第三章 19:偽装
村へと戻る道すがら、ルナが尋ねる。
「…そう言えば、名前も聞いてなかったわね」
片腕の少年はきょとんとルナを見つめた後、小さな声で答えた。
「…ひ…けん…たい…六十三番…」
ルナが眉を顰める。
聞いていたパティアの表情も凍り付いた。その表情はすぐに険しく曇ると、唇の端がぎゅっと固く結ばれた。
「…そう、呼ばれていました」
少年は、独白するように言う。ゆっくりと息を吐きながら、ルナは彼から目を逸らした。
ルナは歩きながら、しばらく夕陽を眺める。そして、思いついたように再び少年を見た。
「そんな長ったらしい名前はやめた方がいいわ。――そうね」
ルナはわずかに目を細める。
「――ロミ。ロミって呼ぶわ」
「ロミ…」と、片腕の少年が、自分に付けられた名前を何度か口の中で繰り返す。
日が沈みかけた頃、ようやく村が見えてきた。
だが、何かがおかしい。
最初にその違和感に気付いたのは、先頭を歩いていたクラウスだった。
「…待て。血の匂いだ」
クラウスが腕を伸ばして、後続を制止する。いつになく表情が強張っていた。
メルリネスが愕然と村の入り口を眺める。
「まさか、村が…」
村には、十数名の彼の部下たちが残っていたはずだ。メルリネスの顔から血の気が引いていく。
「…パティア、ロミをお願い」
返事を待たずに、ルナは地面を蹴って一気に駆け出した。
村の入り口で足を止めて、街路樹に身を隠しながら中の様子を窺う。
音は聞こえない。いや、それどころか人の気配がない。
血の匂いに、焼け焦げたようなどんよりとした刺激臭も混ざって漂ってくる。ルナは注意深く辺りに視線を巡らせながら、ゆっくりと村の中へと足を進めた。
すぐに、幾つもの遺体が目に入った。
メルリネスの部下たちや護衛の私兵たちの遺体に混じって、村の女性たちの遺体も転がっていた。彼女らの遺体の異様さを目の当たりにして、ルナは険しい表情で唇を真横に引き結んだ。
だらりと垂れ下がった舌。鋭利に尖った牙と爪。色素を失った灰色の瞳。漂う、独特な腐った臭い。
――間違いない。魔物化した者たちだ。
村の女性たちの遺体のほとんどは首が斬り落とされて、胴体と離れた場所に捨て置かれていた。燃やされて、黒焦げになった遺体も、幾つか散見された。
私兵たちの遺体はもっと悲惨だった。首を喰い千切られ、はらわたを食い荒らされて内臓が飛び散っている。
ルナは遺体を踏み越えて、さらに村の中へと進んだ。
よほど激しい戦闘があったのだろう。建物の幾つかは破壊され、倒壊していた。焼失したものもあった。
ルナはしばらく村の中を歩き回っていたが、ふと足を止めた。
村の北東付近、全焼した家屋の前だった。
眉を顰めて一点を見下ろすと、冷静な口調で声を投げかけた。
「…これ、あなたがやったの」
ルナの視線の先では、焦げて炭になった柱を背凭れにして一人の男性が座っていた。自身の血なのか、返り血なのか、首筋が真っ赤に染まっている。一房の、乳白色の前髪が妙に鮮やかに映えて見えた。
「いえ――」と、男性――ルーファスは顔を上げて呟いた。
「気が付いた時には、終わっていました。私は、途中で気を失っていたようで、何が起こったのかはまったく分かりません」
「気を失っていた…?」
ルナは警戒を強めて、重心をわずかに後ろにずらした。怪しむような視線を、彼の方へと向けた。
「この惨状の中で、よく生き残れたわね」
「奴らの返り血を浴びていたので、気付かれなかったのでしょう。運が良かった」
ルーファスが首元を押さえた。浴びた血もすでにだいぶ乾いているようだった。
「じゃあ誰が、これをやったというの」
ルナは改めて周囲を見回した。
メルリネスの部下や私兵たちだけでなく、襲ってきたであろう村の女性たちも誰一人、生き残っている者はいない。ただ一人、目の前の男性を除いて。
「分かりませんが」と、前置きをして、ルーファスが続けた。
「もしかすると、クロエとかいう村長の奥方かも知れません。あれは化け物でした。隊商の者たちも、村の女性たちも、見境なく襲われていましたから」
村の遺体すべてを確認したわけではないが、確かにクロエらしい遺体はまだ見ていない。
「そのクロエはどこにいるの」
ルナの問いかけに、ルーファスは苦笑いで答えた。
「私は気を失っていましたから。いないのであれば、どこかに立ち去ったかも知れませんね」
ウィヴロス渓谷で遭遇した騎士が言っていた言葉を思い出す。
――クロエ様が来てくださるかと思っておりましたが。まさか、ディアナ様が直々にいらっしゃるとは。
自分をディアナという名前の何者かと勘違いした騎士は、ロミの捕獲をクロエに要請していたのだろうと思われる。
ロミはクロエたちから――おそらくは新世界から、逃げ出した。
何故、クロエが仲間である、村の女性たちまで襲ったのかは分からない。もしかすると、魔物化して、制御が効かなくなったのかも知れない。
立ち去ったクロエが向かう先と言えば、ウィヴロス渓谷か――。
ルナはさっと振り返った。
ルーファスがゆっくりと立ち上がると、裾の埃をぱんぱんと叩き落とす。
「そう言えば、お仲間はどうしました?」
振り返らずに、ルナは答えた。
「近くで待機してるわ」
早足で、村の外へと向かう。クロエと行き違いになってしまったとすれば、パティアたちが危ない。
立ち去るルナの背中を眺めながら、ルーファスは口元を歪めて目を細めた。
「まだ、ここでは無いといったところでしょうか」
意味不明な言葉を呟くと、彼はわざと自分の首筋を引っ掻く。たらりと血が滴り落ちた。




