第三章 26:地下遺跡の悪魔
カツン、カツンと、硬い石畳を打つ足音が聞こえてきた。
暗闇の中に座り込んでいたウィルは、顔を上げて音がする方向を探る。どうやら近付いてきているようだ。
徐々に、牢格子の向こう側が明るくなる。しばらくして、角灯を持った兵士が姿を見せた。
兵士の手が伸びて、カチャリと閂が外された。
「おい、出ろ」
軋んだ音を立てて、牢格子がゆっくりと開けられる。ウィルを見下ろすその目は、不満そうに細められていた。
獄舎から出されたウィルは、兵士に続いて中庭を抜ける。東の空が微かに白みを帯び始めていた。
城門の前に二つの人影が佇んでいるのが見えた。
ウィルに気付いた人影の片方が、軽く手を上げる。
「釈放だ」と、兵士が振り向いて言う。
「裏から手を回しやがって。次は徹底的に取り調べてやるからな」
忌々しげに吐き捨てる兵士から、ウィルは困惑した顔付きで視線を逸らした。
「無事で良かったな」
声の主は、笑みを浮かべたシュタインだった。その隣に立つ兵士も、苦々しげな表情で彼を睨み付けている。
兵士に追い立てられるように、シュタインとウィルは城門の外へ出された。
まだ夜明け前の大通りは静まり返っていた。行く先を決めかねて、二人はその場で佇んでエルザハの街中を見回した。
「なんだったんでしょうね」
ウィルが首を傾げる。
それには答えずに、シュタインは街路の一点に視線を向けた。
「運が良かったってだけじゃあ無さそうだ」
シュタインの視線の先に、背筋を伸ばして立つ黒服の男性がいた。
彼は二人を認めて、丁寧にお辞儀する。
「ご無事で何よりです」
そして、頭を上げると真っ直ぐに二人を見据えた。
「主人がお待ちしております。ここは人目に付きます。どうぞ、こちらへ」
黒服の男性は促すように身を翻すと、大通りを西の方向へ歩き始めた。
シュタインとウィルは顔を見合わせる。
「飛び込んでみるのも一興だな」
シュタインは不敵に口元を歪めると、ウィルに片目を瞑って見せた。
黒服の男性の後を、シュタインとウィルが追う。
彼に連れられるままに大通りを外れると、幾つかの角を折れる。豪華な邸宅が並ぶ曲がりくねった住宅街をしばらく進むと、ひと際大きな屋敷が姿を現した。
男性は、その門前で静かに立ち止まる。
鍵は掛かっていなかったようだ。男性がゆっくりと押すと、金属の軋む音を立てて門が開いた。
中庭を通り抜けて、屋敷の中へ案内される。
「ここでお待ちください」
二人を部屋に通すと、黒服の男性は一礼して去って行った。
部屋の中を眺めていたシュタインが、テーブルの上に置かれた二組の剣を見つける。兵士に取り上げられた二人の剣だ。
シュタインは剣を取ると、ウィルの胸元に突き出した。
「俺たちに何かやらせたいようだな」
剣を受け取りながら、ウィルは不安そうに顔を上げる。その時、不意に部屋のドアが開けられた。
現れたのは、車椅子に座った初老の男性だった。彼の後ろから、先ほどの黒服の男性がそっと車椅子を前に押し出す。
木の軋む音を立てて、シュタインたちの前で車椅子が止まる。
「恩人を前に、こんな姿で申し訳ありません。私は、シャフリアル・ザヒールと申します」
初老の男性が深々と頭を垂れる。その背後で、黒服の男性も静かに目を伏せた。
「俺は、シュタイン。こっちは――」
「ウィル・フェルナーです」
二人の名乗りを聞いて、シャフリアルは温和な笑みを浮かべた。
ふと、シャフリアルが上半身を捻って部屋の入口の方向へ声を掛ける。
「これ。こちらに」
部屋の外で衣擦れの音がした。
濃紺色の長い髪を揺らして、若い女性が姿を覗かせた。健康的な直線の眉が、今は不機嫌そうに歪んでいた。唇を尖らせて、シュタインたちとシャフリアルを交互に見る。
思わず、ウィルは眉を顰めた。彼女の顔をどこかで見たような覚えがある。
「娘の、ソラヤです」
シャフリアルの言葉に、女性は小さく頭を下げる。
そんな彼女を、シャフリアルが窘める。
「ソラヤも、お礼を言いなさい」
「あっ」と、ウィルは声を上げた。
「酒場の――」
ソラヤは部屋に入って来ると、車椅子の父親の隣に並んで立つ。
「…先ほどはありがとうございました。どなたか存じ上げませんが、助けてくれと頼んだ覚えはありませんけれど」
おざなりに言い放つ彼女を、シャフリアルは困ったように見つめた。
ウィルの耳元で、シュタインが囁く。
「…どこかのお姫様みたいだな」
