第三章 18:触れられない距離感
聳え立つ巨大な隆起の天辺。必死で先端に掴まっているパティアが、足をばたばたとさせながら藻掻く。
腕も痺れてきた。そろそろ限界に近い。
「ちょっと…。誰か、助けなさい…よ…」
しがみ付いた腕がずるっと滑る。
「――あっ」
パティアが声を上げた。その時――。
突然、隆起が大きく振動して、下から崩壊した。
「…きゃあああああ」
悲鳴を上げながら、パティアが落下する。みるみる地面が近付いてくる。
あわや激突するかと思ったその瞬間、ふわりと彼女の体が浮いた。
しかし、それも一瞬だけ。すぐにパティアの体は浮力を失って、大地へと叩き付けられた。
背中を強打して、肺の中の空気が一気に押し出される。息が吸えずに、呻いてその場からしばらく動けない。
パティアは涙目で、自分を見下ろす銀髪の女性を睨んだ。
銀髪の女性――ルナは、不服そうな視線を向ける。
「何よ。降ろしてあげたんじゃない」
けほけほと咳き込みながら、パティアがゆっくりと上体を起こした。
「…もっと、降ろし方ってものが、…あるでしょうに」
痛む腰を擦りながら、ふらついた足取りでパティアが立ち上がる。
顔を上げた彼女の視界に、無数の大地の隆起が飛び込んできた。幾つもの鋭利な楔も散見された。
パティアははっとして周囲を見回した。
周辺の地形は、元の姿が想起できないほどもうめちゃくちゃだ。楔に射抜かれた騎士の遺体も、あちらこちらに放置されている。
「あの子は…!」
戸惑いの表情のパティアを呆れたように眺めながら、ルナが自分の斜め後ろを親指で指差す。
そこには、深い傷を負った自身の脇腹を押さえて、呆然と両膝を付いている片腕の少年の姿があった。
そして、その傍らには、隊長格と思われる騎士の遺体が転がっていた。遺体の右半身は吹き飛び、黒焦げになっている。
少年が俯いたまま、ぽつりと呟く。
「…ルナは、僕を助けてくれた」
パティアは慌てて少年の傍へ駆け寄った。
「俺たちのことも忘れねえでもらいたいな」
崩れた岩場の向こうから、クラウスが声を掛けながら歩み寄って来る。その後ろには、メルリネスの姿もあった。二人ともまったくの無傷だ。
「すまんな。真っ先に逃げて」
「賢明よ。足を引っ張らなかっただけで助かったわ」
クラウスの軽口に、ルナは耳元の髪を掻き上げながら無表情で応えた。
「結局、その子は村の討伐隊の一員じゃなかったんですか」
メルリネスは腰が引けた様子だ。クラウスの背後から、恐る恐る覗く。
「魔物よ」と、ルナは表情を変えずに言う。ちらりと片腕の少年に視線を向けた。
「この渓谷に住み着いたっていう魔物でしょうね。何か事情がありそうだけど」
少年の右腕は鉱石化したままだが、それ以外の姿は元へと戻っていた。その黒い瞳で、ルナを見上げる。
駆け寄ったパティアが手を伸ばしかけるが、その手が少年に触れるのを躊躇する。一瞬、動きを止めて、ゆっくりと腕を降ろした。悔しそうに、こぶしが握り締められる。
「村に戻らない? おちおちしてると日が暮れちゃうわ」
ルナは片腕の少年に歩み寄ると、肩を貸して立ち上がらせた。
パティアはその様子を、呆然と見つめている。
「お、おい。そいつも連れて行くのかよ」
クラウスが戸惑いの表情を向ける。
「怪我人を放っておけないでしょ」
即答するルナを眺めながら、クラウスが肩を竦める。
片腕の少年を伴って街道を戻るルナの後ろ姿を、パティアは眺める。その瞳には、微かな羨望と共に、諦念の色が濃く映し出されていた。




