第三章 14:王子の憂鬱
ルビナ山脈を縫うように流れる河川に沿って、ウィヴロス渓谷が続いている。
パティアとルナ、そしてメルリネスとクラウスの四人は、渓谷へと足を踏み入れた。
古くより、この街道はマリオール王国と東側諸国を繋ぐ交易路として使われてきた。道幅は広く、馬車が悠々と通れるほどだ。
普段は行き交う隊商の馬車や旅人の姿も見られたはずだが、今は人影すら見当たらない。
魔物の噂を聞き付けて、皆がこの街道を避けているのか。
いや、もしかすると――。
先頭を歩いていたクラウスが、足を止めた。
パティアも、すぐにそれに気付いた。
警戒しながら、四人はゆっくりと近付く。それは、破壊された馬車の残骸だった。
クラウスが腰の剣に手を掛けて、馬車の周囲をぐるりと一周する。
「…死体は無さそうだ」
「荷も、まだ残されていますね」
荷台の残骸に埋もれていた陶磁器の破片を、メルリネスが拾い上げた。
「こうもめちゃくちゃでは、ただのガラクタですが」
「でも、これじゃあ、事故なのか、魔物に襲われたからなのか、判別はできませんね」
パティアが腕組みして壊れた馬車を眺めながら、口元を隠して唸る。
ルナは黙って、周囲に視線を巡らせた。パティアの言うとおり、この場所から、それ以上の情報は得られなさそうだ。
崖の上の方を眺めながら、ルナはぽつりと独り言ちる。
「…村からの討伐隊って、どれくらいの人数だったんだろう」
その呟きに、パティアが反応する。
「昼間なのに、男性の姿がまったく見当たりませんでしたもの。あの規模の村なら、二十人ほどじゃないかしら」
ルナは言葉を返さない。自身のこめかみに指を当てて、考え込む。
その様子をさして気にした素振りも無く、パティアは曲がりくねる街道の先を眺めた。
「とりあえず、進みましょう」
パティアの言葉に、メルリネスとクラウスは頷いた。
四人は渓谷を、先へと進む。
しばらくして、妙な匂いに気付いた。風に乗って香る、清流の澄んだ水が放つ瑞々しい匂いと、街道を包み込む森林の微かに甘い緑の匂いに混じって、焦げ臭さがつんと鼻を刺激する。
人の気配を感じて、パティアとメルリネスが目を合わせた。
進むにつれて、焦げ臭い匂いがだんだんと強くなってくる。
街道の脇、拓けた場所に野営の跡があった。
少人数のものではない。十数人、いやもっとか、大勢の人間がこの場所を宿営地として利用していたと思われる。
だが、既にその火は消されて、辺りには人影は見えない。
ぬかるんだ地面に、幾つかの足跡も残っていた。
「村の討伐隊は、ここで夜を明かしたみたい」
パティアが落ちていた木の枝を拾って、火の消えた焚火の跡を掻き混ぜる。
「出発したのは、一昨日って言ってましたよね」
灰が、ふわりと舞い上がった。パティアはその焚火の跡に手を翳して、眉を顰めた。
「火が、まだ温かいわ」
「…討伐隊は、今朝までは無事だったということでしょうか」
メルリネスの呟きに、クラウスが口の端を吊り上げて周囲を見回した。
「まだその辺にいるかも知れねえな」
三方の視界を、深い木々が塞いでいる。この位置からは、渓流は見えない。
居るはずの鳥たちの囀りも聞こえない。奇妙な静寂が、この場所を風と共に薙ぐ。
「少し、この辺りを探してみましょうか。何か手掛かりが見つかるかも」
パティアの提案に二人は頷いたが、ルナだけは屈み込んで、地面に残された足跡を指でなぞっていた。
――足跡の沈み込みが、深い。
泥で汚れた指先を擦り合わせながら、ルナがゆっくりと立ち上がる。
小さく、質素な村だった。とても裕福な人々には見えない。
討伐隊は、槍や剣で武装ぐらいはしているだろうが、それでこれほど深い足跡が残るとは思えない。よほど重たい荷物を抱えて行進していたか、甲冑のような重装備を纏っていたか――。
