第三章 25:連行
薄汚れた外套に身を包んで、彼は通りを歩きながら深いフードの奥から周囲を窺う。
日が沈んで、既に辺りは暗い。立ち並ぶ店舗の明かりで、ようやく足元をうっすらと見ることが出来る程度だ。もうすれ違う人の顔すらはっきりとしない。
しばらくして、彼は諦めたように肩を落としながら、一軒の居酒屋のドアを開けた。
安酒の匂いがぷんと漂ってくる。彼の視線は店内を巡り、ふと奥のテーブルで止まった。
顎を上げて、シュタインが麦酒を呷っている。そして、手元のカップを一気に飲み干すと、大声で店員を呼んだ。
露出の高い格好をした女性の店員が、シュタインの座るテーブルにやって来る。
シュタインは、店の入口付近にぽつんと立つ男性にちらりと視線を送る。麦酒を二杯、店員に注文すると、笑みを浮かべて男性を手招きで呼び寄せた。
「遅かったな、ウィル」
フードをそっと剥ぎ取りながら、ウィルはテーブルに歩み寄る。
「やっぱり、見つかりませんでした」
首を横に振りながら、ウィルはシュタインの対面に座る。すぐに運ばれてきた麦酒が、二人の前にどんと置かれた。衝撃で、泡が木製のテーブルに飛び散った。
シュタインが一つのカップを、ウィルの方へ押し出す。
「そうだろうな。あのお姫様のことだ。着いてたら、騒ぎになってる」
ウィルがそれを手に取るのを見てから、シュタインもお代わりの麦酒に口を付けた。
「予定どおりなら、もう国境を超えているはずですが」
カップを見つめたままで、ウィルが言う。
「予定どおりにいってないってことだろ」
さらりと言いながら、シュタインが手を上げて店員を呼んだ。
そして、やって来た店員に幾つか食べ物を注文する。周囲の喧騒に負けじと、店員は甲高い声で注文を繰り返して確認すると、いったん厨房の方へ消えた。
まだ心配そうな顔のウィルに、シュタインは息を吐きながら笑みを向けた。
「この街の商人ギルドに伝言は残してあるが。まあ、もう二、三日待ってみるか」
「…はい」と、ウィルは曖昧に頷いた。
香ばしい匂いが漂ってくる。店員が獣肉の炭火焼を盛った大皿を、二人のテーブルに置いた。
「お、旨そうだな」
シュタインが首を伸ばして覗き込む。
その時、店のドアが勢いよく開いた。
荒い息で、一人の若い女性が飛び込んできた。動悸を鎮めるように胸を押さえながら、慌てた様子で店内を見回した。
音に振り向いた店員が、女性を見て眉を顰める。
女性は店員に駆け寄ると、彼女の耳元で短く何言か囁いた。店員の目が驚きで大きく見開かれる。
再び、ドアが開けられた。滑り込むように、二人の男性が店内に入って来る。彼らは鋭い目付きで、周囲をぐるりと見回した。
「…おい、あれだ」
男性が、小声でもう一人の男に言う。
女性と店員が、慌てて店の奥の方へ駆け出した。それを男たちが追い掛ける。
その途中、シュタインとウィルのすぐ側を女性たちが駆け抜けて行った。それを麦酒を飲みながら見送ったシュタインが、テーブルの外に足を投げ出した。
――ガシャンッッ。
追い掛けていた男が、シュタインの足に躓いて派手に転んだ。近くのテーブルに頭から突っ込む。
もう一人の男が、険しい顔付きでシュタインを睨む。
「なんだ、貴様ッ」
「お、っと。すまんな。足が長過ぎるもんで」
シュタインの軽口に、男の表情が見る見る歪んでいく。
「邪魔をするな。貴様も奴の仲間かッ」
男が、シュタインの胸倉を掴んだ。
腰を浮かしかけたウィルに、シュタインはちらりと目配せをする。
「この野郎…!」
倒れたテーブルの下から、頭を擦りながら男が立ち上がる。
