↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山のヌシ  作者: つぶつぶみかん
2.昆虫の王様
PR
9/28

2-3.空を知る

 第6生も、湿った土の中から始まった。


 白く太い幼虫として、朽木を食べる。


 短い足で土を掻き、大きな顎で腐った木を噛み砕く。


 食べるほどに身体は膨らみ、古い皮を脱ぎ捨てるたびに大きくなった。


 やがて食べることをやめ、周囲の土を押し固めて蛹室を作る。


 白い身体は蛹へ変わり、長い眠りの中で少しずつ形を変えていった。


 大きな角。


 硬い殻。


 力強い6本の足。


 そして、上翅の下へ折り畳まれた一対の翅。


 地上へ出る頃には、前の生と同じ雄のカブトムシとなっていた。


 だが、初めて木の上から飛び立った瞬間、その生は以前とは大きく異なっていた。


     ◇


 硬い上翅を開く。


 その下から、薄い翅を広げた。


 翅を震わせると、低い羽音とともに重い身体が浮き上がる。


 大きな角に引かれ、身体がわずかに前へ傾いた。


 だが、落ちない。


 左右の翅の動きが自然に変わり、すぐに姿勢が戻った。


 前方には、何本もの枝が伸びている。


 以前ならば、そのどれかへ身体をぶつけていただろう。


 今は違った。


 少し高度を落とす。


 枝の下へ潜り込む。


 葉が目の前へ迫れば、身体を傾けて脇を抜ける。


 強い風が横から吹きつけた。


 流される前に翅の動きを変える。


 風へ逆らうのではなく、押される力を利用して大きく弧を描いた。


 別の木の幹が近づいてくる。


 翅の動きを弱め、速度を落とす。


 6本の足を前へ伸ばした。


 爪が樹皮へ触れる。


 そのまま、しっかりと幹を掴んだ。


 身体をぶつけることなく、狙った場所へ着地できた。


 上翅を閉じる。


 翅は傷ついていない。


 脚も外れていない。


 初めて飛んだはずなのに、身体は空の進み方を知っていた。


 なぜ知っているのかは分からない。


 以前にも飛んだことがあるのか。


 何度も失敗を重ねたのか。


 そのカブトムシには、何一つ思い出せなかった。


 ただ、翅の動かし方だけが身体へ刻まれていた。


 飛べる。


 木から木へ。


 枝から枝へ。


 思った場所へ進むことができる。


 その事実が、身体の奥へ強い昂ぶりを生んだ。


 甘い樹液の匂いが、風に乗って流れてくる。


 自分は再び上翅を開いた。


 今度は迷わず、夜の空へ飛び出した。


     ◇


 飛ぶ力を得たことで、樹液場を巡る生き方も変わった。


 木の上に大きな雄がいれば、無理に争う必要はない。


 その木を離れ、別の匂いを探せばいい。


 長い顎を持つクワガタが樹液を独占していても、正面から挑む必要はなかった。


 翅を広げれば、すぐに別の木へ移れる。


 地面を歩いて探していた頃には、一つの樹液場を失うことが大きな問題だった。


 次の木へたどり着くまでには時間がかかる。


 草の根。


 石。


 倒木。


 地面を進む身体にとって、森には多くの障害があった。


 だが、空を飛べば越えられる。


 広い茂みも。


 浅い沢も。


 急な斜面も。


 翅を動かしている限り、進路を塞ぐことはできなかった。


 ある夜、樹液場へ着くと、二匹の大きな雄が争っていた。


 二本の角が激しくぶつかる。


 一匹が相手の身体を持ち上げようとする。


 もう一匹は爪を樹皮へ食い込ませ、必死に耐えていた。


 周囲にいた小さな虫たちは、争いに巻き込まれないよう離れている。


 自分も樹液を求めていた。


 戦いへ割って入り、弱ったほうを追い落とすこともできた。


 だが、そうしなかった。


 上翅を開く。


 二匹の争いを背に、別の木へ飛んだ。


 しばらく進むと、前の場所より小さいが、誰にも使われていない樹液場が見つかった。


 甘い液体へ口をつける。


