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第三章 16:疑惑のなかで

 森へと入って行く三人を見送ったルナは、再び足元のぬかるみに視線を落とした。

 少しの間、考え込んでいた彼女は、ゆっくりと瞬きをして顔を上げる。周囲をぐるりと見回してから、街道の方へと引き返した。

 メルリネスはギルドからの情報で、このウィヴロス渓谷で隊商や旅人が襲われたと言っていた。

 彼らは、どこで襲われたのか。

 わざわざ旅人が、森の奥深くまで踏み入るとは考え難い。

 街道を通り抜けようとしていたはずだ。そして、そこで襲われた。

 まずは街道を調べるべきだ。

 街道に戻ると、ルナは一人で先へと進んだ。

 憎たらしいぐらい、今日は晴天だ。日差しも強い。

 ルナはフードを深く被り直して、出来る限り木陰を選んで歩いた。それでも、じわりと額に汗が滲む。

 しばらくして、ルナは眉を顰めた。

 視界の先に見えてきた光景に、少なからず緊張感を覚えた。

「これは酷い…」

 思わず、呟きが漏れる。

 何台もの馬車が打ち捨てられていた。地面が大きく削られて、鋭く隆起した岩に背中から胴体を貫かれた遺体が、至る所に放置されていた。

 身に着けている装備から見て、どこぞの兵士のようだ。

 魔物討伐に駆り出されて、返り討ちにあったのか。ルナは用心深く、辺りを窺いながら近付いた。

 突き出た岩に、そっと手を触れた。

 …微かに魔力を感じる。

 魔物か魔術師の仕業であることは、間違いない。

 その時。

 ――カチャリ。

 金属の音を聞いて、ルナは反射的に距離を取って身構える。

 話し声が聞こえてきた。視線を向けると、曲がった街道の先から二人の兵士が歩み寄ってくるのが見えた。いや、兵士ではなく、騎士か。二人とも、王国の紋章の入った甲冑を身に纏っている。

 彼らはルナに気付くと、一瞬、足を止めた。

 二人は顔を寄せ合って、小声で幾つか言葉を交わした後で、ゆっくりと近付いて来た。

「お嬢さん、この先は封鎖中だ。危険だから戻りなさい」

 近寄って来る彼らの足元に視線を送って距離を測りながら、ルナは静かに言う。

「魔物がいるって聞いたの。もしかして、もう終わっちゃったのかしら」

 再び、二人は小声で何かを話し合う。

 先ほど見かけた野営の跡は、きっと彼らのものだろう。ルナは周囲の様子を探った。あの痕跡から察すれば、二人の仲間がまだこの近くにいるはずだ。

「お嬢さんに出来ることはない。魔物は私たちに任せて、今はこの場所から退きなさい」

 ルナはその言葉を無視すると、街道の先へと早足で歩き出す。

 騎士は慌てて、行き先を塞いだ。

「駄目だ。この先を通すわけにはいかない」

「天下の街道でしょ。通るかどうかを決めるのは、私よ。あなたたちじゃないわ」

 吐き捨てるように言ったルナが、二人を睨む。

 その時、さらに街道の先の方から複数の人の気配がした。

 二人と同じ甲冑を纏った騎士たちが姿を現す。十人ほどいるだろうか。

 ――少し数が多いな。ルナは小さく舌打ちした。

「どうした? 何かあったのか」

 現れた騎士たちの中でも最も大柄な男性が、怪訝そうに声を掛ける。他の騎士たちには無い、彼の左肩に掛けられた深紅のペリースが目を惹いた。おそらく、この隊のリーダーだろう。

「いえ、この女が制止を聞かずに、強行突破をしようと――」

 ルナの前を塞いでいる男が、弁解するように言う。

 その時、隊長格の騎士の側にいた別の騎士が、彼の耳元で何かを囁いた。

 隊長格の騎士が、ゆっくりと手を上げた。

「道を開けなさい」

 そして、慇懃に頭を下げる。

「これは、ディアナ様。いらっしゃると伺っていれば、お迎えに行きましたのに」

 ――ディアナ?

