「魔女に喝采を、咎人に願いを、望まれぬ私たちに永劫を!」
地中から噴き上げた光の奔流は、レイチェルが可視化できるように意識を同期させた大地の血管そのものだ。
いわゆる物理世界を超えた、精神世界に近い。
「ガンドルフー!」
「レイチェル!」
声のするほうへ飛び出して、レイチェルはガンドルフに抱きついた。
方向性のある生命の力に流されそうになるのを、ぐいっと力業で耐える。ガンドルフがたたらを踏んだ。
「これはなんだ! 皆は!」
「大丈夫、処理落ちしてるだけだと思うから」
「処理落ち……?」
おそらく騎士たちはその辺に転がっているはずだ。レイチェルが可視化した大地の血管の衝撃波にあてられて、気絶しているだけ。
大地の血管は通常、人間に知覚できない。大地の血管を可視化させたのは、レイチェルがガンドルフに分かりやすく感知させるためだ。
例えるなら、空気に色粉を撒くのと同じ。その空気についた色粉が目に入って人間は目が潰れる、そんな状況に近い。
「それは大丈夫なのか……?」
「大丈夫よ。私たちが頑張れば、全て元通りになるから」
レイチェルはそう言ってガンドルフに密着したまま、ワルツを踊るように右手を彼の左手に絡める。
「さぁ、始めるわよ。あなたには大地の血管がちゃんと見えているわね? 力の弱いところを目指してステップを踏んでいくの。できるかしら」
「ステップって……ワルツでも踊らせるつもりか?」
「その通りよ! 私のステップは辰星の予言書の楽譜だから、つられないでね?」
まるで舞踏会の曲目かのようにレイチェルは言う。
いまいちレイチェルの言うことが分からなそうなガンドルフだったけれど、とにもかくにも、やってみるしかないと腹をくくったようだ。
「ちゃんと見つめて。前を見て。私とは違うわよ。さぁ――いち、に、さん」
おもむろに一歩を踏み出した。
瞬間、白一色だった景色の中に、鏡面のような亀裂が入る。
『これはいったいどういうことですか!』
その声はガンドルフの声だった。
ガンドルフがつられたようにそちらを見れば、鏡のような亀裂の中に、アベラルドに直訴している自分がいる。
「あれは、古竜の大森林攻略が決まった時の……」
「つられないで。私が辰星の予言書と接続しているから、あなたにも漏れちゃっているみたい。その亀裂は過去であり、未来であり、現在でもある。辰星の予言書の片鱗に惑わされないで。囚われちゃうわ」
レイチェルは真顔で警告する。
ガンドルフが気を引き締めるのを見て、レイチェルは進路方向とは反対のほうへと視線を向ける。
この記憶の欠片は危険なものだ。辰星の予言書に接続しているからこそ分かる。囚われたら、抜け出せなくなる。
だからレイチェルはガンドルフに影響がでないように細心の注意を払う。それでも、力の片鱗はこぼれてガンドルフのほうへと流れてしまう。
ガンドルフは足を一歩、踏み出した。
また亀裂が入る。
『ごめんなさい……っ! 私は、貴方を裏切ってしまった……! 私に貴方と幸せになる資格なんて……っ』
『そんなことはない。君は裏切っていない。僕が上書きしよう。この腹の子は僕と君の子だ。僕と結婚してくれ』
母と父の声。
その会話は、ガンドルフの出生の真実。
アベラルドから聞かされて、まさかと思っていたのに、それを裏づけられるような会話だった。苦々しい気持ちになる。
レイチェルもステップを刻む。
ぐんっとガンドルフにかかる力の圧が増した気がした。
『なら行こうか』
『えぇ! 森の外へ、世界の先へ!』
自分と、レイチェルの声。
どこに向かおうとしているのか。こんな会話をした記憶がない。レイチェルの言うことが本当ならば、これは未来の出来事なのだろうか。
ガンドルフは辿る。大地の血管に生まれた亀裂を避けて、力の圧が少ないほうへ、弱いほうへとステップを踏む。
力の圧が弱まったと感じるたび、レイチェルが力の圧を携えて持ってくる。
少しずつ、少しずつ。何度も、何度も。
まるでダンスホールの中、ガンドルフがリードするように。
レイチェルが生命の力という名のドレスの裾を翻す。
『お前の槍術はとんでもないな。誰だ、槍を投げようと思った奴は』
『あなたのゴリ押しの大剣よりはマシでしょうが』
まだ騎士になりたての頃、イレネオと初めて任務で一緒になった時の会話だ。あの時はお互いに、こんな地位まで上り詰めるとは思ってもいなかった。
『貴方は私に何を願うの? その代償に何をくれるの?』
『竜の倒し方を。代償に、僕のできることなら何でもしてみせる』
