「だからガンドルフは私のお婿さんね!」
針葉樹林が広がる古竜の大森林の南には崖がある。崖には最近木の柵ができて、崖下に古竜の大森林の住人たちが落ちないように境界線が引かれた。
この柵は魔獣と普通の獣の境目だ。柵の向こう、崖の下には人間たちが獣を繁殖させて作る牧場と呼ばれる場所がある。
レイチェルはその崖の柵に腰掛けて、眼下に広がる広大な人間たちの土地を眺めた。緑の草原の中に、もこもことした白い生き物がメェメェ泣きながらのんびり草を食んでいる。
そんなレイチェルの背後から、声がかかった。
「よう」
「あら、いらっしゃい!」
振り向くと、ガンドルフが立っていた。騎士服じゃない、簡素な格好。その背中にはまるで旅に出るかのような大きな背嚢を背負っている。
レイチェルは柵からひょこりと降りた。
「来てくれたのね!」
「まぁな。……墓、移したのか」
「ええ。案外言ってみるものね? エルダーの身体を頂戴って言ったら、あっさりくれたわ」
あの日、大暴走が終結した日。
大地の血管の修復をしたことにより、魔獣たちはただの獣へと退化した。
文字通り大暴走を終結させたレイチェルは大地の血管から帰還すると、王太子アベラルドを叩き起こして二つのことを要求した。
一つはアマンダの剣を返してもらうこと。
もう一つはエルダーの遺体を古竜の大森林へと移すこと。
どちらも王家の、世界の古い遺産だ。
当然のようにアベラルドは渋った。渋ったので、レイチェルはそれならちょっと人類滅ぼして来る、と脅したら条件付きで許してくれた。
その条件というのが、今後レイチェルが魔獣を作らないこと。大地の血管を通して、世界の調律をレイチェルが行わない、ということだった。
アベラルドがレイチェルのしたことを本当の意味で分かっているかは知らない。そんなことをしたら人類はあっさり滅びそう、ってレイチェルは言ったけれど、アベラルドは人類が滅びかけたのは竜災だけだと言い切った。
正直、舐めてると思ったけれど、ガンドルフがどうせレイチェルがいずれ消えていなくなれば同じことだと言った。確かにその通りだと思った。なので試しに、ありのままの世界を渡してみるのもいいかもしれないと思い直してその条件を飲んだ。
そうしてレイチェルは大地の血管との間にあった生命の力の接続を切断した。
そうしたら身体がずいぶんと楽になった。
「なんでわざわざ並べたんだ。お前はエルダーを憎んでいたんだろう。それこそ末代まで祟ってたくらいに」
ガンドルフが柵に歩み寄って、レイチェルが見ていたものを見る。
レイチェルは反対に、森のほうへと振り向いた。長い黒髪を風になびかせながら、樹林の奥にあるだろうものを見据える。
視線の先には湖があり、そこにアマンダの墓があった。その隣には今、エルダーも眠っている。
その二人が眠る場所を想いながら、レイチェルは複雑に絡まり合っていた胸の内を言葉にした。
「憎んでいたけどね。でもそれと同じくらい、大好きだったの」
言葉にしてしまえば、たったそれだけのこと。
憎んでいたけど、同じくらい大好きだった。大好きだったと言えるくらいの思い出が、色褪せることなくレイチェルの中に残ってる。
大地の血管の中、辰星の予言書が見せてくれた過去の断片で、その思い出が蘇った。
「三人でいた頃は、すごく幸せだったの。アマンダは私もエルダーも愛してくれて、エルダーは私とアマンダの世話を焼いてくれて、私もアマンダとエルダーが大好きだった」
本当に幸せだった。
かつての幸せを思うと泣きたいほど切なくなる。だってそれは、もう二度と手に入らないものだって知っているから。
「ねぇねぇねぇ、ガンドルフ。ガンドルフは知ってる? 私が竜になった理由」
「竜になった?」
ガンドルフがレイチェルのほうへと振り返る。
辰星の予言書の断片でレイチェルが竜になったのは知っているだろうけれど、きっとそのもっと前、始まりのことは知らないはずだ。
