第三章 5:偶然の出会い
翡翠色に艶めく青磁の工芸品がずらりと並んでいる。どれも高価なものばかりだ。
興味本位でパティアがふらりと店内を覗き込んでいると、商店の奥から店主が顔を出した。満面の笑みを張り付かせて、彼女の方まで歩み寄って来る。
「お嬢様、何かお気に召す物がございましたか」
冷やかしのつもりで眺めていたパティアは、愛想笑いで慌ててその場から立ち去る。
――ウィルとシュタインを見送って、暇を持て余したパティアは街に出ることにした。
一応、ルナにも声を掛けたのだが――。
「なんで好き好んでわざわざ太陽の下を歩かなきゃいけないのよ」と断られた。
エルドヴァルの市場は、多くの人々で溢れ返っていた。
王都パール・シティにも近いこの街は、物流と交易の拠点として栄えている。街の中心にある市場には様々な露店が立ち並び、多くの商人たちと旅行者が行き交う。
パティアも彼らに交じって一人、市場を散策していた。
シリルの護衛無しで、こうして自由に街をぶらりと歩き回れるなんて初めてのことかも知れない。王城を脱走して城下に繰り出したことはあったが、いつシリルに捕まるか、ドキドキの緊迫感に追われながらの冒険だった。
市場を進むと、甘ったるい香ばしい匂いが漂ってきた。
パティアはその匂いに惹かれて、通りを先へと歩いていく。飴細工や炭火焼を売る露店を幾つか通り過ぎると、大衆酒場が見えた。
「…これぞ、旅の醍醐味よね」
パティアはにんまりと笑って、酒場の入り口を潜った。
昼間から、店内は喧騒の熱気に満ちていた。ロングドレスの上に白いエプロンをした店員たちが、忙しそうに駆け回る。家族連れの客の姿もあった。
案内されて、パティアは端の方の空いていたテーブルに座る。
それぞれの卓に置かれた料理に目を奪われながら、パティアは壁に掛けられたメニュー表と見比べる。どの料理も、とても魅力的に見えた。
くぅと、お腹が鳴る。
「一杯、奢らせていただけませんか」
掛けられた声に、パティアはおもむろに振り向いた。
黒い髪が耳の辺りまで覆っている、若い男性が立っていた。屈託のない表情で、彼女に微笑みかける。
「嫌です」と、パティアは即答して、再びすぐに壁のメニューに視線を戻した。
構わず、男性は椅子を引いてパティアの正面に腰掛けた。そして手を上げて、大声で店員に注文する。
パティアは眉を顰めて、彼を迷惑そうに睨み付けた。
「怖いなあ。あ、ほら来ましたよ」
麦酒が二つ、テーブルに置かれた。彼はそのうちの一杯をパティアの方に押し出すと、もう一杯の木製カップを手に取って目の前に掲げる。
「お願いです。人助けだと思って」
男性が、笑顔でパティアをじっと見る。
根負けして、不機嫌な表情のままでパティアもカップを手に取る。軽く乾杯を交わした。
パティアが麦酒にひとくち、口を付けている間に、彼は一杯目を一気に飲み干した。すぐに店員を呼んで、お代わりを注文する。
警戒深く、パティアはカップ越しに男性を見つめた。
その視線を意に介した素振りも無く、彼はにっこりと笑みを見せた。
「実は、お恥ずかしい話、ここの酒代を払ったら一文無しなんですよ」
彼は、向かいの壁を見やる。そこには求人募集の張り紙が何枚も貼られている。
パティアの反応をまったく無視して、男性は一人で話を続けた。
「それで、仕事を探しているんですが」と、彼は自嘲気味に笑う。
「私のような身元の怪しい人間は、何処も雇ってはもらえない」
「確かに、これでもかってくらいに怪しいわ」
パティアの言葉に、彼は嬉しそうに目を細めた。
「そうなんです。とても怪しいのです。だから、このお酒のお礼に、あなたが私の身元保証人になってもらえませんか」
思わず、パティアは飲んでいた麦酒で咽る。
けほけほと咳き込みながら、充血した目で彼を睨んだ。
「なんで、私があなたの身元を保証しなければいけないのよ」
男性はなんでもないことのように、さらっと続ける。
「見れば分かります。あなたは身分のある方だ。あなたが保証していただけるのであれば、私は明日から路頭に迷わずに済みます」