その目がシュタインを睨み付けた、その瞬間。
シュタインは胸倉を掴んだ男の手首を捻り上げて、そのまま床へ押さえ付けた。
客たちの中から、歓声が上がった。
もっとやれと囃し立てる周囲の声を忌々しく睨み付けると、もう一人の男が腰の剣を抜いた。壁に掛けられた燭台の灯を映して、刀身がオレンジに光る。
――キンッ…。
切断された剣先が、宙を舞う。
ウィルが、吊るした腰の鞘に自身の剣を収めた。彼が何をしたのか、その場にいる誰の目も捉えることができなかった。
店内に、一時の沈黙が訪れる。
足元にからんと剣先が落ちる。男は信じられないとばかりに、手にした剣を見つめた。
シュタインが力を緩めると、押さえ込まれていた男が慌てて抜け出す。男たちは顔を見合わせると、わずかに逡巡した後に、舌打ちして逃げるように店の出口へ駆け出した。
さらに大きな歓声が上がった。ウィルは恥ずかしそうに席に戻ると、後ろ頭を掻いた。
先ほどの女性と店員の姿は無い。すでにどこかに逃げ果せたようだ。
「一杯、奢らせてくれ」
顔を赤らめた無精髭の男性が、ウィルの肩に手を回す。そして、大声で麦酒を注文した。
「い、いや。そんな…」
戸惑うウィルに、彼はにやりと笑って黄ばんだ歯を見せた。
「いいからいいから。遠慮するな、って。すげえな、今のは何をやったんだ」
馴れ馴れしく顔を寄せる男性から身を引きながら、ウィルがシュタインに視線で助けを求める。しかし、シュタインはにやにやとその様子を眺めながら、炭火焼を指で摘まんで口に放り込んだ。
厨房から、恰幅の良い男性が現れた。前掛けで手を拭いながら、シュタインたちのテーブルまでいそいそと歩み寄って来る。
「旦那様方、すぐに帰った方がよろしいかと。奴らは、君主様の衛兵です。面倒なことになる前に、去った方が賢明です」
おそらくはこの居酒屋の店主なのだろう。彼は小声で、シュタインに忠告する。
「御代は結構です。さあ、直ぐに」
ウィルが不安そうに見守る中で、シュタインも困ったように眉根を寄せる。そして、ゆっくりと立ち上がった。
「そんなわけにもいかないさ」
シュタインはテーブルに少し多めの代金を置くと、ウィルに顎で合図を送る。
「迷惑がかかりそうだから、出るか」
「い、いえ。…いや、決して、そういう意味では…」
弁解する店主に、シュタインは愛想良く笑顔を見せた。
「ちょっかい出したのは俺たちだ。済まなかったな」
出口へ向かうシュタインを、ウィルも慌てて追いかける。
「衛兵って言ってましたけれど、大丈夫なんでしょうか」
ドアに手を掛けながら、シュタインが答える。
「大丈夫じゃないだろうな」
そっとドアを押し開けた。心地良い夜風が吹き込んでくる。
「まあ、おそらく――」
呟きながら、シュタインは店の外へ踏み出した。
「…こうなるだろうな」
居酒屋の外で、居並んだ兵士たちが手にした槍を突き出す。揺らめく松明の灯が、物々しく辺りを照らしていた。
シュタインは笑顔のまま、両手を上げた。
遅れて店の外に出たウィルも、はっと息を呑んだ。
「無駄に血を流す必要はないさ」
シュタインの言葉に従って、ウィルも仕方なしに両手を上げた。
兵士が二人から剣を取り上げる。彼らの列の後方に、逃げ出した先ほどの二人の衛兵の姿も見えた。
「お前たちには色々と話を聞かせてもらう」
部下の兵士に後ろ手に縛らせながら、隊長らしき男が睨みを利かす。
「多少の手荒事は覚悟しておくんだな」
兵士に囲まれて、二人は街の奥へ連行される。松明の灯が、その道を仄かに照らし出していた。