レイチェルはもう一度柵のほうへと身体を向けると、広く続く大地と青空を見て。
「私はね、うんと昔、魔女の森へと捨てられたの。死にかけていた私をエルダーが見つけて、アマンダのところに連れて行ってくれた。そこでアマンダは私を生かすために、生命の力を大地の血管から引っ張ってきたんだけど……その結果、どうなったと思う?」
「どうなったって……」
「私ってば竜に進化しちゃったのよ!」
「そうだったのか!?」
「私が半人半竜なのはそのせいなのよ?」
「おいおいおい……」
ガンドルフが頭を抱えてしまった。
そんな様子がなんだか面白くて、レイチェルはくすくすく笑う。
ひとしきり笑ったあとで、ガンドルフの肩をちょんちょんとつついた。おそろいの虹色の瞳にレイチェルが映る。
ガンドルフの瞳の中にいる自分へ言い聞かせるように、レイチェルは言葉を紡ぐ。
「私の命はね、アマンダなりの、世界への保険だったのかもしれないって思うの」
「保険?」
「エルダーは自分が拾ってきた子供を殺せないって知ってたのよ。だから私を竜にしてくれた。竜にして、生かしてくれた。竜を滅ぼしたいと願っていたエルダーの願いを矛盾した形にするために」
それはどれほどの苦悩だったんだろう。
エルダーがどう思っていたのか、レイチェルには分からない。
アマンダをエルダーが殺すその日ですら、エルダーはレイチェルに優しかった。優しくて、強くて、大好きなお兄ちゃんのままだった。
懐かしそうに話すレイチェルに、ガンドルフが問いかける。
「英雄王は……エルダーはどんな人だったんだ?」
「エルダーは優しいお兄ちゃんだった。遊んでくれたし、知らないことを教えてくれた。私とアマンダとエルダーは家族のように過ごしてた。二人は私の家族になってくれたの」
レイチェルに家族を教えてくれたのはアマンダとエルダーだった。
古竜の大森林に捨てられる前の記憶なんて、もう思い出すこともない。レイチェルが始まったのはエルダーに拾われてからで、レイチェルを育ててくれたのも彼らだった。
それを聞いたガンドルフの表情も和らぐ。
「家族か。それは良かったな」
「良かったと思う? 最終的に、お兄ちゃんがお母さんを殺したのに?」
レイチェルが意地悪を言えば、ガンドルフが絶句した。それから直立でレイチェルに向かいあって立ち、直角に腰を折る。
「……すまん」
「謝るのはずるい。ガンドルフはアマンダの魂を持ってるんだよ。アマンダを半分持ってるから、謝られると許すしかないじゃない」
レイチェルはむぅっと唇を尖らせた。ガンドルフが申し訳無さそうに顔を上げたけれど、おちょこ口のレイチェルを見て真顔になる。
レイチェルはなんとなく、ガンドルフは笑うのを堪らえる時に真顔になるんじゃないかしらと思った。ちょっと釈然としない。
まぁいいや、と思考を切り替える。
レイチェルはこの機会だから、ずっと一人で考えて、考えて、考え続けていたことを、ガンドルフにも聞いてみることにした。
「ねぇ、ガンドルフは分かる? エルダーがどうして約束を守りに来てくれなかったのか。アマンダの心臓で作った剣を、どうして返しに来てくれなかったのか。末代まで祟ってやるって言ったら独身でずっといるって言ったのに、どうして子孫を残したのか」
ずっとずっと不思議だった。
レイチェルにとってエルダーという人は、交わした約束を絶対に守る人だった。そんな人が、レイチェルとの約束を全て破った理由が分からなかった。
だからアマンダの生まれ変わりであるガンドルフに聞いてみたけれど、彼も首を振る。
「俺にも分からんが……王家にエルダーの日記が残っていた。餞別に貰ってきたぞ」
ガンドルフはそう言って、背中に背負っていた背嚢の側ポケットから一冊の本を取り出した。
エルダーの日記は、千年経つというのに保存状態がとても良かった。ほんのりと力の残滓を感じる。おそらくエルダーが長く保たせるために、魔術をかけたのだろう。
