第三章 21:火傷
暗闇を眺めて佇むルーファスの背後に、銀色の髪の女性が近付く。
「あなたは、どちらの側なの」
ルナは、彼から数歩手前で足を止める。
端を欠いた月明かりでも、ルナの目は十分に彼の輪郭を捉えている。ルーファスは微動だにせずに、変わらず目の前の暗闇を見据えたままだ。
「質問の意図をはかり兼ねます」
ルーファスが静かに答える。わずかに肩が揺れた。
「ただの傭兵じゃあないでしょ。返答次第では、ここで始末するわ」
「困りましたね」と、彼が息を吐いたのが分かった。ルナは身構えるが、ルーファスは振り返らない。
「そもそも、側も、どちらも、ないですよ。私は、私の好きなようにやっているだけで」
ルナは冷たく、彼の背中を睨み付けたままだ。
「私は紛れもなくあなたの護衛ですよ。私の目的は、あなたをしかるべき場所に送り届けること。ここで始末されては――」
ゆっくりとルーファスが振り返る。その顔を、月明かりが青白く照らす。
「――困ります」
言いながら、彼は屈託のない笑顔を見せる。その笑みに、ルナは一瞬、寒気を覚えた。
記憶が揺さぶられる。この笑顔をどこかで――。
ルーファスが笑みを浮かべたままで言う。
「…おや。お友達が来たようですね」
背後から聞こえてきた足音に、ルナははっとして思わず振り向いた。
金色の髪を揺らしながら、早足でパティアがこちらの方へやって来る。
「あなたなら躱せるかも知れませんが――」
ルナの耳元で、ルーファスの声がした。
いつの間に接近を許したのか、ルーファスがルナのすぐ真横に立っていた。
「ですが、お友達はどうでしょうか」
抉るように心臓が大きく脈打つ。
固まって、動けない。
ルーファスはそのまま彼女の横を通り過ぎて、民家の方へ歩いて行った。途中で、すれ違うパティアに軽く会釈をする。
パティアも笑顔で会釈を返すと、ルナのところまでやって来た。
「何を話していたの」
呑気に、パティアが声を掛ける。
思い出したように、ルナの背筋に強い寒気が走る。顔面から血の気が引いていくのを感じながら、胸を押さえて大きく息を吸った。
ルナの胸元で、握ったこぶしから血が滴り落ちた。
「怪我してるじゃない」
パティアが咄嗟に、ルナの手を掴んだ。
昼間の騎士たちとの戦闘の際に、自らの魔力で剣身を破壊したときに負った傷だ。回復力の高いルナだが、まだ治り切っていなかったようだ。
「待っ――」
ルナが言いかけるよりも早く、掴んだパティアの手がぽおっと淡く光り始める。
「っ…!」
走る痛みに、ルナは慌てて腕を引いた。
手のひらに火傷が広がり、瞬く間に赤い水疱が浮かぶ。
驚きの表情で、パティアも慌てて手を放した。
「ご、ごめ…!」
反射的に謝ろうとしたパティアだったが、はっと息を呑んだ。
治癒魔法で傷を癒そうとしただけだ。
それなのに、彼女は火傷を負った――。
ルナが焼け爛れた手のひらを隠すように、自身の胸の前に引き寄せる。
パティアは眉を顰めて、そんな彼女を戸惑いの瞳で見据えた。
「あなた、いったい――」
ルナは黙ったまま、パティアをじっと見つめ返す。
冷たい夜風が、二人を巻き込んで駆け抜けた。煽られて乱れた髪をパティアが慌てて押さえる。
――しばしの沈黙。
白い月が静かに光を落とす中で、ルナはそっと視線を外して目を伏せた。
「私には、半分…魔物の血が――」
ルナの唇が、小さく動く。
「ヴァンパイアの血が流れているの」
パティアの眉がぴくりと跳ねる。鋭い目付きで、ルナをじっと見つめる。
「…だから、なに?」
怒ったように、パティアはルナに詰め寄った。
「それを知ったからって、あなたの何かが変わるわけ?」
瞬きしながらルナが顔を上げる。
その視線を真っ向から受け止めて、パティアの口元がにやりと歪む。
「あなたは、あなたでしょう。ねえ、ルナ」
ルナは呆けたようにパティアを見つめた。そして、ふっと肩の力を抜いて、小さく笑う。
「…強がってんじゃないわよ」
「失礼ね。そんなんじゃないわ」
パティアが唇を尖らせる。
「あー、でも納得」と、パティアは大きく息を吐いた。
「だからそんなに強いわけね。前から人間離れしてるとは思っていたけれど」
ルナが半目で睨む。
「ひどいわね。半分は、れっきとした人間よ」
「はいはい」と、パティアは呆れ顔で応える。
「その半分も、ピアルシュドの血縁ってわけでしょ。ちょっと話が出来すぎじゃない」
ルナは静かに息を吐きながら、肩を竦めた。
夜が更ける。瞬く星々の間を、端を欠いた月がじわじわと天球の頂点を目指して昇っていく。
冷たい、一陣の風が吹き抜けた。
パティアが身を縮こませて、羽織った外套を胸元で締める。そして、くしゃんと小さくくしゃみをした。
闇が深くなり、草木さえも眠りについてしばらく経った頃――。
民家の壁に背を預けて目を閉じていたルーファスが、ため息を吐きながらゆっくりと瞼を開いた。
「…やれやれ、あなたですか」と、彼は上空を見上げる。
その視線の先は、ただ真っ黒な夜の闇が広がっているだけだ。
いや、違う。微かに、闇の一角が動いた。
「名前は、なんと言いましたか。申し訳ない。忘れてしまいました」
ルーファスの見つめる先には、夜の闇に溶け込むようにしてひとつの影が浮かんでいた。
漆黒の外套に身を包んだ、精悍な体付きの男性だ。
「…どこかでお会いしましたかな」
男性が、その背に生えた大きな蝙蝠の羽を羽ばたかせる。
ルーファスが自身の乳白色の前髪を、指で摘まむようにしてなぞる。
「少し姿かたちが変わっただけで、あなたの娘だけでなく、あなたまでもがこれですか。この世界は、外面にばかり気を取られ過ぎです」
その言葉を推し量るように、男性が静かにルーファスを見据える。
そして彼は上空から、村をゆっくりと見回した。
「どうやら、クロエたちはやられたようだな」
「子犬を一匹、保護しましてね」と、ルーファスが口元を歪める。
「彼の差し金で連れ戻しに来たのでしょうが、そうはいきません。彼の邪魔をするのが、私の――そうですね。この世界で言うところの、生きがいのようなものですから」
何かに気付いた男性が、わずかに身を引く。
「…大丈夫ですよ」
ルーファスが男性を指差すように腕を伸ばした。
「あなたは、まだここで死ぬべきではない。見たままを、彼に報告すると良い」
男性は蝙蝠の羽を広げると、闇の中へとその姿を消した。
それを見届けてから、ルーファスはゆっくりと腕を下ろす。そして、また元のように壁に背を凭れさせて、そっと瞼を閉じた。




