12 不幸な女ではなかった
後世の人々は、私の人生を不幸だというだろうか。
その問いを、私は若い頃よりずっと静かな気持ちで口にできるようになった。
窓の外では、白い光が落ちている。
暖炉の火は穏やかに燃え、老いた私の指先をかろうじて温めていた。
若い日の私は、冬という季節をどこか終わりのように感じていた。
けれど今は違う。
冬は終わりであると同時に、過ぎてきた季節すべてを見渡すための季節でもある。
私は長い生を生きた。
選ばれなかった十九歳の夏。
穏やかな結婚。
愛した夫との静かな暮らし。
その夫を若くして失った初夏。
子らの成長。
そしてまた、別の喪失。
人生は、たった一度の失恋や、たった一度の選択だけで決まるものではなかった。
それを知るまでに、私はずいぶん長い時間を要した。
夫を失ったあとも、私は生きた。
生きるしかなかった、と言うほうが正しいかもしれない。
子らは成長し、笑い、病み、また笑った。
その姿を見るたび、胸はやわらかくなり、同時に恐ろしくもなった。
愛するということは、失うかもしれぬものを増やすことでもある。
やがて私は、その恐れが現実になる日を知った。
子を失う。
あの痛みは、若い頃の私には想像もできなかった。
夫を失った時とは違う痛みだった。
胸の奥を抉られるというより、自分の体の一部が音もなく欠け落ちるような痛み。
そこにあったはずのものがなくなり、けれどなお腕は抱こうとして空を切る。
私は泣いた。
神に問い、返事のない沈黙にうなだれた。
どうして。
なぜ。
何ひとつ納得できなかった。
けれど、それでも私は子の名を呼ぶことができた。
思い出を語ることができた。
母として泣き、母としてその死を抱えた。
そのたびに私は、妹のことを思った。
エリザベート。
あの子もまた、失い続けた。
子を失い、安らぎを失い、宮廷の中で少しずつ自分の輪郭を失っていった。
人々はなお彼女を美しいと称えた。
旅をし、馬に乗り、眩い姿で人々の目を奪い続けた。
けれど私は知っている。
その美しさが、彼女を守ったのではない。
むしろ、壊れていく姿をいっそう華やかに見せる幕になっただけだと。
年月が経つにつれ、私たち姉妹はますます違う人生を歩んだ。
私は静かな家の中で悲しみを抱え、子を見送り、祈り、思い出を胸にしまいながら老いていった。
妹は広い世界を渡り歩き、皇后であり続け、風のようにどこにも留まれぬまま年を重ねていった。
あの子の人生は、誰の目にも華やかだった。
けれど私は、あの華やかさを一度も羨ましいとは思わなくなっていた。
そのかわり、私は時折、ひどく恐ろしくなった。
もし本当にあの十九歳の夏、選ばれていたのが私だったなら。
私は妹のように、美しさへ逃げることができただろうか。
旅へ心を預けることができただろうか。
それとも、もっと早く、もっと静かに、誰にも見えぬまま壊れていたのではないか。
私はもともと、耐えることができる女だった。
正しく座り、正しく微笑み、正しく悲しむこともたぶんできただろう。
けれど、正しさばかりに囲まれた時、人は時に美しさより先に魂が擦り切れる。
妹はその傷を隠せぬ人だった。
私は隠してしまう人だった。
その違いだけで、運命の残酷さはかえって私のほうに深く食い込んでいたかもしれない。
だから私は、もう知っている。
あの夏、選ばれなかったことは、ただの敗北ではなかった。
それは分かれ道だった。
妹が王冠の重みを背負い、私は暖炉のある家へ向かう道。
妹が誰もが見上げる不幸を生き、私は誰にも気づかれぬ幸福と悲しみを生きる道。
どちらの道にも喪失はあった。
どちらの道にも涙はあった。
だが決定的に違ったのは、悲しみ方だった。
私は、人として泣くことを許された。
妻として夫にすがり、母として子を抱き、姉として妹を案じ、女として老いていくことを許された。
妹は、いつもどこかで皇后であることを求められた。
母として泣く前に皇后であれ。
妻として苦しむ前に皇后であれ。
女として壊れる前に、なお美しくあれ。
それが、あの子の人生をどれほど細く、痛く、孤独なものにしたことか。
晩年のある日、妹の一人息子ルドルフの死の知らせを聞いた時、私は長く言葉を失った。
あの子はまた、母として失ったのだ。
幼い娘を失い、母であることを思うように許されず、それでも皇后として立ち続けた妹が、今度は息子を失った。
しかもその子は、ただの息子ではなかった。
帝国の未来を背負う者。
誰もが名を知る皇太子。
妹にとっては、それでもなお、自分の腹を痛めて産んだ子。
