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存在しない予算

静岡サミット閉幕から、三日後。


日本から遠く離れた、ある国家の情報分析施設。


地下会議室の大型スクリーンには、S.O.D.U.に関する過去十数年分のデータが表示されていた。


予算。


資材調達。


造船関連企業。


特殊鋼材。


原子力設備。


人員。


衛星画像。


物流記録。


そのほとんどは、本来なら一つ一つ見たところで特別な意味を持たない情報だった。


公開された政府資料。


企業の決算報告。


貿易統計。


求人記録。


地方自治体の工事資料。


衛星から撮影された物流施設。


民間船舶の航行記録。


誰でも入手できる情報ばかりだった。


だが、それらを一つの机の上に並べた時。


数字は、少しずつ奇妙な形を作り始めていた。


分析責任者が腕を組み、スクリーンを見る。


「最初から説明してくれ」


技術分析官が頷いた。


「S.O.D.U.が設立された後、日本国内で調達された特殊鋼材の総量を再計算しました」


画面が切り替わる。


北斗打撃群。


地下基地。


研究施設。


試験設備。


既知の建造物が一覧で表示された。


「北斗打撃群に使用されたと推定される量。地下ドック、格納庫、研究施設などに使用された量。さらに予備部材や加工損失を最大限に見積もりました」


責任者が尋ねる。


「それでも合わない?」


「はい」


「どの程度だ」


分析官は少し間を置いた。


「誤差では説明できません」


責任者の眉が動く。


「普通鋼ではないな」


「違います」


画面に材料区分が表示される。


高耐圧鋼。


低磁性鋼材。


特殊複合材。


極低温環境対応材。


海水腐食耐性材料。


深海用構造材。


分析官が続けた。


「特に問題なのが、この区分です」


高耐圧深海構造材。


その数字だけが赤く表示される。


「『しんえん』に使用された分を含めても?」


「含めています」


「試験船は?」


「推定可能な範囲では全て計上しました」


「予備材」


「通常想定の三倍まで上乗せしています」


責任者は椅子へ背を預けた。


「それでも残る」


「はい」


隣にいた海軍技術者が口を開く。


「余っているだけでは?」


分析官は首を横に振った。


「いいえ」


「なぜ分かる」


「保管記録がないからです」


海軍技術者が黙る。


分析官は続けた。


「倉庫へ残っているなら、物流記録のどこかに痕跡が出ます。保険、保管費用、輸送、在庫処理。ですが、この鋼材は途中から記録上消えています」


「横流し?」


「規模が大きすぎます」


責任者が低い声で尋ねる。


「では?」


分析官は画面を見たまま答えた。


「余っているのではありません」


一度、言葉を区切る。


「使われています。使い道だけが存在していません」


会議室が静かになった。




次に表示されたのは、原子力関連設備だった。


特殊配管。


冷却系統。


制御棒駆動機構。


蒸気発生設備。


圧力容器関連部品。


高出力発電設備。


原子炉補助系統。


軍事用原子炉を構成する可能性のある部品が、複数企業から断続的に発注されている。


もちろん、それだけなら異常ではない。


北斗打撃群には原子力推進艦が存在する。


S.O.D.U.には研究施設もある。


保守部品も必要になる。


問題は数だった。


原子力技術担当官が説明する。


「既知艦艇の運用年数、定期交換部品、予備品、研究設備への転用を考慮しました」


責任者が尋ねる。


「結果は?」


「不足ではありません」


「余る?」


「大量に」


スクリーンへ棒グラフが表示される。


既知需要。


推定予備需要。


研究需要。


そして。


説明不能分。


最後の棒だけが、不自然に長かった。


軍人が腕を組む。


「新しい空母でも造っているんじゃないのか」


原子力担当官は首を横に振った。


「その可能性は低いと思います」


「理由は」


「一部設備が大型艦用ではありません」


「では何だ」


「小型高出力炉に近い構成です」


軍人の表情が変わる。


「潜水艦?」


「可能性があります」


「何隻分」


「そこまでは出せません」


「概算でいい」


担当官は答える前に少し躊躇した。


「一隻ではありません」


会議室が再び静かになる。


責任者が尋ねる。


「『しんえん』の予備炉という可能性は?」


「予備としては多すぎます」


「試験炉」


「同様です」


「地上発電設備」


「構造が合いません」


軍人が椅子へ背を預ける。


「つまり、日本には我々が知らない原子力艦がある可能性が高い」


担当官は慎重に答えた。


「少なくとも、そう仮定すれば数字は説明しやすくなります」


責任者は静かに画面を見る。


「説明しやすくなる、か」


断定はできない。


だが。


