第三章 8:親と子
「…どういう意味ですか」
すっかり冷めきってしまったティーカップをそのままで、ウィルが訝しげに問う。
窓の側で、風に揺らされてカサカサと薬草が擦れる音が聞こえる。オルヴァンは黙って、目を見開いたままシュタインを見据えていた。
「どういうって、言葉どおりだよ」
シュタインだけが変わらない調子で、ティーカップを傾けた。
冷めたハーブティーをためらいもなく飲み干すと、小さく息を吐いた。空になったカップを軽く持ち上げる。
「もう一杯、もらえるか」
その言葉で、オルヴァンはようやく我に返る。
「あ、ああ」と、戸惑った様子で返事をしながら立ち上がると、炊事場へと向かった。
カツカツと乾いた足音がやけに重たく響き渡る。
「シュタインさん、そんな話は聞いてないです」
責めるようなウィルの視線を受けて、シュタインは肩を竦めた。
「なんとなく、話すタイミングがなくてな」
愛想笑いで誤魔化そうとするシュタインを、ウィルの視線は逃さない。
シュタインが、気まずそうに続けた。
「いや、なあ。そう言われただけで、俺はむざむざと死ぬつもりはないぞ」
そして、困ったように炊事場の方向を覗き見た。ちょうど銅製の薬缶を手にしたオルヴァンが、炊事場から戻って来るところだった。
シュタインの手元のティーカップが、再びハーブティーで満たされた。
オルヴァンがテーブルに薬缶を置いて、椅子に座り直す。
「ありがとう」と、シュタインは礼を言って、熱々のハーブティーに口を付けた。ひと口分だけ口に含むと、静かにカップを置いた。
「例によって情報源は明かせないが、かなり信憑性の高い情報なんだ」
ウィルが難しい顔で、冷めたティーカップに手を添えた。
「それって、シュタインさんが誰かに命を狙われてる、って話なんじゃないですか」
「俺の命を狙っている奴なんて、それこそ山ほどいる」
シュタインが手の平で、自身の口元を覆った。
「俺は、近い未来に死ぬ。だから――」
言葉を切って、大きく椅子の背凭れに寄り掛かった。
顎を上げて天井を仰ぎ見てから、ゆっくりと息を吐いた。再び落とされた彼の視線は、射抜くように、真っすぐにウィルに向けられた。
「もし、俺がそうなった場合、俺の代わりにルナを守ってやってほしい」
「…ルナさんを、ですか」
納得のいかない顔つきで、ウィルは首を捻った。
「ルナさんは守られる必要がないくらい強いじゃないですか。おれなんかじゃ無理ですよ…」
「ウィルには、それぐらい強くなってもらうつもりだ」
言いながら、シュタインがティーカップを手にした。立ち上るほのかな湯気が、シュタインの顔の前に薄いベールを掛ける。
冷めてしまった自身のカップを見つめていたオルヴァンが、ふと顔を上げた。
「ルナ、というのは?」
「ああ、言ってなかったな」
シュタインがハーブティーを味わって、無造作にカップを置いた。カタンとカップの底が、木製のテーブルを打つ。
「ルナ・ピアルシュド。今の、俺の相棒だ」
既視感にとらわれて眉を寄せるウィルの前で、オルヴァンの目が大きく見開かれた。
「まさか――」
彼は信じられないとばかりに、言葉を失う。
ウィルもようやく気付いて、はっと息を呑んだ。
「そうだ」と、シュタインが口元を歪めて静かに告げた。
「カトリアーナの娘だ」
理解が追い付かないのか、オルヴァンは目を見開いたままで固まる。
あのルナが、三大賢者のうちの一人と言われるカトリアーナ・ピアルシュドの娘――。ウィルの背筋を、寒気が駆け抜ける。大きな歴史の波に、自らも飲み込まれていくような感覚に陥った。
オルヴァンが、なんとか言葉を絞り出した。
「カトリアーナに娘がいたなんて、――正直、驚きました」
「最初は、俺も驚いたよ」
シュタインが笑って見せるが、オルヴァンは眉を顰めてじっと目の前を眺めたままだった。
オルヴァンの知っているカトリアーナ・ピアルシュドは浮世離れした、厭世観を背負ったような印象の持ち主だった。刃物のような美しさと、氷のように人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。
「おれさ、自分の未熟さを嫌ってほど実感したんだ」
ウィルが、父親を真っすぐに見据える。
「今のおれじゃあ、パティアを守ることも、何かを成し遂げることも出来ない」
その真剣な眼差しを、彼の父親は静かに受け止める。
「それが、どれほど危険なことなのか理解しているのか。むしろパティア様を脅威に追い込むことになるかも知れないぞ」
「――パティアは」と、ウィルは苦笑いする。
「おれがどうするとかとは無関係に、勝手に危ないことに首を突っ込むんじゃないかな…」
何か思い当たる節があったのか、オルヴァンは言葉を見失って視線を彷徨わせた。
隣で、シュタインが人差し指で自身の頬を掻く。
「父さんは、いつかこうなることを分かっていて、おれに剣を教えてくれた気がします」
改めてウィルの目は真摯に、父親に向けられた。
息子と、父親。二人はお互いを見定めるように、視線をぶつける。オルヴァンの視線を真っ向から受けても、ウィルは目を逸らさずに一歩も引かない。
しばらくして、先に視線を逸らしたのはオルヴァンだった。
「決めたら、意地でも引かない。ルシアナの血だな」
彼は視線を落としながら、小さく息を吐いた。わずかな苦笑に、どこか誇りが覗く。
「お前の選んだ道は、死ぬよりも辛いことが待っているかも知れない。――俺はお前に、剣しか教えることができなかった」
ゆっくりと顔を上げた。そして、告げる。
「他のことは、シュタイン殿に学ぶと良い。そして、彼の後について行きなさい」
「はい」と、ウィルは迷いなく頷いた。
二人のやり取りを眺めていたシュタインが、テーブルに両手を付いて立ち上がった。
「話はまとまったな」
そして、残ったハーブティーを一気に飲み干す。
「出発の前に、俺の戦い方を見せてやる。オルヴァン、少し相手をしてもらえるか」
「私で良ければ」と、オルヴァンもおもむろに立ち上がった。