 ルナは眉間を寄せて、彼を見据えた。

 聞き覚えの無い名前だ。

 だが、騎士たちが自分を見てそう呼んだということは、何か関係がある人物なのか。

 勝手に勘違いしてくれているのだ。それを、わざわざ否定する必要はない。少なくとも、今この場で騎士たちと揉めることを考えれば、その名前を利用しない手は無い。

 ふと、シュタインたちが言っていたことを思い出した。自分とよく似た背格好の敵がいる、と。

 それがディアナなのか――。

 ルナは無表情を装って、目の前を塞ぐ騎士の胸を押し退けた。彼女の力に逆らわずに、騎士はすぐにルナに道を開けた。

 ディアナがどんな人物なのかは分からない。口調も癖も知らない。

「状況は?」

 ルナはぼろが出ないように気を付けて、短く問いかけた。

 隊長格の騎士が答える。

「一度、遭遇しましたが、逃げられました。その時に、隊員を二名失いました」

 彼の言葉には、どんな感情も見えない。淡々と、続ける。

「目下、再び奴を探しています。クロエ様が来てくださるかと思っておりましたが。まさか、ディアナ様が直々にいらっしゃるとは。奴ももう、どこにも逃げ場はありませんな」

 奴というのが、この渓谷に住み着いたという魔物のことか。

 彼らは、魔物のことを知っている。それに、確かクロエは、先ほど出会った村長の妻の名前ではなかったか。

 ウィヴロス渓谷は国境に近いとはいえ、まだマリオール王国の領内だ。この騎士たちは、マリオール王国の騎士団だということになる。

 王国の騎士が、魔物の討伐に出ること自体は不自然ではない。だが――。

 彼らは魔物のことを、奴と呼んだ。

 それだけではない。自分を敵であるはずのディアナと勘違いしながら、すんなりと受け入れた。

 少なくとも、この騎士たちは新世界と繋がっている。そして、その背後に、王国の上層部が関わっている可能性もある。

 パティアは、それを知らないのか、――知っていて、自分とシュタインに近付いたのか。

 あのお姫様も、何を企んでいるのか分からない。

 ルナと並んで歩きながら、隊長格の騎士が周囲の部下に指示を出す。

 ふと、彼は隣のルナに視線を向けた。

「時に、ヴァラドゥリウス様はどうなさっておられますか」

 また聞いたことのない名前だ。

 いや、違う。何かが記憶を揺さぶる。どこかで、その名前を聞いた覚えがある。

 思わずルナは、僅かに眉を寄せる。

 騎士が、足を止めた。

「どうかしましたか。あなたの、御父上ですよ――」

 その時だった。

 不意に、後方から鋭い声が響く。

「待ちなさい!」

 咄嗟に、ルナが振り返る。

 視線の先には、仁王立ちしたパティアの姿があった。

「あなたたちは何者ですか。ここで何をしているの」

 彼女の後ろには、メルリネスとクラウス。そして、もう一人。パティアの背後から、怯えたようにルナと騎士たちを覗く若い男性の姿があった。

 騎士たちが、一斉にざわつく。彼らは慌てた様子で武器を構えた。

 隊長格の騎士が前に出る。

「お嬢さん、危ない。すぐにその少年から離れなさい」

 若い男性が、パティアの背後に隠れる。

 パティアは後ろにちらりと視線を送ったが、すぐに彼を庇うように腕を横に伸ばした。

「先に、私の質問に答えなさい。あなたたちはいったい何者ですか」

 顔を見合わせた後、隊長格の騎士が朗々と叫んだ。

「我々は、マリオール王国騎士団の者です。その少年は極めて危険です。すぐに離れて、引き渡してください」

 パティアが目付き鋭く、騎士たちを睨み付けた。

「語るに落ちるとは、まさにこのことね」と、刺すような視線で見据える。

「私は、パティア・セレスティア・マリオール。この国の第二王女よ。あなたたちのことは見たこともないわ」

 騎士の表情が歪んだ。

「何を、小娘が――」

 言いかけた騎士の言葉を遮って、パティアが即座に言い放つ。

「ルナ! そいつらは敵よ!」

 瞬間的に、ルナは体を翻した。

 彼女の肩先を、騎士の剣が掠める。外套が鋭利に斬り裂かれて、赤い血飛沫が宙を舞った。

 捕えようと伸ばされた腕を、ルナは身を屈めて掻い潜る。

「こいつはディアナ様ではない! 目撃者は全員、殺せ!」

 号令と同時に迫る騎士たちの幾つもの剣を避けながら、ルナは彼らから距離を取ろうと後ろに跳ねる。

 しかし、騎士たちの攻撃はそれを許さない。執拗に、ルナに襲い掛かる。

 ――野盗や素人の動きではない。訓練された、正規兵のものだ。

 斬られたルナの銀色の髪が、風に乗って流れる。視界の端に、パティアたちに向かう数名の騎士の姿が見えた。

 悠長に追いかけっこなんてしている場合じゃない。

 ルナは足を踏み替えると、一人の騎士に肩から体当たりをした。

 ガンッ!

「――ッ!」

 纏った胸当ての金属に跳ね返されて、ルナの肩に激痛が走る。

 ルナは表情を歪めながらも、騎士の腕を取って関節を逆方向へと捻った。

 苦悶の叫び声を上げながら、彼は握っていた剣を取り落とす。ルナは地面を滑るようにして、その剣を拾い上げると、振り下ろされた別の騎士の剣撃を刃で受ける。

 しかし、さすがに立ち回りで圧倒できるほどの自信はない。ルナは口早に詠唱すると、自身の持った剣の剣身に手を添えた。

 一瞬の光と同時に、刃が木っ端微塵に砕け散った。

 鋭利な破片が、周囲の騎士たちの鎧の隙間を切り刻み、顔面へと突き刺さる。

 ルナの手のひらから、鮮血が滴り落ちる。自身も破片によって傷を負った手のひらを振るって血を払うと、ルナは大きく後ろに跳んで、悲鳴を上げて目を覆う騎士たちから十分な距離を取った。

 ――その時だった。

 大地が揺れるのを、ルナは感じた。

 異常を察知して振り向いたルナの視線の先で、若い男性が震えていた。

「…らない。…もう、あそこには…戻らない――!」

 パティアも異変を感じて、振り返った。

 この時になって初めて、彼の左腕が無いことにルナは気付いた。片腕の少年の周囲が歪んで、魔力が膨れ上がっていく。

「あなた、いったい…」

 彼から目を離せずに、パティアが呆然と呟く。

 ――まずい。

「パティア、逃げて」

 叫びながら、ルナは地面を蹴る。

 少年に気を取られている騎士たちの間を縫うように、パティアたちの元へと駆け出す。

 突然、ルナの目の前の大地が隆起して、彼女の視界を塞いだ。

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