一つの仮説を置くと。


それまで意味を持たなかった数字が、突然整い始める。


情報分析で最も嫌われる瞬間だった。




さらに調査は人員へ移った。


S.O.D.U.の人員数そのものは、厳密には公開されていない。


だが。


給与支出。


住宅関連支出。


医療制度。


食料契約。


制服・被服。


特殊勤務手当。


訓練設備。


求人。


資格取得支援。


それらを積み上げれば、ある程度の人数は推測できる。


人員分析官が画面を操作した。


「S.O.D.U.全体の推定人員と、我々が把握している部隊・施設への配属人員を比較しました」


スクリーンに複数年度の数字が並ぶ。


ある年度。


約三百名。


翌年。


約五百名。


その次。


七百名以上。


数字は毎年一定ではない。


増えたり減ったりする。


しかし。


必ず存在している。


所属先が分からない人間が。


責任者が尋ねる。


「事務職員や基地勤務者では?」


「含めています」


「予備役」


「S.O.D.U.の制度上、該当する人数ではありません」


「教育要員」


「それも計上済みです」


軍人がスクリーンを見る。


「職種は分かるのか」


「完全ではありません。しかし、支給されている資格手当や研修記録から推定できます」


画面に職種一覧が表示された。


原子炉運転資格。


艦艇機関。


水中音響。


戦略通信。


電子戦。


深海潜水救難。


艦艇武器整備。


ソナー解析。


原子力安全管理。


海軍技術者がゆっくり姿勢を正した。


「研究施設の人間じゃないな」


分析官が頷く。


「はい」


「基地勤務でもない」


「その可能性は低いです」


責任者が尋ねる。


「では」


分析官はスクリーンから目を離さず答えた。


「これは研究員ではありません」


その場にいた全員が黙る。


「艦に乗る人間です」


誰も反論しなかった。


艦艇が存在しなければ。


この組み合わせの人員を。


これだけの人数。


長期間維持する理由がない。


しかも。


給与は支払われている。


訓練も続いている。


資格も更新されている。


人間だけが存在し。


乗るべき艦が存在しない。


少なくとも。


記録の上では。




午後。


別の分析チームが過去十年以上にわたる衛星画像を壁一面へ並べていた。


場所は日本国内。


沿岸部に近い山岳地帯。


S.O.D.U.関連の物流拠点として登録されている施設だった。


地上部分だけを見れば、それほど巨大ではない。


複数の倉庫。


車両基地。


管理棟。


大型トンネル。


軍事施設としては珍しくない。


分析官が古い画像を示す。


「十二年前です」


大量の工事車両。


資材。


大型クレーン。


山腹を掘削している様子が確認できる。


「九年前」


施設が拡張される。


「七年前」


主要施設が完成。


「六年前」


工事車両の数が減る。


責任者が頷く。


「普通だな」


「ここまでは」


分析官は次の画像を表示した。


「五年前です」


大型特殊輸送車。


「四年前」


大型貨物。


「三年前」


原子力関連設備を輸送した可能性がある特殊車両。


「二年前」


船舶用発電設備。


「昨年」


大型艦艇用とみられる電子機器。


「今年」


さらに搬入。


責任者が眉を寄せる。


「施設は六年前に完成したんだな」


「公的記録では」


「拡張工事か?」


「地上部分に変化はありません」


軍人が尋ねる。


「地下?」


「分かりません」


「だが資材は入っている」


「はい」


「出ているものは?」


分析官は画面を止めた。


「ほとんどありません」


責任者が振り返る。


「ほとんど?」


「大型機材に限れば、確認できません」


「入っただけ?」


「はい」


別のスクリーンに物流記録が並ぶ。


大型発電機。


舶用電子機器。


特殊電力設備。


対潜関連装備。


水中センサー。


艦艇用空調設備。


艦載兵器関連機器。


一部は用途不明。


そして。


高出力電力コンデンサー。


海軍技術者がそこを指した。


「これは?」


「用途は断定できません」


「レールガン?」


「可能性はあります」


「VLS関連設備もある」


「はい」


「CIWSは?」


「関連部品らしきものが確認されています」


軍人が低く呟く。


「地下造船所」


分析官は答えなかった。


だが。


誰も否定もしなかった。


責任者が尋ねる。


「同じ施設は他に?」


分析官が新しい日本地図を表示する。


点が複数現れた。


北海道。


東日本。


西日本。


九州方面。


ただし、どれも確証はない。


「似たパターンの施設が、複数あります」


会議室の空気が変わった。


一か所なら研究施設。


二か所なら予備基地。


だが。


複数。


しかも全国に散っている。


