第三章 23:シリルの悩み
午睡のまどろみを、不意のノック音が遮る。
オルヴァンは眉根を寄せておもむろに立ち上がると、玄関のドアを押し開けた。
明るい日差しと共に現れた思いがけない顔に、彼は目を見開いた。どうして彼女が此処にいるのか、ふと嫌な予感が脳裏を過ぎったが、すぐにオルヴァンは笑顔で出迎えた。
「これは珍しい。わざわざこんな辺鄙なところに。いかがなされましたか」
濃紺のゆったりとした麻のチュニックに身を包んだ彼女は、躊躇するように目を伏せる。
「…申し訳ありません。ご隠遁されていることは重々承知の上ですが、他に当てが無くて――」
そして視線を上げると、疲労で輝きを失った瞳をオルヴァンに向けた。
「助けてください、伯父様」
困惑した視線で、オルヴァンは姪のセラフィヌス・ヴァレン――シリルを見る。軽く息を吐くと、ドアを大きく開けた。
「とりあえず、中へどうぞ。お茶ぐらいは飲んで行かれるといい」
「…かたじけない」と、シリルは小さく肩を揺らしながら頭を下げた。
案内された席に着くと、疲れた表情でシリルはテーブルを呆然と見つめた。ふと、木目に指を這わせてみる。細かな凹凸を指先に感じた。
「だいぶ、お疲れのようですな」
奥の炊事場から現れたオルヴァンが、彼女の前に木製のカップを置いた。柔らかな湯気が立ち上る。
「…ありがとうございます」と、シリルはカップに両手を添えた。
爽やかで、甘い香りが鼻孔を擽る。シリルは力無く微笑むと、しばらくその香りを味わう。
「――パティア様のことですかな」
掛けられた言葉に、シリルははっとしたように再び表情を固くする。
「やはり、そうですか」
呟きながら、オルヴァンは彼女の対面にゆっくりと腰掛けた。
シリルが顔を上げる。その瞳が、鬼気迫るようにオルヴァンに向けられる。
「パティア様が、また行方不明なんです!」
叫ぶように言うや否や、シリルは堰を切ったように一気に続けた。
「ベルフェルから一日遅れで帰るって言っていたのに、いつまで待っても帰って来やしない。大臣の連中――いえ、方々には、親の仇のように責められるし。私のことは、いったいなんだと思っているんでしょうか。むかしは、シリルシリルって、私の行くところにいつも付いて来ていたのに、今じゃ隙あらば逃げ出そうとする。もう私の立場なんて、王国のどこにもありません」
そう言い切ると、シリルは悲痛の声を上げながらテーブルに突っ伏した。
オルヴァンは大きなため息を吐いた。掛ける言葉を探して、目の前の姪を眺める。
「伯父様――」と、シリルが真顔で顔を上げる。
思わず、オルヴァンは身を後ろに退いた。
「パティア様の居場所に、心当たりはありませんか?」
先ほどまでの彼女とは打って変わって、シリルの眼光は鋭い。さすがは代々マリオール王国の近衛騎士を輩出している、名門ヴァレン家の血筋だということを思い起こさせる。
「時に、ミリアは達者かな?」
オルヴァンの問いかけにも、シリルは表情を変えない。
「母ですか? 最近は運動不足を気にしていますが、相変わらずです。たまには会いに来てくださったら良いのに」
「そうだな。それも良いな」
「伯父様」と、シリルは再び静かに見据える。
「まさか、話を逸らそうとしているわけではありませんよね」
オルヴァンは苦笑いして、その瞳を受け止めた。
「私も知らんのだ。パティア様が今、どこにいるのか」
「…本当ですか?」
探るように、シリルが上目遣いを向ける。手元のカップを持ち上げて、少し冷めてしまったお茶にそっと口を付けた。
想像以上に甘い味が口内に染み渡った。
「落ち着きますね。美味しい」
「もう冷めているでしょう。淹れ直しましょうか」
腰を浮かしかけたオルヴァンを制するように手を伸ばしながら、シリルは首を横に振った。
「いえ、このままで結構です。猫舌なので」
シリルは笑みを浮かべて、お茶を再び口に含んだ。
「本当に美味しい」と、感嘆の声を漏らす。
「恐らくだが。パティア様は、シュタイン殿、ルナ様、そして不肖ながら私の息子、ウィルと共に居るはずだ。余程のことが無い限りは、まずその身に危険が及ぶことはないだろう」
オルヴァンはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。一旦、奥の炊事場へと姿を消す。
シリルが黙して見守る中、しばらくして彼は金属製のティーポットを手にして戻って来た。
再度、シリルのカップをお茶で満たすと、ティーポットをテーブルに置いて、オルヴァンは席に座り直した。
そんな彼を見据えて、シリルが問う。
「シュタインとルナ。私もベルフェルで会いましたが。あの二人、いったい何者なのでしょうか」
オルヴァンは口元を緩めて、シリルの肩越しに彼女の後方をぼんやりと眺めた。
「私に言えるのは、少なくとも二人とも信頼に足る人物だ、ということだけだ」
そして、視線の焦点を彼女に戻す。
「あまり力になれなくてすまない」
シリルは目を伏せて、カップの中身を飲み干した。そっとカップをテーブルに置くと、顔を上げる。
「いえ、私こそ無理を承知で申し訳ありませんでした」
そして、微笑んで見せた。
「伯父様、お代わりをいただけますか」
オルヴァンは大きく頷いて、もう一度、姪のカップをお茶で満たした。




