4 静かな家と妹の華やかな檻
私の結婚は、妹の婚礼ほど世を騒がせはしなかった。
当然のことだ。
相手は皇帝ではないし、国中の目が注がれるような結びつきでもない。
けれど私は、その当然をありがたく思っていた。
誰もが私を見ているわけではない。
誰もが私の一挙手一投足に意味を見出そうとするわけでもない。
祝福はあった。
家族の喜びもあった。
けれどそれは、遠くから押し寄せる波のようなものではなく、暖炉の火が部屋を満たすような静かなぬくもりだった。
婚礼の日の朝、私は鏡の前に座っていた。
侍女たちが髪を整え、衣装をととのえ、白い布を肩に掛けていく。
鏡の中の私は、やはりきちんと美しかった。
若い頃の私は、その整えられた姿を見るたびに、どこかで息苦しさを覚えていた。
誰かに求められる形へ、自分を押し込めていくような感覚が、いつも胸の奥に残ったからだ。
けれどその日は不思議と違った。
今日の私は、誰かの期待の器であるだけではない。
私自身の人生を選び取るために、この装いを身につけている。
そう思うだけで、同じ白でも重さが変わる。
母が後ろから鏡をのぞき込んだ。
「よく似合っているわ」
「ありがとうございます、母さま」
母は私の肩にそっと手を置いた。
厳しい人の手だった。
娘を甘やかすより、立たせることを知っている手。
けれどその朝の手つきは、いつもよりわずかにやわらかかった。
「幸せになりなさい、ヘレーネ」
私は鏡越しに母を見た。
その一言だけで胸が熱くなるほど、私はまだ幼かったのかもしれない。
あるいは、母からそういう言葉を真正面から受け取ることに慣れていなかっただけか。
「はい」
それ以上は言えなかった。
結婚式は滞りなく進んだ。
祈りの言葉が響き、蝋燭の火が揺れ、祝福の視線が私たちへ向けられる。
マクシミリアン・アントンは、誇らしげというより少し緊張した顔で立っていた。
けれどその緊張が、私にはかえって好ましかった。
場に慣れきった余裕ではなく、この日をきちんと大切に思っているからこその硬さに見えたからだ。
誓いの言葉を交わす時、彼の声は低く、まっすぐだった。
私はその声を聞きながら、ふと妹の婚礼を思い出した。
あの日のあの子は、誰よりも美しかった。
けれどその美しさは、朝露に差す強すぎる光のようで、触れれば消えてしまいそうな危うさがあった。
今の私は違う。
誰もが息を呑むほどの華ではなくても、足元にたしかな地面がある。
私は誓いの言葉を口にした。
その声は震えていなかった。
式のあと、祝福の言葉がいくつも寄せられた。
華やかな賛辞より、穏やかな祝福のほうが胸に沁みる。
そんなことを思う年齢になったのだろうか。
いや、まだ若い。
けれど少なくとも私はもう、眩しさそのものを幸福とは思わなくなっていた。
新しい家へ移って最初に感じたのは、静けさだった。
もちろん召使いたちはいる。
来客もある。
家としての格式もある。
だが、空気が違った。
ウィーンの宮廷について妹の手紙から想像していたような、どこで誰に見られているかわからぬ張りつめた気配がない。
人が歩き、話し、笑い、仕事をしている。
けれどそこには、常に誰かの機嫌を計らねばならぬ冷えた緊張が薄かった。
私は数日のうちに、自分が家の中で自然に息をしていることに気づいた。
朝、窓を開ける。
庭に光が差している。
鳥の声がして、遠くで使用人たちが働いている音がする。
そのありふれた気配の中で、私は何度も思った。
ああ、暮らしというものは、こうして始まるのだと。
ある朝、食卓でマクシミリアン・アントンが言った。
「昨夜はよく眠れましたか」
「ええ」
「それはよかった」
それだけの会話だった。
けれど私は、ふと可笑しくなってしまった。
「どうしました」
「いえ」
私はナプキンを整えながら首を振った。
「こんなふうに、眠れたかと尋ねられるのが、なんだか新鮮で」
彼は少しだけ笑った。
「それはたしかに、あまり詩的ではありませんね」
「でも、悪くないわ」
「では、今後もあまり詩的でない夫でいることにします」
私は笑った。
本当に可笑しかったから笑った。
その時、前に彼へ語った言葉が胸によみがえった。
笑うべき時に笑うのではなく、本当に可笑しい時に笑える家。
私はそれを、もう手に入れ始めていた。
結婚生活は、燃え上がるような恋とは違った。
