消えた盾と、深淵の請求書
S.O.D.U.の極秘地下ドックには、耳を劈くような作業音も、帰還を祝う歓声もなかった。あるのは、ただ重苦しく、痛切な沈黙だけだった。
太平洋での死闘を終えた戦略打撃護衛艦『てんかい』が、その巨大な船体をドックに横たえている。無敵の矛として恐れられたその装甲は各所で黒く焼け焦げ、無数の弾痕とひしゃげた金属の痛々しい傷跡が、戦いの凄惨さを物語っていた。
タラップが降ろされ、毛布にくるまった乗組員たちが力なく降りてくる。救助された『ずいうん』の生き残りたちだ。
副長の大山は、列の先頭で立ち止まった。その両手には、煤で汚れ、ところどころが焼け焦げた『ずいうん』の艦長帽が大事に抱えられている。星野艦長が最期に彼へ託した、唯一の遺品だった。
出迎えた一般隊員たちも、誰一人として言葉を発しない。S.O.D.U.の絶対的な盾は、艦長と共に太平洋の暗い海の底へ永久に沈んだ。皆がそう信じ、悲痛な面持ちで整列していた。
大山が帽子を胸に抱き締め、ゆっくりと頭を垂れる。それを合図に、ドックにいる全隊員が一斉に、誰よりも深く、長い敬礼を捧げた。それは、法を超越した影の部隊が見せた、血の通った人間としての最も泥臭く美しい弔いの儀式であった。
しかし、S.O.D.U.という組織の「深淵」は、隊員たちの涙のさらに奥底に存在していた。
表向きの弔いが行われている同じ時刻。一般隊員はおろか、政府高官すら存在を知らないS.O.D.U.最深部の特殊工作ドック。そこに立ち入りを許されたのは、深山と天城少将、そして特殊製造部門の極一部の人間だけであった。
「……信じられない執念ですね。あれほどの激戦の最中に、これを回収していたとは」
深山が、分厚い防弾ガラスの向こうを見上げて呟いた。
特殊な保温液で満たされた巨大な保管プール。そこに鎮座していたのは、真っ二つに折れ、無惨に引き裂かれた『ずいうん』の残骸――その最も重要な心臓部である、核心動力炉とAIコアのユニットだった。
星野艦長の最期の覚悟は本物であり、見事なものだった。だが、S.O.D.U.の技術陣は、自らの技術の結晶を敵の手や海の底にくれてやる気など、最初から1ミリも持ち合わせていなかったのだ。
『てんかい』と即応部隊が海上を制圧している裏で、超弩級原潜『しんえん』と特殊深海作業用メカが、圧壊深度スレスレの海底から『ずいうん』のコアだけを極秘裏に切断し、引き揚げていたのである。
「星野艦長の犠牲は決して忘れない。だが、S.O.D.U.の盾は死なん」
天城少将が、冷徹な瞳でコアを見つめながら言った。
「このデータと戦訓をもとに、ずいうんは生まれ変わる。次は、さらに絶望的なまでの化け物としてな」
感傷に浸る時間は終わった。S.O.D.U.には、流された血の代償を、黒幕に直接払わせるという「仕事」が残っている。
情報部の地下解析室には、『しんえん』が回収してきたもう一つの獲物が運び込まれていた。海の底に沈んだゴースト・フリートから回収されたブラックボックスと、脱出ポットごと捕獲された数名の敵高級将校である。
深山率いる情報部の尋問と解析により、敵の暗号通信データや、どの軍の指示で動いていたかを示す電子ログは、すでに完全な復元を終えていた。
これにより、大国が国家ぐるみで仕掛けた「S.O.D.U.暗殺作戦」の完璧な証拠が揃ったのだ。
外部と完全に遮断された戦略会議室。
天城少将は、極秘の暗号回線を繋ぎ、巨大なモニターに「ある大国」の軍最高幹部の顔を映し出した。
『……日本の独立部隊が、一体何の用だ? 我々は今、忙しいのだが』
画面越しの敵幹部は、いかにも不機嫌そうに、そして完璧にしらばっくれる気満々の態度で応答した。
天城は、薄く冷酷な笑みを浮かべて切り出した。
「お忙しいところ申し訳ありません。実は先日、我が国のEEZ内にて、国籍不明のテロリストが武装船団を組んで暴れておりましてね。自衛隊法第95条に基づき、すべて『適法に』処分させていただきました」
『……それがどうした。我が国には無関係の話だ』
「ええ、我々もそう思っていたのですが……」
天城が手元のコンソールを操作すると、画面に一つのデータファイルが送信された。
「処分したゴミの中から、なぜか貴国の最新鋭暗号回路と、貴国海軍に所属する将校たちの生体データ、および作戦指示書が復元されましてね。今、貴方にも同じデータをお送りしました」
画面の向こうの敵幹部の顔から、一瞬にして血の気が引くのが分かった。
「まさかとは思いますが……貴国が我が国に対して、宣戦布告なき不法攻撃を仕掛けたわけではありませんよね?」
天城の声は、極めて慇懃無礼でありながら、逃げ場のない死刑宣告のように響いた。
もし、S.O.D.U.がこの動かぬ証拠を国連や全世界のメディアに公開すればどうなるか。その国は「国際法を完全に無視し、民間機関(海上保安庁)を含めた日本の部隊を奇襲したテロ国家」として世界中から糾弾される。経済制裁は免れず、政権は一瞬で崩壊するだろう。
『……き、貴様ら……ッ!』
「我々は平和を愛する組織です。この『テロリストの遺留品』をどう扱うかについては、貴国の今後の誠意ある対応次第、ということにしておきましょう」
武力で敗北しただけでなく、政治的にも完全に首根っこを掴まれた大国は、もはや一切の反論を許されなかった。
S.O.D.U.は絶対の盾である『ずいうん』を失った。しかしその代償として、彼らは世界を裏から完全に支配し、大国すらも服従させる「究極の盾」を手に入れたのだった。




