第三章 3:夢
ぱちぱちと爆ぜる火に照らされて、端正な顎のラインが浮かび上がる。
一緒に焚火を囲みながら、ルナはその顔に見惚れていた。目深に被ったフードにその表情のほとんどが隠されているが、覗く口元が優し気に微笑んでいる。
――良かった。生きていたんだ。
ルナは安堵のあまり、胸の辺りから一気に熱い感情が込み上げてくる。
話したいことが山のようにある。あれから一年、いろんなことがあった。
私も、少しは強くなったんだよ。リディアに守ってもらわなくてもいいぐらいに。むしろ、私がリディアのことを守ってあげる。そうだ、それがいい。そうすれば、ずっと一緒に居られる。
ルナが笑顔で、話し続ける。一方的に喋る彼女の話を聞きながら、リディアが口元を押さえて笑う。
焚火の炎が激しく揺れる。映し出される影が歪んだ。
その時、二人を覆う闇に違和感を覚えた。
ルナが顔を上げる。その瞬間、頭上から巨大なエネルギーが一直線にリディアの体を貫いた。
左肩から右の脇腹までを消滅させる。リディアは体を両断されて、唖然と口を開いたままで消し炭に成り果てた。
叫ぼうとしたルナの声が、声帯に引っ掛かって出て来ない。
視界が滲む――。
「ぁあ…!」
ルナは、自分の上げた声で目を覚ました。
何か、夢を見ていた。
しかし、どんな夢だったのか思い出せない。心臓が早鐘のようにどくどくと激しく脈打つ。息苦しい。ルナはゆっくりと息を吸い込んだ。
枕が濡れていた。目の端に、涙の跡を感じた。
ルナは目元を拭いながら、寝返りを打った。高い天井を眺める。
胸の奥が重たい。抉られるような違和感に、ルナはわずかに眉を顰めた。
ヴァルター・ブロムの邸宅の一室。ルナに割り当てられた客室だ。
のそりとベッドから体を起こして、窓際に歩み寄る。カーテンをずらして、外の様子を窺った。
外はもうだいぶ明るい。眩しさに目を細めて、ルナは大きく欠伸をした。
すらりと長い手足を使って体を伸ばしながら、ドアを開けて部屋を出た。階段を降りて、人の話し声がする方へと足を進める。
「…お、やっと起きたか」
一階の玄関ホールで、ルナに気付いたシュタインが笑顔を向ける。
「もう皆、朝飯は済ませたぞ」
「そう」と、答えながら階段を降り切ったルナは、両手で自身の腹部を押さえた。空腹を思い出した彼女のお腹がくぅーと鳴る。
外に出て、屋敷を回り込んで中庭へと向かう。井戸の縁に腰掛けているパティアと目が合った。
日差しを手で遮りながら、ルナは井戸に近付く。足をぶらぶらと揺らしていたパティアが、ルナを見て手を上げた。
ルナも手を上げて応えながら、井戸に歩み寄って水を汲んだ。
水を手で掬って、顔を洗う。冷水が心地良い。
ようやく覚めてきた頭で周囲に視線を巡らせると、ウィルが剣を素振りしているのが見えた。
彼の鋭い動きに合わせて、珠のような汗が飛ぶ。動きに無駄がない、美しい太刀筋だ。冷たい水で喉を潤しながら、ルナは感嘆の息を漏らした。
「私は、まだあなたのことを信用してるわけじゃないわ」
素振りを続けているウィルに視線を向けたままで、パティアが呟くような口調で言う。
ルナは振り向いて、パティアの横顔を見つめた。金色の艶やかな長い髪が太陽の光の下で輝いて見える。白い肌の上で、つんと尖った愛らしい小さな鼻が険しそうにぴくりと動く。
「――あのシュタインという男のことも」
ルナに気付いて素振りを止めたウィルが、笑顔で大きく手を振る。
彼の方に向いて、ルナも小さく手を振り返しながら、微かに笑みを浮かべて口の端を吊り上げた。
「どうでもいいけど、足さえ引っ張ってくれなければ。お姫様を守りながら戦うだなんて、ご免被るわ」
パティアがルナを見て、不敵に笑う。
「このパティア・セレスティア・マリオールに不遜な口を利いたことは許してあげます。朝食はまだでしょ。早く食べないと、屋敷の侍女たちも困ってるわよ」
「ありがたくそうさせていただくわ」
水を飲み干すと、ルナは口元を外套の裾で拭った。
屋敷に引き返すと、そのまま食堂へと向かう。玄関ホールに、シュタインの姿は無くなっていた。
「おはようございます、ルナ様」
侍女の一人が、彼女を席に案内する。
出された柔らかいパンを穀物のスープに浸して、口の中に放り込んだ。口内で崩れたパンが舌に触れ、滲み出してくる穀物の甘みと、ふんわりと優しい香りが鼻に抜けた。自然と、笑みがこぼれる。
シュタインに付いて旅をするようになってから一年。
彼は、とある筋からの依頼で「新世界」という新興宗教の裏側を探っているらしい。らしい、と言うのは、ルナはすべて彼を通しての話しか聞かされていないからだ。
ただその過程で、ルナも幾つかの事件や陰謀に関わることになった。
この大陸で何かが起きているのは確かだ。
気付けばルナは、テーブルに肘を付いて手元のスープをぼんやりと眺めていた。銀色のスプーンで、黄褐色のスープをゆっくりと掻き混ぜる。
私は、リディアの代わりだ。私の為に命を落とした彼女の代わりに、彼女がやろうとしていたことを、私がやらなければならない。
手を伸ばした先で、消滅していくリディアの姿が脳裏を過ぎる。
「――後は、頼んだわ」
その声が聞こえたわけではない。
だが、彼女が消え去るその寸前、その口はそう動いたような気がした。
リディアはもういない。
だから、私がリディアになればいいんだ。そうすれば、彼女はまだ生き続けられる。
カチャリと音がして、ドアが開いた。シュタインがその長身を覗かせる。
「…ルナ、食事は済んだか。あっちで少し話をしよう」
リディアは、かつてのシュタインのパートナーだった。それ以上の二人の関係は知らない。
彼女を死なせてしまったルナを、シュタインはどう思っているのか。あれから一年、今日のこの日まで、彼からは一度もそのことについて責められたことはない。
「分かった。もう行くわ」
ルナは返事をすると、冷めたハーブティーを一気飲みにした。
屋敷の玄関の方へと立ち去ったルナの姿を見送って、パティアは視線を自身のつま先に落とした。
「はぁー…」と、重たいため息を吐く。
「どうした?」
剣を鞘に納めながら、ウィルが井戸の方へと歩み寄って来た。
パティアは井戸の縁に座ったままで足をぶらぶらとさせながら、伏し目がちに眉を顰める。
「あの銀髪を見ると、ドキッとしちゃうんだよね」
鐘楼の街ベルフェルで対峙した、あの銀髪の魔物の面影を、どうしてもルナの銀色の髪に重ねてしまう。偏見と言ってしまえばそれまでなのだが、あの時の恐怖は忘れられない。
ウィルが思案するような顔で、胸の前で腕を組む。
「ああ。確かに透き通るような綺麗な髪だよな――痛っ…!」
パティアは、ウィルの脛を思いっ切り蹴り上げた。