『それなら私と家族になりましょう! 貴方が竜を倒せるくらいに強くなるまで、私の家族になって頂戴!』
笑顔を浮かべる赤髪の女性。
これはガンドルフじゃない。ガンドルフの魂に刻まれた記憶。
魔女が迫害され、竜を生み出さなければ身を守れなかった時代。竜を生み出すことなく、たった一人で森にひっそりと生きていた喝采の魔女。
彼女が竜を生み出さなかった理由はただ一つ。
『私が竜を生み出さない理由? そんなの簡単よ。私の生む竜は、生きることに向いていないから』
『どういうことですか』
『それはね……』
亀裂の記憶は断片的だ。
気になる言葉の先を聞けずに終わる。
ガンドルフの意識がそちらに向いているのをレイチェルは気がついた。仕方ないな、と思いながら、レイチェルはその亀裂の先に続くものを手繰り寄せる。
『いらない、みんな、いらない。しにたいよ、しなせてよ。ころしてよ、ころしたい。みんな、きえてよ。おまえなんか、わたしなんか、いなくなれば……』
『レイチェル、そんな言葉を吐くんじゃない。ほら、笑って』
幼い姿のレイチェルが椅子に座って、足をぷらぷらさせながら俯いて呟いている。
そんなレイチェルの頬をぐにぐにと摘んで、エルダーは無理やりレイチェルを笑わせて。
「あれは」
「私の属性は怨嗟の竜。竜は魔女と正反対の属性で生まれるわ。千年前、薬草の魔女の竜が病を振り撒いたように、喝采の魔女の竜である私は呪詛を吐いていたの。それをエルダーが人としての部分を優しく引き出してくれた」
エルダーがいなければ、レイチェルはせっかく生き返ってもその首を吊って死んでいたかもしれない。
だからアマンダは竜を生まなかった。
生まれた竜が自らの属性に耐えられずに、崩壊する可能性が高かったから。
それを支えたのがエルダーであり。
『アマンダ、こわいよぅ。わたしのなかで、ずっと、きらいっ、しんじゃえって、こえがするの……』
『あらあら。それならおまじないを教えてあげましょうね。笑いましょう、歌いましょう。怖い声よりも素敵な言葉を、音にしてあげるのよ!』
アマンダだ。
懐かしい声を聞きながら、レイチェルはステップを踏む。辰星の予言書を軸に、これまで分配した生命の力を逆解析して吸収し、ガンドルフのほうへと流してゆく。
ガンドルフは大地の血管の乱れる場所……力の弱い場所へと足を運び、レイチェルを導く。
レイチェルの額に玉のような汗が滲んだ。
それでも笑顔を絶やさない。レイチェルは笑って力を流していく。
「あと、どれくらいだ……!」
「もう少し……っ」
辰星の予言書の解析の負荷がレイチェルにかかる。目尻から涙のように血がつたった。
ガンドルフの表情が変わる。
「レイチェル、血が!」
「平気っ! それよりまっすぐ見て! あそこ、大地の血管が切れてる! そこを繋ぐわよ!」
ようやく見つけた、大地の血管の綻び。
生命の力の循環が乱され、古竜の大森林に集中しすぎたために、大地の血管が分断されたのだろう。
レイチェルは辰星の予言書をたどり、過剰に分配してきた生命の力をガンドルフへ引き渡す。
ガンドルフが力の奔流にたたらを踏む。
「しゃんとして! それでも騎士なの!」
「っ、言われずっ、とも!」
ガンドルフの爪先が、大地の血管の断裂へと向く。
一歩を踏むごとに、背中を押してくる生命の力に倒れこみそうになる。足を踏みしめ、転ばないように。着実に一歩を進めていく。
「ちゃんと私をリードしてね」
レイチェルが血の涙を流しながら囁く。
生命の力……いや、魔力ともいうべきものからかけられる力の圧はレイチェルが受けるもののほうが莫大だ。今、ガンドルフに一度に流れ込まないように、レイチェルが関所となって堰き止めているから。
レイチェルが目をつむる。
身体をガンドルフに委ねる。
声が、聞こえる。
『今すぐいなくなれ! 私の前から消えちゃえ! アマンダを殺した咎を末代まで祟ってやる!』
『それなら僕は、ずっと一人で生きていこう』
『ならばたとえ生まれ変わろうと、私はエルダーを呪ってやる!』
懐かしい。
これは最後の時の記憶だ。
千年前の記憶の断片。
レイチェルの口角がほんのちょっぴり上がる。
このあと、たしかレイチェルとエルダーは。
『アマンダの死を、無駄にしないで』
『分かってる。全部終わったら、返しに来る』
『返しに来たら、殺してやる……!』
約束した。
約束したのに、エルダーはこなくて。
でも千年越しに、ようやく。