軍人が日本地図を見つめる。


「何を造っている」


誰も答えなかった。




夜。


対日戦略能力評価会議。


前回より参加人数が増えていた。


軍。


外務。


情報機関。


海軍。


原子力技術。


衛星偵察。


財務分析。


サイバー情報。


机の上には、分厚い資料が置かれている。


『S.O.D.U.未確認戦力に関する統合評価』


議長役の責任者が口を開いた。


「現時点で確認された不一致を整理する」


スクリーンに項目が並ぶ。


説明不能な深海用鋼材。


過剰な小型原子力設備。


所属不明の艦艇専門要員。


完成後も続く地下施設への艦艇用機材搬入。


登録されていない兵器関連設備。


既知艦艇数では説明できない維持支出。


責任者が続ける。


「個々の情報は、単独では証拠にならない」


全員が聞いている。


「だが、全てが同じ方向を示している」


軍人が尋ねた。


「未確認艦隊?」


「可能性がある」


「第二北斗打撃群」


一人が言う。


海軍技術者が首を横に振る。


「それなら艦種構成が偏っています」


「なぜ」


「原子炉関連設備と深海用構造材が多すぎる」


別の分析官が口を開く。


「新型潜水艦部隊では?」


「水上艦装備が説明できません」


「新型空母」


「同じです」


「無人艦隊」


「人員数と矛盾する」


「沿岸防衛艦隊」


「潜水艦乗員が多すぎる」


仮説を出すたび。


別の数字が否定する。


一つだけ。


全てを説明できる仮説が見つからない。


その時。


会議の端に座っていた若い分析官が、ゆっくり手を挙げた。


「一つ、よろしいでしょうか」


議長が視線を向ける。


「何だ」


「我々は前提を間違えているのではないでしょうか」


「前提?」


分析官が立ち上がる。


「北斗打撃群と同じものを探していることです」


会議室が静かになる。


「どういう意味だ」


分析官はスクリーンに北斗打撃群の構成を表示した。


「北斗打撃群は実働部隊です」


空母。


護衛艦。


駆逐艦。


潜水艦。


航空戦力。


「脅威が発生すれば出撃する。敵を攻撃し、日本を守る」


「当然だ」


「では」


分析官は一度言葉を止めた。


「北斗打撃群が敗れた後は?」


軍人が眉を寄せる。


「何だと」


「考えてください」


分析官は続ける。


「彼らは、これだけの地下施設を造った」


「世界でも類を見ない艦隊を造った」


「超深海潜水艦まで造った」


「そこまで国家存亡に備えている組織が」


スクリーンを指す。


「本当に、北斗打撃群が最後だと考えるでしょうか」


誰も答えない。


若い分析官は続けた。


「北斗打撃群は、戦って勝つための部隊です」


「なら」


一拍。


「負けた後のための戦力が、別に存在するのではありませんか」


空気が止まった。


議長が腕を組む。


「戦略予備か」


「単なる予備ではないと思います」


「では何だ」


分析官は言葉を選んだ。


「国家継戦戦力です」


その言葉が。


会議室に残った。


国家継戦。


軍人がゆっくり資料を見る。


原子力潜水艦の可能性。


指揮通信要員。


深海救難技術。


水上戦闘装備。


電子戦設備。


弾道防御関連機材。


全て。


もし一個艦隊ではなく。


「日本が戦い続けるための機能」


として考えれば。


説明がつく。


別の情報官が呟く。


「報復能力」


海軍技術者が続ける。


「防空」


「指揮通信」


「救難」


「長距離打撃」


「電子戦」


一つずつ。


役割が並んでいく。


議長は何も言わない。


若い分析官が続けた。


「日本は、勝つための艦隊とは別に」


一度息を吸う。


「負けた後でも、国家を終わらせないための戦力を造っているのかもしれません」


今度は。


誰も笑わなかった。




同時刻。


日本。


S.O.D.U.中央管理施設。


天城少将は呼び出しを受け、深山の執務室へ入った。


「珍しいな」


天城が椅子に座る。


「君から直接呼ぶとは」


深山は端末を操作しながら答えた。


「少し厄介なことになりました」


「静岡のUUVか?」


「それをきっかけにした別件です」


画面が天城側へ向けられる。


国外からの情報収集活動。


S.O.D.U.関連企業への照会。


公開資料への大量アクセス。


造船関連企業。


原子力設備。


人員。


地下施設。


天城は数秒間、画面を眺めた。


「随分調べている」


「ええ」


「誰だ」


「複数です」


「国は」


「断定していません」


天城が深山を見る。


「如月みたいなことを言うな」


「如月二佐に教えたのは私です」


「なるほど」


天城は再び画面へ目を向ける。


「何を探っている?」


深山は少しだけ黙った。


「北斗打撃群の外側です」


天城の表情が僅かに変わる。


「外側?」