 腹を満たすには、それで十分だった。


 別の夜には、樹液場へ何十匹もの蟻が集まっていた。


 蟻たちは細い列を作り、木の下から登ってくる。


 樹液へ口をつけた個体が、また巣へ向かって下りていく。


 小さな身体。


 細い足。


 硬い殻を持つ今の自分なら、簡単に追い払うことができる。


 だが、蟻たちの姿を見ていると、不思議な懐かしさが湧いてきた。


 何匹もの蟻が触角を触れ合わせる。


 一匹が見つけた食料へ、次々と仲間が集まってくる。


 自分は樹液場の中央へ入らなかった。


 蟻の列から少し離れた場所へ移り、樹液がにじんでいる端へ口をつける。


 蟻たちは、そのまま働き続けた。


 自分も必要なだけを飲んだ。


 誰かを追い払わなくても、腹は満たされた。


 ――山の恵みは、山で生きるもののためにある。


 頭の奥に、低い声が浮かぶ。


 誰の声なのかは分からない。


 だが、その言葉に従うことが自然に思えた。


 必要以上に奪わない。


 食べる分だけを得る。


 戦う必要がなければ戦わない。


 飛べるようになったことで、自分にはそれを選ぶ余裕が生まれていた。


     ◇


 毎晩、飛べる距離が伸びていった。


 最初は隣の木までだった。


 次は、林の端まで。


 やがて沢を越えた。


 細い水の流れが、月の光を反射している。


 地面を歩いて渡ろうとすれば、流れに足を取られたかもしれない。


 今は、その上を一度も水へ触れずに通り過ぎることができた。


 さらに先へ進む。


 これまでいた森とは、匂いが違う。


 樹木の種類が変わった。


 地面には大きな岩が増え、斜面も急になっている。


 樹液の匂いを探し、夜の空を進む。


 腹を満たすだけなら、ここまで遠くへ来る必要はなかった。


 近くにも、樹液の出る木はある。


 それでも自分は、遠くへ飛ぶことをやめなかった。


 山の奥へ進むほど、胸の内側に奇妙な感覚が生まれた。


 懐かしい。


 何かを探さなければならない。


 この先に、誰かがいる。


 だが、誰を探しているのかは思い出せない。


 生まれてから一度も会ったことのないはずの何かが、自分を山の奥へ呼んでいる。


 高い木の枝へ降りる。


 そこから周囲を見渡した。


 暗い森。


 重なる山の影。


 さらに奥には、月の光を遮る高い峰がある。


 木々の間を、一筋の古い道が通っていた。


 草に覆われ、今ではほとんど使われていない道。


 その道を見た瞬間、頭の奥へぼんやりとした像が浮かんだ。


 大きな背中。


 肩にかけられた長い物。


 泥に汚れた長靴。


 一人の誰かが、山の奥へ歩いていく。


 追わなければならない。


 その思いが、強く身体を突き動かした。


 だが、像はすぐに消えた。


 なぜ追うのか。


 誰を追うのか。


 その答えは残らない。


 カブトムシは枝の上で触角を動かした。


 周囲に樹液の匂いはない。


 やがて空腹が勝り、来た方向へ飛び立った。


     ◇


 ある夜、山の上には薄い雲が広がっていた。


 月の光は弱い。


 風もほとんどない。


 自分は、いつものように木から飛び立った。


 山の奥へ向かう。


 沢を越える。


 斜面の上を進む。


 木々の頂が下へ流れていく。


 自由だった。


 地面に縛られることなく、どこへでも進める。


 飛ぶことを覚えたばかりの頃とは違う。


 枝を避けられる。


 狙った木へ降りられる。


 風の動きも分かる。


 もう空は、恐ろしい場所ではなかった。


 そのとき、背後で空気が揺れた。


 自分の羽音とは異なる。


 低く。


 重く。


 一度の羽ばたきで、多くの空気を押し動かす音。


 身体が危険を訴えた。


 振り返ることはできない。


 だが、月明かりの弱い空を、大きな影が横切った。


 鳥。


 枝に止まっていた鳥が、飛んでいる自分を見つけたのだ。


