冥府にて
辺りの景色が形を結ぶと、そこは古めかしくも品の良い木造家屋の中だった。床は板張りで艶があり、部屋に置かれた調度も細工が施された質の良さそうな物だ。
「とうとう此処にマコモを連れて来てしまったな。後悔は無いがもう止まれる気がせぬ……」
エンマは連れてきた私への説明は無しに、ブツブツと1人で何かを言っている。流石にこの状況は、私からの聞くのは問題無いよね?
「エンマ様、ここって?突然移動しましたけど」
私が口を開くと、エンマは握ったままだった私の腕からそっと手を離した。
エンマに握られていた部分が、じんわりと暖かい。
「マコモは覚えていないのか?無理もないか、まだ幼過ぎたな」
「???」
「此処は冥府だ。そしてこの場所で私は、まだ幼かったマコモと出会った」
わたしは全くと言っても良い程に、この場所この景色を覚えてはいない。初めて来た場所のように全てが目新しい。
私が冥府の事で覚えているのは、赤くて綺麗なエンマの事だけだから。
「全く見覚えがなくて、あの時まだ5歳くらいだったし」
「そうだな。あの頃のマコモはまだ幼かったから、此処での事を覚えていられる訳がない。だからこそ私はマコモの記憶に残る為に必死だった。何度もマコモに会い行き、何回も念話で繋がった。私はマコモを手放さな……」
「閻魔様ーっ!急に居なくなられると困るんですよぉーっ!それに、戻られたんならさっさと裁定の場にお戻りくださいねぇ??私も司禄も暇じゃないんですからって……、わぁおーっっ!これはこれはマコモ様じゃないですかぁ、えっ?肉体?本物?霊体じゃなくて??閻魔様っ、まさかマコモ様をそのままで連れてきちゃったんですか?!」
なんかキャラの濃い人やって来たっ。
でも何だか聞いた事のある声なんだけど、それにこの喋り方はっ!
「もしかして……司命様?ですか?」
エンマが忙しい時に、代理で連絡をくれるのがこの司命様だ。私とエンマが喧嘩をした時に、代理人として連絡係にされてしまうのもこの司命様だった。
「当ったりー!でございますよマコモ様っ。まさか生身の体で冥府に来てくださいますとは、とうとう閻魔様のお気持ちを受け入れて……」
「あーっ!あーーーっ!!お前は私が大事な事をマコモに話していたのに遮りおってっ!おまけに余計な事までベラベラと……。司命はしばらく黙っておけっ!」
「ふぇ?!それじゃぁ……フゴフゴッッ」
大変っ!司命様の口がエンマの手によって物理的に塞がれちゃってる!?
それに、こんなに慌てている必死なエンマも初めて見たっ。
「マコモ、司命はかなり口が軽い。私がこうして止めに入っているのも冥府の機密事項が漏れ出てしまうからだ。これは私の大事な業務の一環だからな?醜い争いなどでは断じてないっ」
エンマに口を塞がれた司命様は大人しくなったけれど、ブスッと不貞腐れた顔をしている。司命様は結構、年配のおじ様に見えるのだけどそんな表情もするのね。
「そうなんですね……、分かりました。私が知る必要が無い事もありますよね」
私の手首に刻まれた「紋」だって、何故刻まれたのか教えてもらえないし、知る必要もないのだろう。
「マコモにもいつか、その機密事項を教えよう。その時は……逃げるなよ?」
「は?!逃げませんけど?!」
また売り言葉に買い言葉だ。どうして私はエンマの挑発に易々と乗せられてしまうのだろう?
エンマは私の返事を聞くと、ニヤリと何故か嬉しそうに笑った。
「そうか逃げぬか、結構な事だ。今の言葉、忘れるなよ」
へ?何だろう?私は逃げた方が良かったのだろうか?
でも何も知らされない今が悲しかったから、教えてくれるというのなら逆に嬉しい。
「逃げません、て。大丈夫です」
「そうか。マコモは偉いな」
「マコモは偉いな」その言葉は幼い頃からエンマが私を褒めてくれる時に口にする言葉だ。最近は全くと言って良い程に聞いていなかったから、懐かしくて胸がジーンと熱くなる。
夢に出てきたエンマもこうやって褒めてくれていたな。
まぁ、夢にみてしまうくらいに、私はエンマに褒めてもらうのが好きなだけなのかもしれないけど。
◇
あれからエンマは私を連れて、冥府の建物内を案内してくれた。
エンマの庁である冥府は24時間休みなく活動していて、夜間とはいえ多くの職員が働いていた。
「いずれはマコモも此処で働くようになるやも知れぬ」エンマはそう言うと、優雅に薄っすらと微笑んだ。
私を冥府に連れて来た理由が、まさかの「職場見学」とは……
そんなに私が冬賀さんの所で働くのがいやなのだろうか?
エンマの考えていることは、やっぱり私にはよく分からない。
その後は冥府に長居する事も無く、現世の私の部屋に戻ってきた。「マコモの明日の仕事に障るから」ってエンマは言ったけど、エンマってそんなに私に気を使う性格だっただろうか?
私もエンマに素直になろうと態度を改めたから、もしかするとエンマも何か心境の変化があったのかな?
それにエンマは冥府への帰り際に変な事を言ったんだ。
「明日は、私もマコモの仕事を見守っていよう。マコモさえ嫌じゃ無ければ……」
いつもツンケンしていたはずのエンマが、何故か指先で頬を掻きながら言ってきた謎の言葉。
なんだろう?娘の仕事現場を見たいお父さんみたいな?妙な照れと優しさみたいなものが滲んでいた。
調子が狂うというか何というか……
こんなエンマは、今まで見た事が無かった。