ようやく。
「レイチェル! 断裂まできたぞ! ここからどうすればいい!」
レイチェルの意識が引き戻される。
目の前にはガンドルフ。
赤く滲む視界の中、レイチェルはガンドルフの頬へと指を這わせた。
「ありがと、ガンドルフ」
「どうした」
「ここまで連れてきてくれて。怯える私の手を引っ張ってくれて」
ガンドルフの眉が訝しげに顰められる。
レイチェルは笑った。
「私、忘れていた。アマンダにもらったもの、エルダーにもらったもの。そして、彼らが守りたかったもの!」
レイチェルはガンドルフの手を離す。
魔圧に押し出されるように大地の血管の断裂へと身体が投げ出される。
ガンドルフが手を伸ばす。
「レイチェル!」
レイチェルは魔圧に煽られながら、ガンドルフに笑いかける。
「改めまして! 私は怨嗟の竜、レイチェルよ! 恨んであげる! 憎んであげる! 呪ってあげる! 大好きな人たちが慈しんだこの世界で、私は怨嗟の産声をあげてやる!」
ガンドルフが地面を蹴った。
大地の血管の断裂に落ちていくレイチェルの腕を掴む。
「何をするつもりだ!」
「私が! あなたの願いを叶えてあげる!」
過剰な魔圧の負荷で、はち切れそうになる身体。
レイチェルは大地の血管の上で四肢を広げて、全身で受け止める。
「ありがとう、ガンドルフ。さよなら、ガンドルフ。私はあなたが大好きよ」
約束を果たせなくてごめんなさい。
それだけが心残りだけれど、レイチェルは今とても嬉しい。
辰星の予言書に接続したことにより、レイチェルは知った。気がついた。
レイチェルが死なない理由。
レイチェルが死ぬための方法。
魔女アマンダがレイチェルにかけた永劫の魔法は、レイチェルの魂を古竜の大森林にしばりつけるためのもの。かつ、竜の再生力によって成立するものだった。
だから今なら。
ガンドルフに導かれて古竜の大森林の領域外に出て、竜の再生力を上回るはずの生命の力を一身に浴びて。
過剰な栄養が根を腐らせて花を枯らすように。
ここまですれば、レイチェルの魂は肉体から開放される。
そう、辰星の予言書は告げている。
「世界最古の竜種がいなくなれば……私がいなくなれば。あなたの願いは叶えられる。竜なんて、私なんて、いなくなればいい――」
ようやく、千年の孤独から解放されると。
そう、思って。
虹色の瞳が閉じられる。
大地の血管がもたらされた生命の力によって、修復されていく。
修復時の魔圧で千切れそうになる四肢。
崩壊の痛みと再生の痛みの中、レイチェルは微笑を浮かべて身を委ねる。
けれど。
「望まれない命など! 存在しない!」
ガンドルフの声が、すぐそばで聞こえた。
反射的に瞼を押し上げれば、レイチェルの目の前にガンドルフの顔があって。
レイチェルの身体を、ぐっとガンドルフが抱き寄せる。
魔圧に耐えきれないガンドルフの身体が、見えない刃で切り裂かれるように血飛沫を噴き上げる。
「ガンドルフ、だめじゃない! あなたまで死んじゃう……っ」
「たわけたことを言うんじゃない! 死なせなどするものか! お前は、望まれない命なんかじゃない! 俺も! お前も! 望まれて、生かされてきた命だっ!」
大地の血管の亀裂が記憶を呼び起こす。
『お腹の子に罪はない。間違いなく君の子だ。僕らでこの子を育てよう』
『誰がなんと言おうと、この子は私たちの子……!』
ガンドルフの両親たちの決意が。
『……僕がこの子を必ず生かします。だからアマンダ、お願いです。この子を助けてあげて』
エルダーの願いが。
『レイチェル。良い子。貴女は良い子。その憎しみを糧に、生きなさい』
アマンダの言葉が。
『可愛い、可愛い、我らの子』
『健やかに、優しい子に育ってね』
忘れていた。失くしていた。
生みの親たちの、かつての想いが。
レイチェルの瞳から涙が溢れていく。
魔圧で吹き飛んでいく涙を眺めながら、レイチェルはガンドルフの大きな背中へと腕をまわす。
辰星の予言書との接続を切った。大地の血管に横たわる純粋な生命の力。その力の奔流に耐えることだけに全力を注ぐ。
「魔女に喝采を! 咎人に願いを! 望まれぬ私たちに永劫を! ――生命の力は生きる力。私たちを、人類を、生あるものを! 世界よ、すべてを生かしなさい!」
レイチェルの絶叫に感応し、生命の力は流動する。
修復した大地の血管が繋がり、循環が始まる。
その力の激流に押し上げられるように。
レイチェルとガンドルフの意識が、浮いて、溶けて、はじけて、消えた。




