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封印区画

S.O.D.U.中央管理施設。


午前7時18分。


深山は、普段使っている執務区画とは反対方向へ歩いていた。


廊下には人の姿がほとんどない。


壁も床も、他の区画と変わらない。


白い壁。


灰色の床。


一定間隔で設置された照明。


特別な装飾もなければ、秘密施設らしい物々しさもない。


むしろ。


何もないからこそ、不自然だった。


突き当たり。


一枚の扉。


表示されている文字は簡素だった。


『特別継戦管理区画』


深山はカードをかざした。


認証音。


次に指紋。


静脈。


瞳孔。


最後に、物理鍵。


電子錠だけでは開かない。


認証が完了すると、扉の横にある小さなランプが赤から白へ変わった。


それでも。


扉は開かない。


数秒後。


壁面端末に別の表示が出る。


『第二承認者を確認してください』


深山は時計を見る。


ほぼ同時に。


背後から足音が聞こえた。


「お待たせしました」


やって来たのは、五十代ほどの男だった。


軍服ではない。


濃紺のスーツ。


胸元にS.O.D.U.の記章もない。


「いえ。今来たところです」


「では」


男も同じように認証を行う。


最後の確認が終わる。


重い金属音。


扉がゆっくりと開いた。


内部には、さらに一本の廊下が続いている。


深山は中へ入った。


背後で扉が閉じる。


その瞬間。


外の区画との通信が遮断された。


携帯端末。


無線。


個人用通信機器。


全てが使えなくなる。


男が歩きながら言う。


「ここへ来るのは久しぶりですね」


「来なくて済むなら、その方がいい場所です」


「同感です」


二人はしばらく無言で歩いた。


廊下の先。


今度は小さな会議室だった。


中には机が一つ。


椅子が六脚。


壁面端末。


それだけ。


豪華さはない。


S.O.D.U.最高機密を扱う場所としては、拍子抜けするほど質素だった。


男が席に座る。


深山も向かいへ座った。


「報告を」


深山は紙の資料を机へ置いた。


この区画では、外部ネットワークへ接続された端末を使わない。


「静岡サミット以降、国外からS.O.D.U.関連情報への照会が急増しています」


男が資料をめくる。


「どこまで来ています」


「北斗打撃群建造後の資材消費、人員構成、原子力関連設備、地下施設への物流」


男の指が止まる。


「数字を合わせ始めた」


「はい」


「結果は」


深山は別の資料を開いた。


「国外側の統合推定として、未確認大型艦艇九隻から十三隻」


男は何も言わなかった。


ただ。


資料を見つめた。


深山も。


あえて口を挟まない。


数秒後。


男が静かに尋ねた。


「SCOGの名称までは?」


「到達していません」


それだけだった。


しかし。


その言葉が出た瞬間。


会議室の空気が少しだけ変わった。


深山は、机の中央へ置かれた封印資料へ視線を向けた。


表紙には英字が印刷されている。


S.C.O.G.


Strategic Continuity Operations Group.