「パティアは、もっと思慮分別があります」
眉を顰めて言い返すウィルを見て、シュタインはにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「いや、別に俺はパティアのことだとは言っていないぞ」
ウィルは不服そうに、シュタインを睨む。
シャフリアルは咳払いをすると、改まってシュタインたちを見据えた。
「娘を助けて衛兵に捕えられたと聞きまして、解放に尽力させていただきました」
「ほぅ」と、シュタインが口の端を吊り上げて目を細くする。
「まるで恩に着せるような物言いだな」
「い、いえ、滅相もない」
シャフリアルは慌ててそれを否定する。
「誤解を招いたようでしたら、謝罪いたします。そんな気持ちは毛頭ございません」
大きく頭を下げる。そして、シャフリアルはゆっくりと顔を上げたが、その目は鋭くシュタインに向けられた。
「大変、不躾な申し出であることは、承知いたしております。なにとぞ、この老人の頼みを聞いてはもらえないでしょうか」
困惑した顔付きで見守るウィルの隣で、シュタインも小さく息を吐いた。
「悪いが、俺たちはこの街で人を待っているだけなんだ。合流すれば、すぐに発つつもりだ」
「無理やりに、とは申しません。この街に滞在なされている間だけで結構です。どうか、お願いいたします」
シャフリアルが車椅子から、二人を真っ直ぐに見上げる。シュタインは腕を組んで眉を顰めた。
隣から、おずおずとウィルが口を挟む。
「困っているようですし、話ぐらいは聞いてあげてもいいんじゃないでしょうか」
その言葉に、シャフリアルは目を見開いて笑みを浮かべた。
「おお、感謝します」
シュタインが横目をウィルに向ける。
「しょうがねえな…」
ため息を吐いて腕組みを解くと、片手で前髪を掻き上げた。
ウィルは腰に下げた剣の柄に視線を落として、そっと触れた。それから視線を戻して、シャフリアルを見据える。
シャフリアルは表情を戻して、話し始めた。
「ここにいる私の娘、ソラヤがおこなっている調査を手伝ってもらいたいのです」
「お父様!」と、ソラヤが話を遮る。
「この者たちに頼まなくても、私は大丈夫です」
シャフリアルが優しく咎める。
「恩人に失礼ですよ」
ソラヤは口を閉ざしたが、その瞳は不服そうに二人を睨み付ける。
その態度を眺めて息を吐くと、シャフリアルは再びシュタインたちに向き直った。
「私はこのエルザハで、議員を務めております。来週の元老院で、君主ファルク・ナディールの罷免を求める弾劾決議を提案するつもりです」
あからさまに嫌そうに、シュタインは眉を寄せた。
「俺たちは、この街の政治に首を突っ込む気はないが」
「分かっております。これは、こちらの問題です」
シャフリアルは唇の端をわずかに歪ませる。一度、固く目を閉じて、ゆっくりとシュタインを見つめ直した。
「昨年、郊外で遺跡が見つかりました。数百年か、数千年前か、とても古い神殿と思われる遺構で、すぐに周辺の街からも考古学者たちが集まって来て、発掘が始まりました」
語るシャフリアルの口調は、何故か痛ましげだ。
「しかしある時、地下の発掘をしていた調査員たちと連絡が取れなくなったのです」
ソラヤが目を伏せて視線を逸らした。
シャフリアルは表情を変えることなく、話を続ける。
「落盤事故だという説明でした。未知の遺跡ゆえ、二次被害の惧れもあって、救援隊の派遣も見送らざるを得ませんでした」
「その事故と、君主の罷免と、どう関係するんだ」
何気ないシュタインの問いかけに、顔を上げたソラヤが思いのほか大声で言い返した。
「事故ではないからです!」
「…落ち着きなさい」と、シャフリアルが娘をやんわりと窘める。
ソラヤは唇を一文字に引き結んで、シュタインを睨むように見つめた。
「ソラヤの言う通りなのです。逃げ延びた者が、一人だけいましてな。全身、傷だらけで、すぐに治療に当たらせましたが、…助かりませんでした」
シュタインが、ウィルを横目で見る。
ウィルは悲痛な顔付きで、シャフリアルの話に耳を傾けていた。
「彼の傷は、刀創によるものでした。命を落とす前に、彼はこう言ったのです。衛兵たちに襲われたと」
そこまで言いかけて、シャフリアルは一度、言葉を飲み込んだ。そして、静かに続ける。
「そして、遺跡の地下で、――悪魔を掘り起こしてしまった、とも」