そして麦酒を飲み乾して、またお代わりを注文した。
「明日から路頭に迷うってのに、ずいぶん豪快な飲み方ね」
呆れて言うパティアを横目に、彼は顎を上げて天井を仰ぎ見て、頭の上で空っぽになったカップを逆さまにする。残った一滴が、カップの縁を滴って彼の口にぽとんと落ちた。
満足そうに、顔を戻してパティアの方に向き直る。
「ええ。だからって、今日を楽しむのは良いじゃないですか」
パティアは麦酒を飲みながら、男性を値踏みするように見据えた。
言動は十分に怪し過ぎるが、これといった悪意は感じられない。よほどの楽天主義者なのだろうか。そこだけ色素が抜けているのか、前髪が一房分だけ乳白色に見える。
「あなた、名前は?」
パティアの問いかけに、男性は一瞬だけきょとんと目を丸くする。
「…名前。そうか、名前が必要ですね」
彼は店内を見回した。パティアも彼の視線を追う。
――ルー・ファウンマンの酒場。
壁に大きく書かれた店名を一瞥して、男性は答えた。
「ルーファスです」
パティアが半目で睨む。
「あからさまに偽名ね。良い根性してるじゃない」
男性は視線を戻して、首を傾げた。
「生まれながらに、名前を持っている者はいない。すべての名前は誰かが付けたものだ。あなたの名前も、ご両親から付けてもらったものでしょう。これが偽名なら、世の中はすべて偽名だ」
「屁理屈ね」と、パティアは一蹴する。
「生まれたばかりの赤ん坊じゃあるまいし、そんな言い訳は通用しないわ」
しかし、男性は全く悪びれた様子を見せない。
「生まれたばかりとも言えるし、そうでないとも言える。文化の違いですかね」
目の前で、ゆっくりと手を組んだ。
「私は、ルーファス。以後、お見知り置きを」
そして、にこりと優しげに微笑んだ。
パティアが呆れ顔で、ゆっくりとため息を吐いた。
「…分かったわ、ルーファス。こうしましょう。あなたの保証人にはなりません。代わりに、紹介してあげることはできるわ」
「おお、それは有り難い。投資の甲斐がありました」
ルーファスが手を上げて、店員を呼ぶ。
「どんどん頼んじゃってください」
「奢りよね?」
問うパティアに、ルーファスは頷きながら立ち上がった。
「勿論です」
そして、求人募集の張り紙が貼られている壁の方へと向かった。
やって来たまだ若い女性の店員に、パティアは別のテーブルを指差していくつか料理を注文する。
一枚の張り紙を手にして、ルーファスが席に戻って来た。
「これなんか、いいですね。報酬も良いし、私が行きたい方向にも近い」
その言葉を、パティアは聞いていやしない。
テーブルに身を乗り出して、壁に掛かったメニュー表から、さらに幾つもの料理の注文を続けた。
「…ま、まだ頼むんですか」
笑顔を張り付かせたルーファスの頬を、一滴の冷や汗が滑り落ちる。
「どれも美味しそうなんだもの」
ひとしきり注文を終えて、パティアは椅子に座り直した。
ルーファスの手元の求人票を見る。隊商の護衛の求人募集のようだ。
パティアの視線に気付いて、ルーファスはテーブルの上を滑らせて求人票を差し出した。
――急募。
目的、交易隊商の護衛。
目的地、トゥガリル地方。往路のみ可。
募集人数、若干名。経験者優遇。
報酬、マリオール金貨三枚。――依頼主、ブロム商会。
「ふぅん…」と、パティアはそれに素早く目を走らせる。
行商隊は自ら武装していることが一般的だが、足りない人員の埋め合わせの為に、出発前に護衛を募集することがある。これもそういった求人募集の一つだろう。
「ブロム商会ならすぐにでも紹介できるわ。私たち、今そこに滞在させてもらっているから」
最初の料理が運ばれてきた。小皿に山盛りになった山猪肉の燻製に、パティアは目を輝かせる。
早速、手掴みで一切れ、口の中に入れる。香ばしさが鼻腔を抜ける。噛むと、脂身の甘みがじんわりと漏れ出した。
頬を押さえて、パティアがにんまりと笑みを浮かべた。
その様子を、ルーファスは目を細めて眺める。
「…ええ。偶然ね」
呟きながら、彼は口の端をわずかに釣り上げた。