けれど、日ごとに少しずつ手のひらへなじむ手袋のような安らぎがあった。
彼は私に無理な明るさを求めなかった。
私が黙りたい時には黙ることを許し、話したい時には最後まで聞いた。
私はようやく知った。
人に大切にされるとは、眩しい言葉を浴びせられることではない。
黙っていても急かされず、息の長さを乱されないことでもあるのだと。
それでも、妹のことを忘れた日はなかった。
婚礼からしばらくして届いた手紙は、以前よりも装飾の多い便箋に、以前よりも慎重な筆跡で書かれていた。
姉さま。
皆さまはよくしてくださいます。
ゾフィー大公妃も、私のためを思ってさまざまなお教えをくださいます。
私は未熟ですから、学ぶべきことがたくさんあるのだと毎日思い知らされています。
そこまでは、誰が読んでも美しい手紙だった。
だが私は、妹の文の癖を知っていた。
あの子が本当に楽しげな時は、文章にもっと跳ねるような軽さがある。
書きたいことが多すぎて、行の端まで勢いよく埋めてしまう。
この手紙には、それがなかった。
私は続きを読んだ。
私はきっと、もっとしっかりしなければなりません。
皆さまのお言葉は正しいのです。
正しいのですが、私は時々、どこでどう息をつけばよいのかわからなくなります。
子どもたちのことも、私の手の中にあるようでいて、いつも誰かの手の中にあるような気がします。
私はそこで手を止めた。
子どもたち。
妹はすでに母となり、そして幼い子を一人失っていた。
その悲しみの深さを、私はまだ本当には知らない。
けれど手紙に滲む孤独だけは、紙越しにもわかった。
ゾフィー大公妃が孫たちの養育に深く関わっているという話は、耳には入っていた。
けれど、手紙に滲むこの感覚は噂より重い。
自分の子を、自分の手の中にあるようでいて、そうではないと感じること。
それが母にとってどれほど残酷か、私はまだ実感としては知らない。
けれど女として、それがどれほど心を削るかは想像できた。
その晩、私は夫に尋ねた。
「お忙しいところ、ごめんなさい」
「あなたのためなら忙しくないことにできます」
「そういう言い回しは、時々だけずるいわね」
彼は書類から顔を上げ、少し笑った。
「時々だけなら許していただけますか」
「ええ」
私は手紙を膝の上に置いたまま言った。
「宮廷というところは、やはり息苦しいものなのかしら」
彼はすぐには答えなかった。
軽々しく語るべきことではないと知っているからだろう。
「場所にも、人にもよるでしょう」
「そうね」
「ただ」
彼は言葉を選ぶように続けた。
「誰もが善意で動いている時ほど、逃げ場がなくなることはあります」
私は顔を上げた。
「善意で?」
「ええ。厳しくするのも本人のため。導くのも家のため。正しいことを教えるのも愛情のうち。そうして善意ばかりが重なると、そこから外れた人は、どこで苦しいと言えばよいのかわからなくなる」
私は黙った。
その通りだと思った。
ゾフィー大公妃はきっと、皇后としての妹を正しく導きたいのだ。
宮廷の人々も、帝国の若き花にふさわしい姿を求めているだけだ。
陛下もまた、自分なりに妹を大切にしているのだろう。
なのに、その善意の網の中で、あの子は少しずつ呼吸を失っている。
「妹は昔から、風のような子でした」
私がそう言うと、彼は静かに聞いていた。
「つかまえようとすると、するりと逃げてしまう。でも、誰より美しくて、誰より自由そうで」
「そのような方が、宮廷では苦しいかもしれませんね」
「ええ」
私は唇を噛んだ。
「でも、あの子は皇后なのですもの。耐えなければならないのでしょう」
その言葉を自分で口にしながら、胸のどこかが冷えた。
耐えなければならない。
なんと便利で残酷な言葉だろう。
マクシミリアン・アントンは、私を見つめた。
「耐えることができるかどうかと、耐えるべきかどうかは同じではありません」
私は息を呑んだ。
簡単に誰かを裁かない人だと知っていた。
けれどその静かな一言は、私の胸に深く沈んだ。
妹は我慢が足りないのだろうか。
甘やかされて育ったせいだろうか。
自由を好みすぎるせいだろうか。
私は何度もそう考えた。
考えようとした。
けれど今、夫の言葉を聞いて気づく。
誰かの苦しみを、資質の足りなさだけで片づけようとするのは、あまりに楽な理解だ。