 大きな翼を広げ、後方から近づいてくる。


 速い。


 自分も翅を強く動かした。


 前へ進む。


 だが、距離は縮まっていく。


 鳥はほとんど音を立てずに飛んでいた。


 自分よりも大きな身体。


 広い翼。


 空を飛ぶために作られた姿。


 まっすぐ逃げても、追いつかれる。


 本能がそう告げた。


 前方に、枝葉の密集した木がある。


 その隙間へ入れば、大きな翼を持つ鳥は追いにくくなる。


 だが、そこへ向かうまでに捕まるかもしれない。


 背後から風圧が迫った。


 自分は突然、翅の動きを弱めた。


 身体が下へ落ちる。


 鳥の嘴が、先ほどまで自分がいた場所を通り過ぎた。


 大きな影が頭上へ抜ける。


 すぐに翅を強く動かす。


 落下を止め、前方へ進んだ。


 鳥が空中で身体を翻す。


 再びこちらへ向かってくる。


 まだ、逃げ切れていない。


 木の枝が迫る。


 そのまま、枝葉の隙間へ飛び込んだ。


 葉が殻へ当たる。


 細い枝が角を擦る。


 だが、速度を落とさない。


 鳥も後ろから迫った。


 翼が枝へ触れる。


 葉が激しく揺れた。


 大きな身体では、狭い隙間を自由に進めない。


 それでも、嘴は近い。


 自分は太い幹の直前で身体を傾けた。


 幹の表側から、裏側へ回り込む。


 鳥は同じようには曲がれない。


 翼を広げ、幹へぶつかる直前で上昇した。


 一瞬だけ、姿が見えなくなる。


 自分は翅を閉じた。


 身体が落下する。


 幹に沿って下へ落ちる途中、6本の足を広げた。


 爪が荒い樹皮を掴む。


 そのまま、幹の裏側へ張りついた。


 動かない。


 翅も開かない。


 触角さえ、ほとんど動かさない。


 頭上を、鳥が通り過ぎる。


 枝へ止まる音がした。


 探している。


 自分がどこへ消えたのか、見つけようとしている。


 しばらくすると、鳥が別の枝へ移った。


 再び翼を広げ、暗い森の向こうへ飛び去っていく。


 それでも、自分は動かなかった。


 鳥の気配が完全に消えてから、ゆっくりと幹を下りた。


 生きている。


 翅は傷ついていない。


 脚も揃っている。


 硬い殻には、枝で擦った小さな傷が残っただけだ。


 鳥より速く飛べたわけではない。


 戦って追い払ったわけでもない。


 飛び方を変えた。


 枝を使った。


 幹の陰へ隠れた。


 それだけで、生き残ることができた。


 ――強いものから、正面だけで逃げるな。


 ――山にあるものを使え。


 また、低い声が浮かんだ。


 その言葉を聞くと、胸の奥がわずかに暖かくなった。


 理由は分からない。


 自分は暗い木の幹を登り、安全な樹皮の割れ目で夜明けを待った。


     ◇


 鳥に襲われたあとも、飛ぶことをやめなかった。


 空には危険がある。


 木々の上へ出れば、身を隠す場所は少ない。


 大きな鳥に見つかれば、速さでは勝てない。


 それでも、空を飛ばなければたどり着けない場所があった。


 自分は枝葉から大きく離れないようになった。


 森の上を飛ぶときも、いつでも木の間へ逃げ込める高さを選んだ。


 開けた場所を横切る前には、高い枝へ止まる。


 周囲の気配を探る。


 鳥の羽音や影がないことを確認してから、一気に渡った。


 飛べるからといって、どこを飛んでもよいわけではない。


 自由に動けるからこそ、危険な場所を見極めなければならない。


 それもまた、山で生きるための掟なのだろう。


 夜を重ねるごとに、移動する範囲は広がっていった。


 沢を二つ越えた。


 岩の多い斜面を越えた。


 以前に見つけた古い山道の、さらに先まで進んだ。


 山の奥には、樹齢の長い木々が並んでいる。


 幹は太く、樹皮には深い傷があった。


 その一つに、不自然な痕が残されていた。


 虫が削ったものではない。


 獣の爪痕でもない。


 硬い何かを、幹へ打ちつけた跡。