レイチェルは本を受け取ると、無造作にページを捲った。エルダーの几帳面だけどちょっと大きな文字で千年前の日々が綴られている。
〝魔女と竜のせいで病が蔓延している。どうにかしないと。〟
〝味方になってくれる魔女を見つけた。〟
〝修行が始まった。〟
〝僕はいつか彼女を殺さないといけないらしい。〟
〝子供を拾った。死んだ妹を思い出した。〟
〝レイチェルがいつも所在なさげにしている。〟
〝アマンダが釣った魚をうっかりクッキーが入っていた籠に入れてしまった。レイチェルが初めて笑った。〟
〝アマンダから合格をもらった。三日後、アマンダを殺す。〟
〝病の竜を倒した。その魔女も殺した。これで妹を殺した死の病が、世界から消えるはずだ〟
〝全ての竜を討伐しろと言われている。どうするべきか。〟
〝素敵な女性と出会った。アマンダのように可愛くて優しい人。また会えるだろうか。〟
〝魔女狩りが始まった。僕が竜殺しの剣の秘密を教えてしまったせいだ。〟
〝レイチェルを守らないと。〟
〝国を興すらしい。僕が王になれって、馬鹿らしい。〟
〝結婚して、子孫を作ることにした。レイチェルとの約束を終わらせないために。〟
〝死ぬ前に一度、あの森へ行きたかった。帰りたかった。彼女に会って謝りたかった。〟
〝息子へ継ぐ。東の森に優しい竜種が住んでいる。我が血筋は彼女によって呪われているので、決して近寄らぬように。〟
〝だけど永劫の果てに彼女が狂ってしまった時は、魔女の国へ帰してあげて欲しい。呪われた白夜砂漠の向こうに、魔女の国があるはずだ。〟
綴られた日記には、誰にも漏らしたことのないだろうエルダーの葛藤が綴られていた。レイチェルはエルダーの生の足跡を指で追いかけながら、泣きそうな顔で笑う。
「……エルダーってば、約束の守り方が下手すぎるよ」
「……確かにな」
一緒に日記を覗いていたガンドルフが、ぽんぽんとレイチェルの頭を撫でてくれた。
レイチェルは本を閉じると胸に抱いて、ぽすりとガンドルフの胸にもたれかける。
「ねぇねぇ、知ってる? 怒るのって、すごくお腹が減るのよ」
「そうだな」
「……チョコレート、食べたいなぁ」
「あるぞ」
ガンドルフの背嚢には何でも入っているらしい。どこからともなくチョコレートを取り出したガンドルフが、レイチェルの口の中にひょいっとひとかけいれてくる。
レイチェルは反射的に口の中をもごもごさせた。
「甘くて美味しいわ!」
目を輝かせたレイチェルに、ガンドルフの眉も垂れる。それは良かった、とレイチェルの頭上から声が降ってくる。
「それで、これからどうするつもりだ? まだエルダーの子孫を殺すのか」
ガンドルフの言葉に、レイチェルはうーんと唸る。
空を見上げて、蒼い空でのんびり漂う雲を見つめた。
「アマンダの剣も帰ってきたし、エルダーにも会ったし、約束はこれでおしまい。私ももう、疲れちゃったから」
穏やかな気持ちでそう言い切れば、ガンドルフがわしゃわしゃとレイチェルの髪をかき混ぜる。レイチェルはきょとんとしてガンドルフを見上げた。
「変わったな。出会った頃に比べて、憑き物がすっかり落ちている」
憑き物。
確かにこの千年、約束という名の何かにずっと囚われていた。それを憑き物というのならそうなのかもしれない。
自分の二つ名を思い出して、その業の深さにレイチェルは思わず笑ってしまった。
魔女には二つ名がつく。魔女から生まれた竜にも、相克する二つ名がつく。
名は体を表すとはよく言ったもので、その能力や性質は二つ名通りであることが多い。
魔女アマンダの二つ名は『喝采の魔女』。
それに相克するレイチェルの二つ名は『怨嗟の竜』。
かつて滅ぼされた『病の竜』よりも、よっぽど邪悪でねちっこい二つ名だった。
もし何もないレイチェルだったら、その性質に飲み込まれて、もっとひどい千年を過ごしていたと思う。
だけど、苦しみながらも、狂いそうになりながらも、笑って、笑顔で、正気を手繰り寄せて生きることができたのは。
