第三章 4:世界の移動
ヴァルター・ブロムの邸宅の一室に、シュタインは三人を集めた。
窓から差し込む陽光に目を細めながら、ルナがレースのカーテンを引く。そして、そのまま腕組みして窓際の壁に寄り掛かった。
部屋の中央に置かれた丸いテーブルに、シュタインとパティア、ウィルが座る。
暗くなった部屋を訝しむように、パティアがちらりとカーテンを引いたルナに視線を向けた。ルナは黙って腕組みをしたままだ。
「揃ったな」と、シュタインが笑顔で一同を順に見渡した。
「勿体ぶった話し方ね」
ルナが不機嫌そうに茶々を入れる。
「まあ、大事な話だ」
苦笑いしながら、シュタインが小さく息を吐いた。
「明後日、ブロム商会の隊商が出発する。まずは姫様とルナがそれに乗せてもらって、先に出発してくれ。俺とウィルは、後から追いかける」
「「――どういうことよ」」
ルナとパティアの声が重なる。
「ウィルは聞いてたの?」
手を付いて、パティアがテーブルの上に身を乗り出した。
「…あ、ああ。まあ」と、彼女の剣幕に押されて、ウィルが曖昧に答える。その視線が、助けを求めるようにシュタインに向けられた。
「詳しくは話せないが」と、前置きして、シュタインが続けた。
「ウィルを連れて、少し寄り道するところがある。なに、直ぐに追いつくさ」
パティアがしかめっ面で、シュタインとウィルを交互に睨んだ。
ウィルが何かを言おうと口を開きかけたが、再び固く閉じられた。
しばらくして、パティアが静かに問う。
「…それって、ウィルが強くなるために必要なことなの?」
「強くなれるかどうかは、ウィル次第だけどな」
シュタインの返事を聞きながら、パティアがウィルをちらりと見る。そして、眉を顰めたままで、鼻息荒く椅子に座り直した。
「それならば、仕方ないわ。先に行ってるから、早く追い付きなさいよ」
安堵の表情を浮かべたウィルから顔を背けて、パティアは拗ねたように唇を尖らせる。
「私は嫌よ」と、窓際でルナが不快そうに顎を上げた。
「お姫様の護衛なんて、まっぴらご免よ。私は一人でも問題ないから、お姫様もそっちに連れて行ったらいいんじゃない」
パティアが、キッと彼女を睨んだ。
「いや、な。ルナ、それはできないんだ」
シュタインが宥めるような、柔らかい口調で言いながらルナの方に振り向いた。
「あくまでも、俺と、ウィルだけの…そうだな、秘密の特訓みたいなものだ。他の誰も、――ルナ、お前にも、これに立ち会わせるわけにはいかない」
「…なによ、それ」
苛立ったように、ルナが険しい表情をシュタインに向ける。
「いずれ分かる。今は黙って、俺を信用して従ってほしい」
「ふん」と、ルナが腕組みしたままで顔を斜め上に逸らした。
「守ってもらわなくて、結構。自分の身ぐらい、自分で守れるわよ」
不服そうに言いながら、パティアも腕組みして椅子の背凭れに寄り掛かった。カタンと小さく椅子の脚が鳴る。
「その言葉を忘れないで。私は、あなたのことなんて知らないから」
ルナの挑発を、パティアは強気な笑みで返す。
「ええ、それでいいわ。あなたこそ、何かが起こっても泣き言なんて言わないようにね」
二人は睨み合うと、ふんっと同時にそっぽを向いた。
その様子をおどおどと窺っていたウィルに、シュタインが笑い掛けた。
「良かったな。もう仲良くなったみたいだ」
「「どこがよ!」」
ルナとパティアの声が同時に響き渡った。
「…あの二人、大丈夫でしょうか」
舗装されていない通りを歩きながら、心配そうにウィルが呟いた。
商人たちの威勢の良い声で溢れるエルドヴァルの倉庫群を抜けて、シュタインとウィルは街の出口の方へと向かっていた。砂埃を巻き上げながら、ガタガタと車輪の音を響かせて荷馬車が駆け抜けていく。
「大丈夫だろ」と、シュタインは気軽な様子で答える。
「口は悪いが、ルナはあれで案外優しいやつだ。二人とも、意外とうまくやるだろうさ」
ウィルはまだ不安げな顔で、街の方を振り返った。
日が高くなり過ぎないうちに、シュタインとウィルの二人は出発した。
シュタインからは、目的地の話など一切聞いていない。ウィルはただ、彼の後を付いて歩く。とりあえず、エルドヴァルの街は出るようだ。
街門を潜って、街の外へ出た。シュタインは街道を外れて、丘陵の方向へと向かう。
「改めて聞くが、本当に良いんだな?」
シュタインが目を細めて、横目でウィルを見る。その表情から先ほどまでの柔和な笑みが消えていた。
ウィルは真っすぐに前を見据えたままで、迷わずに頷いた。
「はい。この先、おれは足手まといでいたくないんです」
蛇身のクラリッサに一撃を入れられたのは、彼女が手負いだったからだ。そうでなければ、ウィルの剣は、クラリッサの体に傷ひとつ負わせることが出来なかった。
パティアと一緒に、王国に仇成す者達を追えば、ああいった化け物をこれからも相手にすることになる。
――今のおれでは、無力だ。パティアを守ることすら出来ない。
「シュタインさんは、どうして力を隠しているんですか」
ウィルの言葉に、一瞬だけシュタインが目を見開いた。しかしすぐに、わずかに口元を緩める。
「いろいろと面倒な理由があるんだよ。…まあ、それもこれからのことに関係もしている」
ウィルは思い出す。ベルフェルの鐘楼の前で、ウィルがまったく気が付けない速さで、シュタインは彼の剣を奪って剣先を眼前に突き付けた。
銀髪の魔物と戦っていた時もそうだ。背後から聞こえたシュタインの声。そして次の瞬間には、魔物の背後にシュタインは回り込んでいた。
ただ速いなんて代物ではない。
それに、シュタインは戦いの最中も終始、余裕の表情を崩さなかった。
パートナーであるルナの到着を信じて待っていた、というのもあるだろう。しかし、それだけではないと、ウィルは感じていた。
勝てる力を持っているが、それをおれたちには見せたくない。
だから、ルナが来るまで時間稼ぎをしていた。
「この辺りでいいか」
シュタインが立ち止まる。
街道からはだいぶ外れて、辺りにはまったく人影は見えない。二人だけだ。
息を呑み込んだウィルの喉が、ごくりと動く。シュタインの仕草を凝視して窺う。
「まずは、男として筋を通さないとな」
シュタインがわざとらしく、腕や足を伸ばして準備運動を始めた。腕を回しながらゆっくりとウィルとの距離を詰めると、彼の肩に手を置いた。
「――いいか、耐えろよ」
一呼吸置いて、シュタインが続けた。
「最初は吐きそうになるもんだ。我慢しろ」
ウィルが返事をしようとした、その瞬間――。
彼の視界は、世界を喪失した。