妹は妹なりに、もう十分すぎるほど耐えているのかもしれない。
しばらくして、私は初めて身ごもった。
新しい命が自分の内に宿っていると知った時、喜びと同時に、どうしようもない不安が押し寄せた。
女の体は、何かを得るたびに同じだけ失うかもしれぬものを抱える。
そのことを誰もが当然のように受け止めるのが、私は少しだけ恐ろしかった。
母へ知らせ、家族へ知らせ、妹にも手紙を書いた。
すると返事はすぐに届いた。
姉さま、おめでとう。
あなたが母になるのだと思うと、なぜか私までほっとします。
姉さまなら、きっとお子を落ち着いて抱けるのでしょうね。
私は、いつまでたっても上手になれない気がするわ。
その文を見た瞬間、胸が締めつけられた。
私は落ち着いて抱けるのでしょうね。
なんという言い方だろう。
褒めているのに、どこかで自分を責めている。
私は返事を書いた。
何度も書き直して、最後にはひどく短い手紙になった。
私はまだ何も上手ではないわ。
でも、おまえがそう言ってくれるなら、少しだけ勇気が出ます。
どうか自分を責めないで。
おまえは昔から、人を愛することにかけては誰よりまっすぐだったもの。
手紙を閉じたあと、私は長く窓の外を見ていた。
庭の木々が風に揺れている。
空はやわらかく晴れていた。
私の家は静かだった。
使用人たちの足音。
遠くで開く扉の音。
台所から運ばれてくる温かな匂い。
その一つひとつが、暮らしの輪郭をつくっている。
私はここで母になろうとしている。
そして妹は、華やかな宮廷のただ中で、子を抱くことさえ思うようにできずにいるのかもしれない。
一歩違えば、あれは私だったのだろうか。
その問いは、結婚してからも時々胸に浮かんだ。
以前は、それを思うたびに傷んだ。
奪われた未来の幻のようで。
けれど今は違う。
もし私が皇后になっていたなら。
私は妹より上手にやれただろうか。
それとも、もっと早く静かに壊れていただろうか。
私は昔ほど、その答えに自信が持てなくなっていた。
子が生まれた日、私は泣いた。
痛みのせいだけではない。
小さな命をこの腕に抱いた瞬間、世界がいっぺんにやわらかくなった気がしたからだ。
抱いていい。
この子を、今ここで抱いていい。
そのあまりに当たり前なことが、胸に満ちた。
夫は私の傍らで、まだ強張ったままの顔で子を見つめていた。
私は弱く笑った。
「そんな顔をしなくても、この子はあなたを食べたりしないわ」
「それはありがたい」
「ずいぶん怯えているのね」
「怯えますとも。こんなに小さいのに、こんなに大切そうなのですから」
その言い方が可笑しくて、私は少しだけ笑った。
笑いながら、泣いた。
この子は私の子だ。
母である私の腕の中にいていい。
誰かの許しを待たなくていい。
その幸福が、妹の手紙と鋭く対になって胸に残った。
後日、私は妹へ出産の報せを書いた。
返事は祝福に満ちていた。
けれど行間には、やはり消えぬ寂しさがあった。
姉さま。
どうかたくさん抱いてあげて。
母親の腕の中で眠る子の重みを、姉さまはきっと忘れないでいられるでしょう。
私はその一文の前で、しばらく動けなかった。
どうかたくさん抱いてあげて。
それは願いだった。
そして同時に、自分にはそれが思うようにかなわないという告白でもあった。
私はその夜、眠っている我が子を何度も抱き直した。
小さく温かな重みが胸にしずむたび、幸福と痛みが同じだけ押し寄せた。
私の家は静かだった。
妹の宮廷は華やかだった。
けれど静かな家のほうが、よほど人を生かすことがある。
華やかな場所のほうが、よほど人を孤独にすることがある。
私はようやく、それを身にしみて知り始めていた。
選ばれなかったことで手に入るものが、この世にはたしかにある。
誰にも羨まれはしなくても、腕の中にあたたかく残るものが。
そして選ばれたことで奪われるものもまた、たしかにある。
誰もが羨むその裏で、少しずつ指の間から零れ落ちていくものが。
妹の人生は、まだ続いていた。
私の人生もまた、始まったばかりだった。
けれど私たちはもう、違う檻と違う庭の中で暮らしていた。
その違いが、やがてどれほど大きなかたちで表れるのか。
その時の私は、まだ知らなかった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