 縦に。


 斜めに。


 何度も刻まれている。


 その痕へ前足を触れた瞬間、頭の奥に光景が浮かんだ。


 大きな手が、鉈を振るう。


 木の幹へ印を付ける。


 道を見失わないために。


 戻る場所を知るために。


 だが、その意味を理解するより先に、光景は消えた。


 自分はしばらく、幹の傷へ触れていた。


 ここを知っている。


 来たことなどないはずなのに、そう感じた。


 胸の奥へ、言葉にならない焦りが生まれる。


 もっと奥へ行かなければならない。


 何かを見つけなければならない。


 自分は再び飛び立った。


     ◇


 その夜は、いつもより遠くまで進んだ。


 高い斜面を越えた。


 樹液の匂いを見つけても、すぐには降りなかった。


 空腹よりも、山の奥へ向かう衝動のほうが強かった。


 飛び続ける。


 翅を動かす。


 風に乗る。


 木々の間を抜ける。


 やがて、山の空気が変わった。


 冷たい風が、斜面の上から吹き下ろしてきた。


 夏の夜にも、山の上には冷たい場所がある。


 だが、その風は今までとは違っていた。


 雲が厚くなる。


 月の光が完全に消えた。


 葉が大きく揺れ始める。


 遠くで、低い音が鳴った。


 雨の匂い。


 自分は身体の向きを変えた。


 来た道を戻る。


 樹液のある低い場所へ。


 暖かい森へ。


 だが、冷たい風は急速に強くなった。


 雨粒が殻へ当たる。


 一粒。


 二粒。


 すぐに、数え切れないほどの雨が降り始めた。


 翅が濡れる。


 身体が重くなる。


 風に押され、進路が横へずれた。


 姿勢を戻す。


 翅を強く動かす。


 飛ぶことはできる。


 だが、身体の動きが少しずつ鈍くなっていた。


 冷たい。


 脚へ力が入らない。


 翅を動かす速度が落ちる。


 高度が下がった。


 前方の木へ向かう。


 着地しなければならない。


 雨の中を飛び続ければ、地面へ落ちる。


 太い幹が近づく。


 6本の足を広げた。


 爪が樹皮へ触れる。


 だが、濡れた表面を滑った。


 身体が幹へぶつかる。


 そのまま落ちかける。


 後ろ足の一本だけが、樹皮の割れ目へ引っかかった。


 身体を持ち上げる。


 前足で幹を掴む。


 どうにか落下を止めた。


 上翅を閉じる。


 濡れた翅を、身体の下へ畳む。


 雨の当たりにくい場所を探し、幹をゆっくりと下りていく。


 樹皮の一部が剥がれ、浅い隙間になっていた。


 そこへ身体を押し込む。


 風は避けられる。


 雨も直接は当たらない。


 あとは、空気が暖かくなるまで待てばいい。


 そうするしかなかった。


 身体を動かさず、冷たい夜が過ぎるのを待つ。


 だが、気温は下がり続けた。


 脚が動かなくなる。


 触角の感覚が薄れる。


 翅へ力を送ることもできない。


 飛びすぎた。


 山の奥へ進みすぎた。


 低い場所へ戻るための時間を残していなかった。


 鳥からは逃げ切った。


 枝も避けられた。


 谷も越えた。


 それでも、冷たい空気からは逃げられなかった。


 空を自由に飛べるようになっても、山のすべてを越えられるわけではない。


 頭の奥に、低い声が浮かんだ。


 ――山の天気は、すぐに変わる。


 ――帰れるうちに帰れ。


 その声を、もっと早く思い出していればよかった。


 だが、生きている間の自分には、その意味が分からなかった。


 視界が暗くなる。


 雨の音が遠ざかっていく。


 最後に残ったのは、木の幹へ刻まれた鉈の痕だった。


 誰かが、ここを通った。


 誰かが、山の奥へ進んだ。


 追わなければならない。


 その思いだけを残し、すべての感覚が消えた。


     ◇


『個体の死亡を確認しました』


 感情のない声が響いた。


 その声とともに、失われていた記憶が戻ってくる。


