第三章 10:犬猿
商業都市エルドヴァルを出発した隊商は、幾つかの街を経由して国境を目指す。
立ち寄る予定のそれぞれの街には、ブロム商会の支店があった。そこで荷の積み下ろしを行いながら、交易路を回ることになる。
「目的地のテーベイまで、順調にいって一週間と言ったところでしょうか」
夕餉のテーブルを挟んで、メルリネスが手にしたグラスを傾ける。
彼の話に拠ると、テーベイは小さな村だということだった。東の国境の先、ドゥルメリア都市国家同盟を構成するアリテアという都市国家に属する。ドゥルメリア都市国家同盟は、大小さまざまな十一の都市国家が結合して結成した政治体組織だ。
丸いテーブルを囲んで、メルリネスの右斜め前にはパティアが、左斜め前にルナが座っていた。
机上の燭台の火が、三人の表情をオレンジ色に照らして揺れる。夕食はパンとスープ、野菜と塩茹でされた肉料理が乗った小皿がそれぞれの前に置かれていた。
ナイフで切り分けた牛肉を、ルナは口へと運んだ。柔らかく、口の中で肉片の繊維がほろほろと崩れる。
「従妹のテオドラを助けていただいたことを感謝いたします。伯父からも、お二人のことは丁重に持て成すように言われております」
「カンナビエルリーフの栽培場所は、そのテーベイという村なのね」
パティアの静かな問いかけに、メルリネスは苦笑いして頷いた。
「ど直球ですね。ええ、そうです。一部の住民しか知らない、山奥にあります」
ルナがぶどうジュースで口内を洗い流す。
空になったグラスの底で、かたんとわざと音を立ててテーブルを叩く。
「テオドラに魔薬を横流ししていた奴がいたはずよ」
射抜くように睨むルナの視線を受けて、メルリネスはそっとグラスを脇に置いた。
「…死にました」
メルリネスは視線を手元に落とすが、その心底は読めない。
「ザインという男ですが、尋問中に毒を呷って自ら命を絶ちました」
言葉の真偽を推し量るように、しばらくメルリネスを睨んでいたルナだったが、ゆっくりと息を吐きながらデカンタを持ち上げて自身のグラスにぶどうジュースを注いだ。
「新世界との関わりは?」
「…新世界?」と、メルリネスは眉を顰めた。
「ああ、あの新興宗教団体ですか。特に何も聞いてはおりませんが」
夜と静寂を司る女神、ネレイラを崇める新興宗教――、という表の顔とは別に、隠された別の一面があるとシュタインは睨んでいる。
大陸のほとんどの国は、多神教国家だ。海神マリセアを崇める正マリセア教を国教とするマリオール王国国内でも、他の神を信奉する者たちもかなりの数、存在する。マリオール王国では信教に、特段に制限を設けてはいないからだ。
「何か、関係があるのでしょうか」
メルリネスが、不思議そうにルナを見つめた。
「知らないならいいわ」
ルナは視線を逸らして、食事を再開する。
実のところ、シュタインがそう言っているだけで、ルナも事件と宗教団体である新世界との関連はあまり良く分かっていない。だが、シュタインの持ってくる情報を追うたびに、事件に巻き込まれ、黒幕へと近付いている。
発端は、メルヴェという村での事件だった。今でこそ、メルヴェで何があったのかを理解できた。
メルヴェの村人たちは、実験台にされたのだ。
人を、魔物へと変貌させる薬。
シスター・クラリッサや、マザー・リオティネ。彼女らは、その薬を使って何をしようとしているのか――。
虚ろな口を広げた異形のグレタの姿が、脳裏でチラつく。
巻き込まれるだなんて、他人事のように言うのは間違っている。既にルナは、事件に他人を巻き込んでしまっている。
「その新世界って、なんなんだろうね。シリルから、その名前は聞いたことがあるんだけれど」
パティアがぽつりと呟いた。
グラスを置いて、メルリネスが腕組みする。
「ネレイラを信仰していると聞きましたが、神殿があるわけでもなく、宗教団体というよりも思想結社に近いという印象ですな」
「思想?」と聞き返すパティアに、メルリネスが答える。
「ええ、なんでも弱者の救済、虐げられている者たちが表舞台に立って、新しい世界を作り上げるとか。捉え方に寄れば、現体制の破壊につながる危険思想だとも言えなくもないですが」
――生まれながらに背負った悲哀のために、この世界から拒絶された。あなたもそうでしょう。
シスター・クラリッサが語った、あの言葉は、新世界のものなのか。
「王国も、困窮する民をただ見捨てているわけじゃないわ。教会に対する支援も継続的におこなっているし、弱き者を虐げるような政を王国が望んでいるわけでもない。言いがかりに聞こえるわ」
パティアがあからさまに、不機嫌そうに頬を膨らませる。
そして、拗ねたような口調で続けた。
「でも、そんなに怪しいなら、新世界を直接調べればいいじゃない」
口を大きく開けて茹でた花蕾野菜を放り込んだルナが、既に興味を失ったように言う。
「シュタに聞いてちょうだい。そもそも新世界が黒幕だってのも、シュタが持ってきた情報だし」
パティアが鼻筋に皺を寄せて、ルナを見据える。
「そもそも、よ。あなたは何者なのよ。私は、あなた達のことをまだ信用しているわけじゃない」
ルナも、冷ややかに視線を返す。
思わずたじろぎそうになるが、それを気取られぬようにパティアはじっとルナを睨んだ。
燭台の火が作り出す、二人の影が揺れる。思わぬ剣呑な雰囲気に、メルリネスは戸惑ったように二人を見比べた。
「誰だっていいでしょ」と、視線を先に逸らしたのはルナだった。
「私は、私の目的のために行動している。気に食わなければ、勝手に邪魔すればいい。もしそうなったら、私も容赦しないわ」
話しながら、ルナはグラスを手に取った。ぶどうジュースを一気飲みにする。
そして、ゆっくりと椅子を引いて立ち上がった。
「ごちそうさまでした。先に部屋に戻るわ」
メルリネスに軽くお辞儀をすると、パティアを一瞥して、ルナは部屋を後にした。
バタンと閉められたドアを、パティアは見つめる。
深く、息を吐く。そして彼女は、軽く握ったこぶしで自身のこめかみをこつんと叩いた。