「正確には」


深山は画面を閉じた。


「北斗打撃群が消えた後に残るものです」


部屋が静かになる。


天城はすぐに質問しなかった。


その言葉の意味を。


ゆっくり考える。


「……やっぱりあるのか」


深山は答えない。


「俺の知らない継戦計画」


「あります」


天城が深山を見る。


今度は明確な答えだった。


「どこまで」


「お答えできません」


「俺にも?」


「はい」


天城は椅子へ背を預けた。


怒る様子はなかった。


むしろ。


少し呆れたように天井を見る。


「北斗打撃群司令でも閲覧不可か」


「閲覧権限は、階級だけでは決まりません」


「知ってるよ」


天城は小さく息を吐く。


「何がある」


「お答えできません」


「何隻ある」


「同じです」


「艦なのか」


深山は何も言わなかった。


天城が少し笑う。


「そこは黙るんだな」


「質問を続けても回答は変わりません」


「分かった」


天城は一度、話を切った。


それから。


静かに尋ねた。


「いつなら教える」


深山の表情が僅かに変わる。


「必要になった時です」


「その必要ってのは?」


深山は答えるまで、数秒かかった。


「北斗打撃群が、役目を果たせなくなった時です」


天城の目から笑みが消えた。


部屋が静かになる。


「……つまり」


天城はゆっくり言った。


「俺たちが負けた時か」


深山は否定しなかった。


天城も。


それ以上は聞かなかった。


しばらく。


二人とも何も話さない。


やがて天城が椅子から立ち上がった。


「なら」


深山が顔を上げる。


「できるだけ長く、俺には見せるな」


深山が少し眉を動かす。


天城は続けた。


「そいつを見る必要が出た時点で、ろくな状況じゃないんだろ」


「その通りです」


「なら一生知らない方がいい」


天城は扉へ向かう。


「司令」


呼び止められ。


天城が振り返る。


深山は少し迷った後。


「一つだけ」


「何だ」


「それは」


深山は静かに言った。


「北斗打撃群の代わりではありません」


天城は黙る。


「北斗が沈んだから、新しい艦隊を出して戦争を続ける。そのためだけのものではない」


「では?」


深山は答えなかった。


代わりに。


こう言った。


「日本そのものを残すためのものです」


天城は数秒、深山を見た。


そして。


何も言わず扉を開けた。


「……ますます見たくなくなったな」


その一言だけを残し。


部屋を出ていった。




再び。


国外情報施設。


深夜。


分析作業は最終段階に入っていた。


何百ページもの資料。


何千件もの物流記録。


十数年分の人員推計。


造船資材。


原子力関連設備。


衛星画像。


施設規模。


全てが統合解析システムへ入力される。


目的は一つ。


S.O.D.U.が保有している可能性のある未確認大型艦艇数。


もちろん。


正確な数字など出せない。


地下施設。


予備部品。


試験設備。


廃棄。


研究資材。


誤差要因はいくらでもある。


それでも。


数字を出す。


最初の結果。


推定二隻以上。


解析条件を修正。


四隻。


人員モデルを追加。


六隻から十隻。


原子炉設備を再計算。


深海用鋼材を追加。


大型水上艦設備を分類。


画面上の数字が変わっていく。


分析官たちは誰も話さなかった。


最後に。


システムが統合推定を完了した。


スクリーン中央に。


白い文字が表示される。


『推定未確認大型艦艇数』


『9~13隻』


誰も動かなかった。


分析官の一人が。


ようやく口を開く。


「……誤差でしょうか」


責任者は画面から目を離さなかった。


「違う」


「ですが、推定幅が大きすぎます」


「そういう意味じゃない」


責任者が静かに言う。


「誤差ならいい」


分析官が黙る。


責任者は。


表示された数字を見つめ続けた。


九から十三。


仮に。


その中間なら。


十一。


北斗打撃群とは別に。


それだけの大型戦力が。


存在している可能性がある。


しかも。


一隻も。


世界に知られていない。


責任者が低い声で言った。


「もし、この数字が正しいなら」


誰も息をする音すら立てなかった。


「我々が見ているS.O.D.U.は」


そこで。


一度だけ言葉を止める。


「半分ですらない」


大型スクリーンには。


日本列島が映っていた。


北海道から。


本州。


四国。


九州。


その周囲を囲む海。


そこに。


艦影は一つも表示されていない。


何も見えない。


だからこそ。


誰も分からない。


その海のどこまでが。


既に。


日本の最後の防衛線になっているのかを。

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