人々はまた、国家の悲劇として語るのだろう。
帝国の損失として語るのだろう。
未来が閉ざされたと嘆くのだろう。
けれど私はまず、妹のことを思った。
あの子はまた、母として泣けただろうか。
それともまた、皇后として悲しむことを求められたのだろうか。
私はその知らせを受け取ったあと、しばらく祈ることもできなかった。
神よ、と呼びかけるには、胸の中があまりに空っぽだった。
エリザベート。
私のかわいい、可哀そうな妹。
おまえはいつまで失わなければならないの。
あの子は風のような子だった。
なのに風になることを許されなかった。
王冠はあまりに重く、美貌はあまりに眩しく、周囲の善意はあまりに息苦しかった。
私は窓の外の空を見上げた。
今でも時折、若い日の妹の笑い声が聞こえる気がする。
馬車の中で窓の外を見たがる声。
山がきれいなんですもの、と唇を尖らせたあの子。
あの子の人生には、もっと自由な空が似合っていた。
そして私の人生には、たぶん、火を絶やさぬ家のほうが似合っていた。
優れていたのでも、劣っていたのでもない。
ただ、そういうことだったのだろう。
私は王冠を得なかった。
けれど、同じ家の暖炉を囲む夫を得た。
子を得た。
喪失を得た。
涙を得た。
そしてそれらすべてを、自分の胸で抱く時間を得た。
幸福とは、失わないことではなかった。
愛したものがひとつも欠けぬまま生き切ることでもなかった。
そんな人生は、誰にもない。
幸福とはむしろ、喪失が訪れてもなお、あのぬくもりはたしかにあったと胸の内で言えることなのだろう。
私は夫の手を覚えている。
子の重みを覚えている。
暖炉の前で交わしたたわいのない会話を覚えている。
春の庭の匂いも。
夏の朝の白い光も。
冬の夜のすすり泣きも。
みな私の人生だった。
だから、後世の人々よ。
もしおまえたちが私を、妹に未来の皇帝を奪われた哀れな姉と呼ぶのなら、それでもかまわない。
物語は外から見れば、そのほうがわかりやすいのだろう。
けれど、それだけではないのだ。
私はたしかに選ばれなかった。
その時は傷つき、悔しさに胸を焦がし、自分の人生がそこで翳ったと思った。
だが実際には、あの夏こそが私を私の人生へ押し出した。
選ばれなかったからこそ、私は別の愛を知った。
選ばれなかったからこそ、私は静かな家の幸福を知った。
選ばれなかったからこそ、私は喪失の中でもなお、自分が人であることを失わずにすんだ。
暖炉の火が小さくはぜた。
私は毛布の上に置いた手を見つめた。
老いた手だ。
もう若い娘の白さも張りもない。
だがこの手は、夫を抱き、子を抱き、手紙を書き、祈り、泣き、長い年月を生きてきた。
そのことを、私は誇りに思う。
私は妹の最期を知らない。
それを知る前に、この世を去るのだから。
けれど祈ることはできる。
どうか、私の可哀そうな妹が、いつか皇后ではなく、ただのエリザベートとして眠れますように。
誰にも美しさを求められず、誰にも強さを命じられず、泣くことも逃げることも許される場所へ行けますように。
もし神が本当にあの子をお迎えになる日が来るのなら、その時だけはどうか、王冠も、扇も、黒い衣も、長すぎる髪の重みも、すべて外してやってください。
あの子を、ただの妹として休ませてやってください。
後世の人々は、私の人生を不幸だというだろうか。
たぶん、言うのだろう。
皇后になれず、若くして夫を失い、子にも先立たれた女なのだから。
けれど私は、もう知っている。
不幸だった出来事はあった。
深い喪失もあった。
胸が引き裂かれるような夜もあった。
それでも私は、不幸な女ではなかった。
あの十九歳の夏、私は選ばれなかった。
けれどそのおかげで、私は私の人生を生きることができたのだ。
だから、もし誰かが私の墓の前で憐れみを口にするなら、私は静かにこう返したい。
憐れまなくてよい。
私は愛され、抱き、泣き、喪い、それでもなお生きた。
それはたぶん、王冠よりもずっと人間らしい幸福だったのだと。
窓の外では、白い光が静かに降っている。
遠い昔の十九歳の夏は、もう手の届かぬ場所にある。
それでも今の私は、あの夏の娘へようやく言ってやれる。
泣いてもいい。
悔しがってもいい。
けれど、そこで人生が終わるわけではないのよ、と。
選ばれなかった女にも、確かに幸福はあったのだと。
※完結まで毎日投稿です。
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