戦略継戦任務群。


S.O.D.U.内部でも。


その名称を知っている者は、極めて少ない。


北斗打撃群司令の天城ですら。


まだ。


知らない。




「九から十三」


男が資料を閉じた。


「かなり近いですね」


「はい」


「どこから漏れたと思います」


「漏洩とは限りません」


深山が答える。


「公開情報だけでも、時間を掛けて積み上げれば、ある程度は見えてきます」


「資材」


「はい」


「原子炉」


「はい」


「人員」


「そこが一番危険です」


男が顔を上げる。


「人員?」


深山は別の資料を机へ滑らせた。


「昨夜から、海外の研究機関、民間企業、財団を名乗る複数の組織が、国内の元技術者へ接触を始めています」


男の表情が変わる。


「誰に」


「造船技師。原子力設備技術者。深海構造材の研究者。特殊溶接の元主任技師」


「現役ではない」


「全員退職者です」


「なるほど」


男は小さく息を吐いた。


現役職員であれば。


S.O.D.U.側も監視している。


接触する側も分かっている。


だから。


退職者を狙う。


「接触方法は?」


「表向きは合法です」


深山が言う。


「海外大学からの講演依頼」


「民間研究機関からの顧問契約」


「国際学会への招待」


「技術書執筆の協力依頼」


「報酬は?」


「相場よりかなり高い」


男が苦笑する。


「分かりやすいですね」


「だからこそ、直接的な情報工作ではない可能性もあります」


「まだ断定しない?」


「証拠がありません」


男は頷いた。


「天城少将と似てきましたね」


深山が少し眉を動かす。


「褒めています?」


「半分は」


二人の間に。


僅かな笑いが落ちた。


それも。


すぐに消える。


深山は続けた。


「問題は、彼らが聞きたい内容です」


「具体的には?」


「艦名でも、兵器でもありません」


「では」


「設計思想です」


男の視線が止まる。


深山は資料を開く。


そこには。


元技術者へ送られた講演依頼の一部が記載されている。


深海用高耐圧構造における長期運用時の疲労。


大型艦艇の地下建造に関する物流最適化。


原子力艦艇における長期間の自立運用。


艦載通信設備の分散冗長化。


深海救難技術。


どれも。


単体なら。


研究テーマとして成立する。


だが。


並べると。


意味が変わる。


男が資料を見ながら呟く。


「艦そのものを探しているわけじゃない」


「はい」


「何のために造られたかを探っている」


「その可能性が高いです」


会議室が静かになる。


深山は少しだけ身を乗り出した。


「数字を追う段階は終わりました」


「今は」


一度、言葉を選ぶ。


「人を追い始めています」


男はゆっくり頷いた。


「では、保全レベルを上げますか」


「そこを相談しに来ました」


男は椅子へ背を預けた。


数秒。


考える。


「配置変更は?」


深山は首を横に振る。


「反対です」


「理由は」


「今動かせば、こちらから答えを教えることになります」


男が頷く。


「同意見です」


深山は続ける。


「相手は今、仮説しか持っていません」


「北方に何があるのか」


「東方に何があるのか」


「西方に何があるのか」


「どこまでが基地で、どこからが造船施設なのか」


「何隻いるのか」


「何も確定していない」


「そこで大型艦を動かせば」


男が続けた。


「そこに存在していたと教える」


「はい」


「なら何も変えない」


「それが最善です」


男は壁面端末へ向き直った。


認証。


表示が切り替わる。


日本列島。


その上に。


複数の区画表示が現れた。


北方継戦区。


東方継戦区。


中央継戦区。


西方継戦区。


さらに。


通常の地図上には位置が表示されない二つの項目。


特別海中管理区。


特別戦略管理区。


具体的な基地名は出ない。


艦名もない。


数字もない。


ただ。


区域だけ。


深山が尋ねる。


「各区画の責任者は」


「既に警戒通知を出しています」


「内容は?」


「外部接触の監視強化。退職者への注意喚起。物流契約の再確認」


「艦側は」


「変更なしです」


「通信頻度も?」


「通常通り」


「補給も?」


「予定通り」


深山が頷く。


「それでいいでしょう」


男は日本地図を見たまま言う。


「SCOGの一番の防御は、装甲でもミサイルでもありません」


深山が視線を向ける。


「存在を一つの場所にまとめていないことです」


画面上。


各区画は離れている。


互いを結ぶ線もない。


平時。


SCOGには。


一つの母港が存在しない。


一つの艦隊司令部もない。


一つの場所に全戦力が集まることもない。


それぞれが。


それぞれの場所で。


独立して存在している。


深山が尋ねる。


「各区域は、他区域の戦力をどこまで把握しています?」


「必要な範囲だけです」


「艦長も?」


「同様です」


「では、全貌を知る人間は?」


男は少しだけ考えた。


「全てを一人で把握する必要はありません」


深山がその答えを聞きながら、黙っている。


男は続けた。


「総理は存在と発動権限を知る」


「あなたは管理構造を知る」


「各区域責任者は、自らの担当を知る」


「そして」


一度だけ。


言葉を止める。


「天城少将は、まだ知る必要がない」


深山が小さく息を吐いた。


