヤは変わらず不機嫌な顔付きで、シュタインを睨み返した。
「すぐに遺跡に乗り込みたいところだけど、警備が厳重で近付けないのよ」
そう恨めしそうに言った後、ソラヤは秘密めいた笑みを浮かべた。
「でも、協力者が潜り込むための準備をしてくれているわ。これから、その協力者のところに行くつもりよ」
「協力者ねえ…」と、シュタインが冷めた表情で独り言ちる。
今朝早く、シュタインたちはシャフリアルの手引きにより牢から解放された。車椅子のシャフリアルと会った後で、足早に部屋から立ち去ったソラヤとウィルを追いかけようとしたシュタインに、シャフリアルは小声で彼にだけ聞こえるようにぽつりと囁いた。
「――どうか、娘を止めてください」
その言葉を思い出しながら、シュタインはソラヤを眺める。
「…どうしたもんかな」
彼はため息混じりにそう呟いた。