 人間として16歳で死んだこと。


 働き蟻として4度生きたこと。


 カブトムシとして寿命まで生きたこと。


 飛行Lv.2を取得し、もう一度カブトムシへ転生したこと。


 そして、じいちゃんが自分のために山へ入ったこと。


「さっき見つけた傷は……」


 木の幹へ刻まれていた鉈の痕。


 生きている間は意味を理解できなかった。


 だが、今なら分かる。


 じいちゃんは猟師だった。


 山へ入るときには、道を見失わないよう、木へ印を残すことがあった。


 あれは、じいちゃんが付けた印だったのかもしれない。


「俺は、じいちゃんが通った場所まで行ったのか」


 断言はできない。


 他の猟師が残した痕かもしれない。


 昔、山仕事をしていた人間が付けたものかもしれない。


 それでも、見た瞬間に感じた懐かしさは消えていなかった。


 少なくとも、自分は以前より山の奥へ近づいている。


 飛ぶ力があれば、蟻や地上を歩く生き物では行けなかった場所へ進める。


 暗闇の中に、白い文字が浮かび上がった。


――――――――――


【第6生 集計結果】


 種族:カブトムシ


 生存期間:361日


 死亡原因:低温による活動停止


 獲得EP:8


 獲得SP:10


――――――――――


【現在の保有値】


 EP:14


 SP:14


――――――――――


 寿命まで生き切ることはできなかった。


 それでも、EPを8獲得している。


 これまでより広い範囲を飛んだこと。


 沢や斜面を越え、異なる山域へ到達したこと。


 鳥の襲撃から逃げ切ったこと。


 山の深部へ続く入口で、人間の残した痕跡を発見したこと。


 カブトムシという小さな身体で成し遂げた一つ一つが、大きく評価されたらしい。


『特殊条件の達成を確認しました』


――――――――――


【達成項目】


 長距離飛行


 空中回避


 鳥類からの逃走


 異なる山域への到達


 山林深部への到達


 人為的痕跡の発見


――――――――――


 SPも10増えていた。


 前の生で残していた4と合わせて、現在の保有SPは14。


『技能強化条件を満たしました』


 白い文字が切り替わる。


――――――――――


【強化可能技能】


 飛行 Lv.2 → Lv.3


 必要SP:12


【獲得可能技能】


 危険察知   必要SP:8


 夜間視覚   必要SP:4


 耐寒性    必要SP:15


【保有SP】


 14


――――――――――


 危険察知を得れば、鳥や天候の変化へ早く気づけるかもしれない。


 夜間視覚があれば、暗い森でも障害物や逃げ道を見つけやすくなる。


 耐寒性を得られれば、今回のような冷え込みにも耐えられる可能性がある。


 だが、必要なSPは15。


 今の自分には1足りない。


 飛行Lv.3なら取得できる。


 これまでより速く飛べる。


 急上昇。


 急降下。


 急旋回。


 空中での反転。


 風を利用した滑空。


 カブトムシの身体が本来持つ限界を越え、空をさらに自由に進めるようになる。


 今回の死は、飛べなかったからではない。


 むしろ、飛べるようになったことで遠くまで進みすぎた結果だった。


 飛ぶ力を捨て、危険を避けて生きる道もある。


 低い場所だけを飛び、樹液を探して寿命を迎えることもできる。


 だが、それでは山の奥へ近づけない。


 じいちゃんが歩いた道を追えない。


 飛べるようになったことで、初めて見つけられたものがある。


 古い山道。


 木に刻まれた鉈の痕。


 山の奥へ続く、誰かの足跡。


 もっと遠くへ進めれば、さらに多くの痕跡を見つけられるかもしれない。


「飛行をLv.3へ強化する」


『SPを12消費します』


『技能――飛行がLv.3へ上昇しました』


――――――――――


【保有技能】


 強靭な顎 Lv.2


 脚力強化 Lv.1


 飛行   Lv.3