「アマンダとの思い出のおかげかもね? お母さんにいっぱい甘やかしてもらったから!」
「俺は男だ!」
もはや反射反応になっているらしい。ガンドルフが母という言葉だけで自分の性別を主張してきた。レイチェルは朗らかに笑って、ガンドルフに抱きつく。
「知っているわ! 私のガンドルフ、これからずっと一緒よ」
ぴょんっと地面を蹴って、ガンドルフの首に腕を回した。
彼の顔が近くなる。
ちゅ、と軽く唇同士を合わせてみた。
ガンドルフが全身を硬直させる。
レイチェルはガンドルフの首に腕を回したまま、身体を密着させて、にこにこと彼を見上げて。
「……あ?」
我に返ったらしいガンドルフの目が、正気か? と言わんばかりに見開かれる。そんなガンドルフに、レイチェルはまくし立てた。
「これは運命だったのよ! アマンダの魂魄が私とあなたに分かれているし、あなたは私の眷属だし」
「……ん?」
「それになにより、世界に二人だけの竜種よ! これはもう、結ばれる宿命だと思うの!」
「待て。待て待て待て」
「だからガンドルフは私のお婿さんね!」
「待て!? なんでそうなった!?」
ガンドルフが咆哮するような勢いで叫んで、レイチェルを自分から引き剥がした。
レイチェルはいけずな反応をするガンドルフに、諭すように教えてあげる。
「言った通りよ。私もあなたも人間から竜種に進化した。繁殖するなら、あなたが番えるのは私だけなのよ!」
レイチェルの暴論にガンドルフは絶句する。
わなわなと震えて、ガンドルフはもう一度吠えた。
「待ってくれ、俺は三十路のおっさんだぞ!? いいのか!?」
「私は千歳のおばあちゃーん!」
「こんな若いおばあちゃんがいてたまるかー!」
全力で叫んだガンドルフに、崖下の羊たちがなんだなんだと上を見上げている。レイチェルはにこにこ笑って、翼を広げた。するりとガンドルフの背後へ移動する。
バサリと翼を一度打つと、眼の前にある広い背中へ飛びついて。
「いっぱい愛してあげるわ、旦那様!」
「旦那様って、なぁ……」
疲れたように項垂れたガンドルフ。
レイチェルはおんぶのような状態のまま、視線を地面に降ろされた背嚢へと向けた。
「で、貴方はどこに行くつもり? 王太子に殺されかけて、竜種になっちゃって。その様子じゃ、この国にはもういられないんでしょう?」
「そうだなぁ……」
ガンドルフは顎をさすりながら、崖下に広がる牧場の向こうを見つめる。レイチェルも同じほうをじっと見つめて。
英雄王エルダーの築いた国が、南から西にかけて、広く広がっている。
千年、古竜の大森林によってここが世界の果てだと信じられていたし、森の主だったレイチェルもその外に出たことがない。
でも実際は、世界はずっとずっと広くて。
レイチェルがガンドルフの表情をそろっと伺うように見ると、彼は屈託なく笑った。
「前に聞いた、東の白夜砂漠とやらに行ってみるのもいいかもな」
冒険に出る子どものように笑うガンドルフに、レイチェルの胸もどきどきと高鳴った。頬が火照って、心臓が一生懸命に動き出す。
「ねぇねぇねぇ、それって私も連れて行ってくれる?」
「お前、この森から出られないんじゃないのか?」
「大地の血管との接続を切ってしまったから、もう大丈夫! 私を縛るものはもうないわ!」
レイチェルは力強く言い切った。
ガンドルフがそんな彼女の頭を肩越しにわしゃわしゃとかき混ぜる。レイチェルはその大きな手のひらが嬉しくて、満面の笑顔を浮かべて。
「なら行こうか」
「えぇ! 森の外へ、世界の先へ!」
辰星の予言書の導きにより、二人は歩き出す。
魔女アマンダと英雄王エルダーが遺したちっぽけな世界を置き去りにして、千年越しにレイチェルの時間が動き出した。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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