この野営の跡は、本当に村の討伐隊のものなのだろうか。
捜索のために散開して、森の中へと入って行く三人の背中を、ルナは見据えた。
人の背丈ほどもある大きな窓から差し込む陽光が、部屋の中を明るく照らす。
日の光を受けた金色の髪が、どこか神秘的な輝きを帯びている。整えられた長い髪は毛先まで淡く光を纏い、その姿をより一層、印象的なものにしていた。
漆塗りの大きな執務机の前に座る金髪の男性が、差し出された報告書へと静かに視線を落としていた。
彼の視線が文字を追って滑らかに流れていくのを、軍医のエドモンドは厳粛な面持ちで見守る。
「時に、彼女はどうした?」
金髪の男性が、視線を報告書に落としたままで言う。爽やかで良く通る声だ。
「私にアレクシス様あての報告書を託して、お休みになられております」
エドモンドの返答に、彼――マリオール王国第一王子、アレクシスはふと視線を上げた。
青い瞳を、老齢の軍医に向ける。
「そうか。彼女も人間だということが分かって、安心したよ」
皮肉めいた笑みを浮かべると、アレクシスは再び報告書に視線を戻した。
――証言より。
薬品の製造と人体実験に参加していた女性Aの証言から、薬品の症状の発現は、被験者との相性の影響が大きな差異を生むのではないかと予想される。
主材料である魔物の血液が、人間でいうところの女性体のものであるため、被験者が女性である場合には、比較的穏やかな症状の進行が見られ、自我や形態が維持される症例が多い。逆に、被験者が男性の場合ではほぼ例外なく、自我の喪失や、肉体崩壊を引き起こす。
「…気になるな」
アレクシスの呟きに、エドモンドが首を傾げる。
「これがすべて事実なら、民衆のあいだに無用な混乱が広がる。魔女狩りに発展するかも知れない」
エドモンドの肩越しに、遠くを眺めるような目付きでアレクシスが眉根を寄せる。
「パティアは見つかったか?」
思い出したように投げ掛けられた言葉に、エドモンドは目を伏せながら首を横に振った。
「…いえ、ベルフェルから帰る途中で、また行方知れずに」
「そうか」と、アレクシスは垂れ下がる自身の長い前髪を掴む。
「何が起ころうと自業自得ではあるが、父上がまた心配なさるだろうな」
「現在、副長のセラフィヌス様の号令の元、第一騎士団がパティア様の居場所を捜索しております」
アレクシスが嘆息する。
「シリルも苦労するな」
そして、報告書を置いて、ゆっくりと立ち上がった。陽光の差し込む窓辺へと歩み寄って、外を眺める。
逆光で、彼の輪郭が霞んで見えた。
「パティアには女神の加護が付いている。私にも、ミレノアにも引き継がれなかった力だ。そちらは、シリルに任せておいて良いだろう。それよりも、だ――」
アレクシスが振り返って、鋭い目付きをエドモンドに向けた。
「エイシャに伝えてくれ。――引き続き、修道女たちの黒幕の調査を進めるように。情報の統制にも細心の注意を。特に、余計な干渉をしてくる貴族たちは相手にしないよう、念を押してくれ」
「はい」と、エドモンドが畏まって頭を下げた。
退出するエドモンドを見送ったアレクシスが、ため息を吐きながら天を仰ぎ見た。
「父上に、どこまで報告したものか…」
彼の父親でもある現マリオール王国国王は、穏健派として知られる一方で、社交的な人物でもあった。
考えたくはないが、国王の口から情報が洩れる可能性も考慮に入れる必要がある。だからといって、国家元首に何も報告せずに済むはずがない。
「これが、一番の悩みだな…」
アレクシスは自嘲めいた笑みを浮かべると、再び大きなため息を吐いた。




