第三章 20:偽りの生還者
村から少し離れた場所。街道の脇の大きな岩に座って、足をぶらぶらとさせながら手持ち無沙汰で待っていたパティアを見て、ルナはほっと胸を撫で下ろした。
側にはメルリネスとクラウス、そしてロミの姿もあった。
戻って来るルナに気付いて、パティアが岩から軽やかに飛び降りた。
「村は、どうだった?」
問うパティアを、ルナはあえて作った冷ややかな視線で一瞥する。
むくれるパティアの前を通り過ぎて、メルリネスの元へと向かう。
「二人とも来てくれない?」
メルリネスが不安そうな顔を、ルナに向けた。
「…どうでした?」
「全滅よ」と、ルナはさらりと答える。
やはりといった顔付きで、メルリネスは肩を大きく落とした。
メルリネスの肩を押し退けて、しかめっ面のクラウスが顔を覗かせる。
「村で何があったんだ」
「――全部、罠だったのよ。見れば分かるわ」
ルナは言い放つと、すぐ隣で頬を膨らませて自分を睨み付けるパティアに仕方なく視線を向けた。
「…何か?」
「私も行くわ。いいでしょ」
パティアの後ろに隠れるように佇むロミに、ルナはちらりと視線を送る。
「ロミには見せたくないの」
ルナの言葉にパティアは眉を顰めると、振り返ってロミを見た。
ロミが怯えたように、左肩を抱いて身を縮ませた。身長はパティアよりもやや高いが、そのおどおどとした雰囲気からだいぶ幼い印象を受ける。
そんなロミを見て、パティアは思わず口籠ってしまう。
目を固く閉じて葛藤するパティアから視線を逸らして、ルナはメルリネスに目で合図をする。
悲壮な面持ちで、メルリネスは仕方なく頷きを返した。
その時――。
「…僕は」と、言葉を震わせながらロミが呟く。
「へ、…平気です。連れて行ってください」
ルナが振り向いて、鋭い視線で彼を見透かすように見る。
「あなたを捕まえに来た連中よ。まだ親玉の消息も分かっていない。ひょっとすると、これすらも敵の罠かも知れない」
ロミがびくっと小さく震えた。構わず、ルナは射抜くような視線で続ける。
「このままどこかに逃げるってこともできるのよ」
「親玉の消息が分からない?」と、パティアが思いついたように割って入る。
「それなら、むしろ一緒にいた方が安全じゃない」
「今は、ロミに聞いてるのよ」
ルナはあっさりとそれを断ち切る。
反論しようとして、パティアははっと口を閉じた。
じっとロミを見つめる、ルナの視線。パティアは気付いた。ルナは、ロミの覚悟を試そうとしているのだ。
しばらくして、ロミはゆっくりと口を開いた。
「…一人は、嫌です」
「そう」と、ルナはため息混じりに視線を村の方へと移す。彼女の期待していた返事とは違ったようだった。
――逃げない理由としては、あまりにも頼りない。
それでも、自分で選んだ言葉だ。本人がそれを決めたのならば、わざわざ拒否するものでもない。
ルナはそれ以上は何も言わずに、村の方へと足を向けた。
彼女の後をクラウスとメルリネスが追いかけ、少し遅れてロミがそれに続く。
少しずつ遠くなっていくルナの背中を、パティアはじっと眺める。
齢十五と聞いていたが、その底知れぬ魔力はともかくとしても、その人の心までをも見透かすような観察眼、そして妙に達観した立ち振る舞いは決して年相応には見えない。
自分よりも五つも年下のはずなのに、その背中がずっと遠くに思えた。
「ルナ、あなたはいったい何を見てきたの…」
遠ざかって行く後ろ姿を眺めたままで、パティアはぽつりと呟く。
そして、思い出したように慌ててその後を追いかけた。
メルリネスが真っ青な顔をして、口元を押さえる。
遺体を確認していたクラウスが、目を伏せて首を横に振る。彼はのそりと立ち上がると、戸惑ったように周囲を見回した。
村の中には幾つもの遺体が横たわっている。私兵の遺体も無残だが、村の女性たちの異様さが目を惹く。
獣のように鋭利な牙が剥き出しになった口から、だらりとどす黒い舌が垂れ下がっている。
「これは何だ…」と、クラウスが呆然と呟いた。
「人間じゃねえな。化け物だ」
シリルから話は聞いていたが、実際に見るのはパティアも初めてだった。
「これが…動く死体…」
果物が腐ったような、不快な甘ったるい臭いが漂う。
戸惑うパティアの側から不意に駆け出したメルリネスが、我慢し切れずに建物の影で嘔吐した。
ロミが悲しそうな表情で、視線を地面に落とす。その横で、ルナは無表情で辺りの様子を窺う。
巡らせたルナの視線が、一人の男性を捉えた。真っ赤に染まった自身の首筋を押さえながら、彼はこちらの方へゆっくりと近付いてくる。
クラウスもその姿に気付いて、驚いたように目を丸くした。
「ルーファス、おまえか」
上げられた大声に、パティアも咄嗟に振り向いた。ロミも同時に顔を上げる。
「助かったのはおまえだけか」
安堵とも言い切れない複雑な顔付きで眉根を寄せて言うクラウスに、彼は弱々しく笑って見せた。押さえた指の隙間から滲んだ血が滴り落ちる。
「…ええ。そのようです」
「わざとらしい」と、ルナが大袈裟に息を吐きながらそっぽを向く。
「俺たちが出た後に、いったい何があったのか教えてくれ」
険しい表情で問うクラウスに、ルーファスは申し訳なさそうな顔を向けた。
「皆が村から出て行ってから、直ぐでした」
ルーファスが一言ひとこと区切りながら話を続ける。
「突然、隊商の人たちを、村人たちが襲い始めたのです。彼女らは化け物でした。私たちも必死で抵抗しましたが、――途中で、私は気を失ってしまって。目が覚めた時には、この有り様でした」
周囲を見回しながら、ルーファスがゆっくりと首を横に振った。
「しかし、敵も味方も、これはどういうことだ…」
クラウスは戸惑いを隠せないといった顔付きだ。
変貌した村の女性たちも、首を刎ねられ、燃やされている。誰一人、生き残っている者はいない。
「先ほど、そちらのルナさんにもお話しましたが、村長の奥方様というのが、とんでもない化け物で…」
「ああ、あのクロエとかいった――」
クラウスの言葉に、ルーファスは大きく頷いた。
「そうです。あの化け物は見境なく、手当たり次第に襲い始めました。私たちだけでなく、仲間であるはずの村人たちも…」
目を真っ赤に腫らしたメルリネスが、口元を拭いながら戻って来た。蒼白した顔に脂汗が浮いている。
クラウスが自身の胸の前で腕を組んで唸った。
「おまえだけでも生きていてくれて良かった。よく生き延びたな、ルーファス」
「――ええ。本当に」
微かに、ルーファスの口元が歪む。
「ともかく…」と、力ない声でメルリネスが言う。
「この状況じゃあ、国境を超えるのは無理ですね…。一旦、支店のある街まで戻らないと…」
もう日は落ちて、既に辺りは薄暗い。
「それも、明日ね。今日はこの村に泊まるしかなさそうね」
パティアが短く詠唱すると、手のひらに浮かび上がった光球を打ち上げた。辺りが柔らかな光で包まれた。
「…そうですね」
メルリネスは青ざめた顔で小さく頷くと、気持ち悪そうに「うっ…」と口元を押さえた。




