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山のヌシ  作者: つぶつぶみかん
3.黒い翼
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14/28

3-4.人里の掟

 罠を作るためには、材料が足りなかった。


 山には、枝がある。


 蔓がある。


 石がある。


 骨も、獣の皮も手に入る。


 それだけでも、単純な罠なら作ることができた。


 支えを外せば石が転がる。


 蔓へ触れれば輪が締まる。


 枝の反動を利用して、網を跳ね上げる。


 一つの仕掛けが次の仕掛けを動かす、連動した罠も作れるようになっていた。


 だが、ヌシの眷属は普通の獣ではない。


 巨大なクマタカ。


 太い脚。


 鋭い爪。


 大きな翼。


 そして、傷を塞ぐ白い霧。


 山の蔓では、力任せに暴れられれば切れるかもしれない。


 枝で作った支えは、風雨を受ければ腐る。


 獣の皮を細く裂いた紐も、均一な太さにはならない。


 罠を作るほど、自然の素材だけでは越えられない限界が見えてきた。


 もっと細く。


 もっと強く。


 雨に濡れても腐らず。


 強く引かれても切れないもの。


 頭の奥には、それに近い物の記憶があった。


 紐。


 網。


 針金。


 金属。


 人間が作る道具。


 山の中にも、ときおり落ちている。


 登山者が捨てた袋。


 切れた靴紐。


 荷物を縛っていた細い縄。


 錆びた針金。


 それらを拾い集めていたが、数は少なかった。


 罠全体を作り替えるには足りない。


 人間の道具が必要なら、人間のいる場所へ行けばいい。


 山の麓。


 田畑。


 家々が集まる人里。


 前の生では、食料を探すために近づいたことがある。


 人間が物を捨てる場所には、山では手に入らない物がいくつもあった。


 あそこなら、材料を集められる。


 そう考えたとき、胸の奥で危険を告げる感覚が動いた。


 人間へ近づくな。


 見つかりすぎるな。


 俺の中に残る危険察知が、そう訴えている。


 だが、人里の姿を思い浮かべると、警告よりも期待のほうが勝った。


 クマタカを罠へかけられる。


 ヌシの領域へ進める。


 じいちゃんの先へ行ける。


 そのための材料が、すぐそこにある。


「少し拾うだけだ」


 誰に言い訳するでもなく、そう考えた。


 人間を襲うつもりはない。


 食料を奪うつもりもない。


 捨てられた物を集めるだけ。


 自分には目的がある。


 必要なことなのだ。


 黒い翼を広げ、山の斜面を下った。


     ◇


 人里には、山よりも多くの物があった。


 四角く切り揃えられた木材。


 真っ直ぐな金属の棒。


 同じ太さで編まれた網。


 色鮮やかな紐。


 薄くて軽い布。


 水を弾く板。


 錆びにくい金属片。


 人間にとっては、壊れた物や使い終えた物にすぎない。


 だが、俺にとっては宝の山だった。


 最初に見つけたのは、畑の脇へ捨てられていた黒い紐だった。


 作物を支えるために使われていたらしい。


 山の蔓より細い。


 それでいて、嘴で引いても簡単には切れない。


 雨に濡れても柔らかくならなかった。


 足で端を掴み、嘴で引き出す。


 長い。


 一度には運べない。


 必要な分だけ嘴で切ろうとしたが、繊維が強く、何度噛んでも切れなかった。


 近くに割れた金属片が落ちている。


 片側が鋭くなっていた。


 紐を地面へ押さえ、金属の縁へ何度も擦りつける。


 やがて一本が切れた。


 嘴で咥え、山へ運ぶ。


 それだけでも、これまで作っていた罠の強度が大きく変わった。


 次に見つけたのは、曲がった針金だった。


 人間の家の裏。


 古い植木鉢や壊れた道具が積まれている場所に、輪になった針金が置かれていた。


 嘴だけでは形を変えられない。


 片方を石の隙間へ挟む。


 反対側を足で掴み、身体ごと引く。


 少しずつ曲がる。


 輪を作る。


 端を別の針金へ巻きつける。


 山の蔓とは違い、結び目を作らなくても形を保った。


 これなら、罠の骨組みに使える。


 締まる輪。


 外れにくい留め具。


 枝と枝を固定する部品。


 針金一つで、これまで数本の蔓を使っていた部分を置き換えられた。


 道具を手に入れるだけではない。


 人間が作った物を、別の目的へ使い直す。


 人間の記憶を完全に失っていても、物の形を見れば使い方が浮かぶことがあった。


 金属の輪へ紐を通す。


 力を加える向きを変える。


 小さな金属片を支点にする。


 布を重ねて、蔓が擦り切れないよう守る。


 一つの人工物を加えるたび、罠は複雑になった。


 そして、確実になった。


     ◇


 俺は人里へ通うようになった。


 早朝。


 人間が起きる前。


 あるいは、夕方を過ぎて辺りが暗くなってから。


 人目につかない時間を選ぶ。


 屋根の上へ止まり。


 電線から周囲を見下ろし。


 人の気配がなくなってから地面へ降りる。


 初めのうちは、捨てられた物だけを拾った。


 道端へ落ちた紐。


 側溝へ入った金属片。


 壊れた洗濯ばさみ。


 畑の隅へ捨てられた網。


 山へ運べる大きさに切る。


 嘴で咥える。


 足で掴む。


 何度も往復する。


 集めた物は、人里に近いねぐらへ一度隠した。


