第三章 22:ロミの選択
固い床の不快な感触に、ルナは眉を顰めながら目を覚ました。
どうして、こんなところで寝ているのか。そろっと体を起こしながら、まだボーッとした頭で考える。
確か、国境を越えようとして、この村に立ち寄ったんだ。ウィヴロス渓谷での一連の事件の後に、またこの村に戻って来て――。
記憶が、一気に蘇る。はっとして立ち上がると、周囲を見回した。
木枠の窓の向こうからは、既に明るい日差しが差し込んでいる。簡素な部屋の内装が視界に映る。
ルナは自身の手のひらを見た。昨夜、パティアの治癒魔法で負った火傷の跡が、まだひりひりと痛む。治り切るには、もう少し時間がかかりそうだ。
何度か手を握ったり開いたりしながら、ルナは外に繋がる扉の方へと向かった。
眩しい陽光が、扉を開けた彼女の顔に降りる。火傷したのとは反対の手を顔の前に翳して、外へと歩み出た。
幾つかの遺体が整列して並べられていた。隊商の者たちや、私兵たちのものだ。
村の様子を眺めるルナの視界に、クラウスとルーファスが新たな遺体を運んで来ているのが見えた。彼らは運んできた私兵の遺体を、列の端へ静かに横たえた。
二人の後から、メルリネスとロミを伴ったパティアが現れる。メルリネスの手には、二頭の馬の手綱が握られていた。
「相変わらず、遅いわね。もう昼前よ」
ルナを見つけたパティアが、鼻の頭に皺を寄せて言う。
「…朝は苦手なのよ。床も固くて寝辛かったし」
答えるルナの元まで、パティアがずかずかと歩み寄って来る。
そして、いきなりルナの左手を取った。
咄嗟にルナは腕を引こうとするが、パティアは強く掴んで放さない。彼女は顔を近付けて、ルナの手のひらを食い入るように見つめる。
「もう治りかけている。すごい回復力ね」
ルナは思い切り腕を振り切って、後ろ手に隠した。
「ふうん」と、パティアはいたずらめいた笑みを見せる。
ひひんと、メルリネスが連れた馬が嘶きを上げた。彼は慌てて手綱を引いて、馬を落ち着かせる。
「こいつで、最後だ」
改めて遺体を見渡しながら、クラウスが息を吐きながら肩を回す。
メルリネスが馬の鬣を撫でながら、並んだ遺体を眺めて悲し気に眉を寄せた。
「彼らにも家族があります…」
そして、彼はパティアの方に向き直った。
「彼らの遺体をこのままにはしておけません。一旦、近くの支店のある街まで戻ろうかと思いますが…」
「そうね…」と、パティアも並ぶ遺体の列を痛まし気に眺める。
「近くの領主の助力も仰いだ方がいいわね。この惨状を王城にも伝えないと――」
話し合う二人から離れて、ルナはぽつんと佇むロミの元へと歩み寄った。
ロミが不安げな視線を、ルナに向ける。
ルナはロミの隣に並ぶと、自身の胸の前で腕を組んだ。パティアとメルリネスを遠巻きに眺める。
「あなたは、どうするつもり?」
目線を正面に向けたままで、ルナが問う。
何を言われたのか、一瞬、理解できなかったロミが、きょとんとルナの横顔を見つめる。
ルナは無言で正面を見据えたまま。しばらく、ロミの反応を待つ。
「僕は…」
ロミがふと、視線を地面に落とす。
「どうしたら、いいんでしょうか…」
ルナは何も答えない。黙ったままで、目を窄めて遠くを眺めている。
ロミが落ち着かない様子で、視線を彷徨わせる。しばらくの沈黙が二人を包み込んだ。
どうやらパティアとメルリネスの話し合いは済んだようだ。ルナは軽く息を吐くと、ロミを一瞥した。
「魔物として生まれた以上、何を選んでも幸せにはなれないわ――」
そして、彼女は微かに口元を緩める。
「だからこそ、自分で選ばないと。後悔しないために」
ロミの肩をぽんと叩くと、ルナはパティアたちのもとに小走りで向かった。
残されたロミは何かを言いたげな表情で、遠ざかって行くルナの背中をただ茫然と眺めた。
ルナに気付いたパティアが、振り返ってにんまりと笑みを見せる。
口を開きかけたメルリネスを遮るようにして、一歩、足を踏み出すと胸を張った。
「キュケロナに向かうことにしたわ」
怪訝そうなルナの視線には構わず、パティアは話を続ける。
「この辺りは、アインフェルト辺境伯クランドゥ・マイヤー卿の領地なの。東部国境の守りを担う彼なら、協力してくれるはずだわ」
「ですが――」と、ようやくメルリネスが割って入る。
「彼らの遺体と我々の積み荷を、このままにしておくわけにはいきません。誰かに、この村に残ってもらわなければと…」
「私が残ればいいわけね」
応えるルナの言葉に重ねて、クラウスが手を挙げた。
「いや、俺が残ろう。まだ何が起こるかわからねえからな。嬢ちゃんは、お姫様と若旦那を守ってやってくれ。俺一人なら、いざとなったら逃げることもできる」
そして、彼はにたりと黄色い歯を見せた。
「こう見えて、逃げ足だけは達者だからな」
「確かにね」と、ルナは顎を上げて口の端を吊り上げる。
ウィヴロス渓谷でも、クラウスは危機を察すると、メルリネスを連れて真っ先に戦場を離脱していた。状況判断も実力のうちだ。あの逃げ足は褒めて良い。
「あの…」と、ルーファスが申し訳なさげに口を挿む。
「私の、その…報酬、なんですが…。どうなるんでしょうか…」
振り向いたメルリネスが眉を顰める。ルーファスがおどおどと続けた。
「いえ、ね。目的地も、当初のトゥガリル地方からだいぶ逸れてしまうようなので…」
「ああ、その件ですか」と、メルリネスは表情を緩めた。
「ここで抜けても、お約束通りの報酬は支払いますよ」
ルーファスが安堵した様子で息を吐いた。
「そうですか。それは良かった。それなら、私も引き続きお仕事をさせていただきます。どうせ他に当てもありませんので」
ルナがルーファスを冷たく見据えるが、彼は視線すら合わせない。笑みを浮かべてメルリネスに感謝を伝えている。
その様子を眺めながら、ルナは小さく舌打ちをした。
離れたところでそれまで黙ったままだったロミが、不意に声を上げた。
「僕は、また森に戻ります」
パティアが驚いたように振り返った。
ルナも、銀色の髪を揺らしてロミの方へゆっくりと振り返る。
「自分で決めたのね」
「…はい」と、ロミは力強く頷いた。
ルナは笑みを浮かべると、一度、大きく瞬きをしてロミをしっかりと見つめた。
「国境の番人ってわけね。いいんじゃない」
その言葉に、ロミも笑顔を返した。
突然、パティアがロミの方へ向かって駆け出す。驚いた顔のロミの両肩を、パティアは正面からがっしりと掴んだ。
「危ないことはしちゃあ駄目だからね。私たちが戻って来るまで隠れて、大人しくしていなさい」
「…は、はい」と、ロミは勢いに押されたように頷いた。
ルナが呆れ顔で、小さくため息を吐く。
そんな彼女の仕草にも、パティアはまったく意に介した様子を見せない。
「そうと決まれば、すぐに出発よ。時間は待ってくれないわ」
パティアはそう宣言すると、自信たっぷりに空高く指さした。