「昨日、私から継戦計画の存在だけは伝えています」


「SCOGの名称は?」


「出していません」


「なら問題ありません」


深山は画面を見る。


「本人は知りたがっていませんでした」


「賢明ですね」


「『一生知らない方がいい』と」


男が僅かに笑った。


「その通りです」


SCOGの存在を知る必要が生じる。


それは。


北斗打撃群が。


日本を守る通常の戦力として。


機能できなくなった時。


誰も。


そんな日を望んでいない。




午後1時05分。


神奈川県内。


一人の老人が、自宅のパソコン画面を見ていた。


七十二歳。


元造船技師。


現役時代。


大手重工企業で特殊船体構造の設計に関わっていた。


退職してからは。


地元の大学で、年に数回講義をする程度。


穏やかな生活だった。


画面には一通のメール。


海外の海洋工学研究機関から。


国際技術シンポジウムへの招待。


講演テーマ。


『超深海環境における高耐圧船殻の長期疲労について』


謝礼。


航空券。


宿泊費。


全て先方負担。


老人は眼鏡を掛け直した。


「ずいぶん羽振りがいいな」


妻が台所から尋ねる。


「何?」


「海外から講演依頼だよ」


「行くの?」


「どうするかな」


老人はメールを最後まで読む。


特別な内容には見えない。


むしろ。


自分の専門分野そのものだった。


退職した技術者として。


海外から評価されることを。


少し嬉しく思った。


ただ。


一番下。


講演後の非公開意見交換会について。


小さく書かれた質問項目。


大型地下施設での船体分割建造。


高耐圧構造材の接合技術。


原子力艦艇への転用可能性。


老人の指が止まった。


表情が変わる。


「……何だ、これ」


妻が再び聞く。


「どうしたの?」


老人はすぐには答えなかった。


現役時代。


自分は。


全てを知らされていたわけではない。


むしろ。


知らないことの方が多かった。


設計図も。


担当区画しか見せられない。


建造する艦の正式名称すら。


最後まで教えられなかったことがある。


当時は。


そういう仕事なのだと思っていた。


老人はメールを閉じた。


数秒迷った後。


電話を手に取る。


登録されている番号の中から。


退職時に渡された、一つの連絡先を探す。


『技術機密相談窓口』


指が。


発信ボタンを押した。




午後2時11分。


S.O.D.U.中央管理施設。


深山の端末に通知が入る。


『元関係技術者より自主申告』


内容を確認する。


海外研究機関。


講演依頼。


質問項目。


深山は黙って最後まで読んだ。


そして。


先ほどまで話していた男へ内線を入れる。


「一件、来ました」


『接触ですか』


「自主申告です」


『内容は』


「深海構造材と地下建造」


電話の向こうが少しだけ静かになる。


『始まりましたね』


深山は椅子へ背を預ける。


「ええ」


画面を見る。


それだけではない。


別の案件も届いている。


元原子力技術者。


海外企業から顧問契約。


元電子戦技師。


国際研究チームから共同研究依頼。


どれも。


単体なら不自然ではない。


だが。


時期が一致しすぎている。


深山が言う。


「情報保全室を動かします」


『表立った接触は避けてください』


「分かっています」


『相手を泳がせますか』


深山は少し考えた。


「一部は」


『危険では』


「こちらも知らなければなりません」


『何を』


深山は静かに答える。


「どこまで来ているのか」


通話を切る。


深山は端末上の複数案件を見る。


銃も。


爆弾も。


艦隊もない。


だが。


戦いは始まっている。


相手が欲しいのは。


設計図ではない。


一枚の写真でもない。


一人の技術者の記憶。


何気なく口にした一言。


昔見た通路の広さ。


運んだ部品の形。


働いていた人数。


その断片を。


何千と集めれば。


存在しない艦隊の輪郭が見えてくる。


深山は。


それをよく知っていた。




午後5時34分。


特別継戦管理区画。


この日最後の確認。


深山は一人。


再び区画へ入っていた。


壁面端末に。


警戒状況が表示される。


外部接触。


複数。


機密漏洩。


確認なし。


区域配置。


変更なし。


運用状態。


通常待機。


画面を下へ送る。


そこで。


英字が表示された。


S.C.O.G.


Strategic Continuity Operations Group.


戦略継戦任務群。


その下には。


個別艦名は表示されていない。


配置場所も。


保有数も。


出ていない。


表示されているのは。


管理状態だけだった。


『全区域:待機継続』


『統合編成:未発令』


『戦略継戦警戒段階:零』


深山は。


しばらく画面を見ていた。


国外では。


誰かがこの存在を探している。


資材を数え。


人間を数え。


施設を探し。


少しずつ。


奥へ近づいている。


それでも。


今ここで。


慌てて何かを変える必要はない。


むしろ。


変えないことが重要だった。


深山は表示された文字を確認すると、何も言わず端末を閉じた。


警戒段階は、零のままだった。


それ以上の処置は必要なかった。

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