【現在の保有値】


 EP:14


 SP:2


――――――――――


 飛行Lv.3。


 その文字が浮かび上がった直後、暗闇の中へ新たな光が走った。


『特殊進化条件を達成しました』


――――――――――


【達成条件】


 飛行 Lv.3


 長距離飛行の達成


 鳥類からの逃走


 山林深部への到達


【特殊進化先】


 ハシブトガラス 必要EP:14


――――――――――


「ハシブトガラス……」


 山林に生きる、大型の鳥。


 カブトムシとは比べものにならないほど大きな身体。


 空気を捉える広い翼。


 硬い木の実を割り、小さな生き物を捕らえる太い嘴。


 見つけた食料を隠し、その場所を後から探し出せる記憶力。


 周囲を観察し、経験から行動を変えられる知能。


 ただ飛ぶだけの生き物ではない。


 見つける。


 覚える。


 考える。


 そして、嘴と足で物を動かす。


 これまでの身体では得られなかった力を持つ鳥だった。


 以前から表示されていた進化先も、再び浮かび上がる。


――――――――――


【転生可能】


 カブトムシ


【進化可能】


 カエル     必要EP:6


 ヤモリ     必要EP:10


 ハシブトガラス 必要EP:14


【現在の保有EP】


 14


――――――――――


 カエルになれば、水と陸の両方を知ることができる。


 ヤモリになれば、木の幹や岩肌を自在に進み、昆虫を捕らえる側へ回ることができる。


 カブトムシとしてもう一度生きれば、飛行Lv.3を使い、さらに山の奥を目指すこともできる。


 だが、自分の意識は、新しく現れた名前から動かなかった。


 ハシブトガラス。


 カブトムシよりも高く、遠くまで飛べる。


 山を上から見渡せる。


 木に刻まれた印を探せる。


 見つけたものを覚えておける。


 そして、ただ本能に従うだけではなく、自分で考えて行動できるかもしれない。


 じいちゃんの痕跡を追うために必要なのは、強い身体だけではない。


 飛ぶ力。


 探す目。


 覚える頭。


 今の自分には、そのすべてが必要だった。


「ハシブトガラスに進化する」


『確認します』


――――――――――


【進化先】


 ハシブトガラス


【消費EP】


 14


【失効SP】


 2


【継承技能】


 強靭な顎 Lv.2


 脚力強化 Lv.1


 飛行   Lv.3


――――――――――


『ハシブトガラスへの種族進化を実行しますか』


「実行する」


 迷いはなかった。


『EPを14消費します』


『未使用SPを破棄します』


――――――――――


【現在の保有値】


 EP:0


 SP:0


――――――――――


 カブトムシとして積み重ねたEPが消えた。


 使わずに残していたSPも失われた。


 それでも、後悔はない。


 土の中から始まった命は、何度も翅を広げた。


 枝へぶつかった。


 風に流された。


 鳥から逃げた。


 沢を越えた。


 山の奥へ進んだ。


 そして、木に刻まれた痕を見つけた。


 次は、ただ空を飛ぶだけではない。


 空から山を見て。


 見つけたものを覚え。


 失われた痕跡を追う命になる。


『種族進化の条件を満たしました』


『進化先――ハシブトガラス』


『新たな知能段階への到達を確認』


 感情のない声が、そこでわずかに間を置いた。


『山の記憶を解放します』


「じいちゃんの、続きが見られるのか」


 返事はなかった。


 暗闇の中へ、冷たい風が吹き抜ける。


 土と雨。


 火の煙。


 血の匂い。


 そして、遠くから響く獣の唸り声。


 白い光が広がり、山の景色を形作っていく。


『山の記憶――第二片を再生します』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。