 そこから少しずつ山の中へ運ぶ。


 一度に遠くまで運ぼうとすれば、飛行が不安定になる。


 重い金属を持ったまま猛禽に襲われれば、逃げ切れない。


 複数の中継地点を作る。


 材料を種類ごとに分ける。


 細い紐。


 太い紐。


 柔らかい針金。


 硬い針金。


 布。


 金属片。


 人間の道具を集める作業そのものが、新しい罠作りに似ていた。


 場所を選び。


 人間の動きを読み。


 見つからない時間を見極め。


 必要な物だけを持ち出す。


 観察眼と危険察知が、俺を何度も助けた。


 窓が開く前に飛び立つ。


 犬が顔を上げる前に屋根へ逃げる。


 人間が近づけば、普通のカラスのように何も知らない顔で鳴く。


 自分は上手くやれている。


 そう思っていた。


     ◇


 捨てられた物だけでは、やがて足りなくなった。


 俺が作ろうとしている罠には、大きな網が必要だった。


 クマタカの翼を包み。


 爪を封じ。


 暴れても破れない網。


 山の中で拾った細い紐を、一羽で編むことも考えた。


 だが、足と嘴だけでは時間がかかりすぎる。


 人里には、すでに編まれた網があった。


 畑の作物へ掛けられた鳥よけの網。


 庭の周囲へ張られた網。


 倉庫の脇へ畳んで置かれた古い網。


 使われていない物を選んでいるつもりだった。


 だが、どれが捨てられた物で、どれが後から使うために置かれている物なのか。


 カラスの俺には、完全には見分けられなかった。


 ある日、畑の脇から網の一部を切り取った。


 端のほう。


 地面へ垂れ、作物を覆っていない部分。


 少しくらいなら問題ないと思った。


 金属片で繊維を切る。


 足で押さえながら、嘴で引く。


 一度には外れない。


 何度も切った。


 ようやく身体より大きな一枚を持ち上げる。


 翼を広げる。


 そのとき、家の戸が開いた。


「またカラスだ!」


 人間の声。


 振り返る。


 年老いた男が立っていた。


 男は地面から石を拾う。


 俺は網を離し、飛び立った。


 石が後ろを通り過ぎる。


 屋根の上へ逃げる。


 男は切られた網を見下ろし、何かを大声で叫んでいた。


 翌日、畑には銀色の物が吊るされていた。


 風に揺れ、光を反射する。


 人間の姿をした案山子も増えた。


 黒い鳥の死骸に似せた飾りまで下げられている。


 近づくな。


 人間からの警告だった。


 俺は別の場所を探した。


     ◇


 人里は広い。


 一つの畑へ行けなくなっても、別の場所がある。


 別の家。


 別の倉庫。


 別の捨て場。


 俺は活動する範囲を広げた。


 だが、範囲を広げるほど、人間に見られる回数も増えた。


 屋根の上に大きなカラスがいる。


 庭から紐を持ち去る。


 畑の網を切る。


 金属片を運ぶ。


 同じ一羽だと、人間たちが理解していたかは分からない。


 それでも、人里ではカラスの話が増えていた。


「あのカラス、また来てる」


「光る物を持っていくやつだろ」


「畑の紐も切られた」


「最近、家のすぐ近くまで下りてくるぞ」


 人間の言葉を、俺は完全には理解できない。


 だが、声の調子と視線で、自分が警戒されていることは分かった。


 それでも、材料集めをやめなかった。


 罠は、もう少しで完成する。


 網が足りない。


 丈夫な紐が、あと数本必要だ。


 それさえ揃えば、クマタカを捕らえる罠を作れる。


 じいちゃんの先へ進める。


 ここまで来て、引き返したくなかった。


 危険察知が働くたび、俺は自分へ言い聞かせた。


 今日だけ。


 あと一つだけ。


 これを運べば終わる。


 目的のために必要なことだ。


 自分は人間へ危害を加えていない。


 人間も、きっと分かる。


 そう考えていた。


 人間には、俺の目的など見えないことを忘れていた。


     ◇


 人里の外れに、小さな広場があった。


 昼になると、人間の子どもたちが集まる。


 走る。


 声を上げる。


 丸い物を蹴る。


 地面へ絵を描く。


 大人たちは少し離れた場所から見守っていた。


 俺は普段、子どもがいる時間には近づかなかった。


 動きが予測できない。


 突然走る。


 物を投げる。


 こちらを見つけると、近づいてくる。


 危険だからだ。


 だが、広場の隅に人間の道具が置かれていた。


 作業に使った後なのだろう。


 細く丈夫な縄。


 金属の輪。


 網の切れ端。


 今の罠に必要な物が、すべて揃っている。


 夕方まで待つつもりだった。


 高い木の上から見下ろす。


 子どもたちが帰る。


 大人もいなくなる。


 それから降りればいい。


 だが、空が暗くなり始めていた。


 山のほうに厚い雲が出ている。


 雨が降れば、道具は片づけられるかもしれない。


 次に来たときには、なくなっている可能性がある。


 すぐに取ればいい。


 人間へ近づかなければ問題ない。


 縄を一本だけ持ち帰る。


 俺は枝から飛び立った。


 広場の端へ降りる。


 子どもたちからは離れている。


 縄の端を嘴で掴む。


 長い。


 束の一部が、金属の輪へ通されていた。


 外さなければ運べない。


 足で縄を押さえる。


 嘴で輪を動かす。


 そのとき、一人の子どもがこちらへ走ってきた。


「カラス!」


 高い声。


 子どもの手には、小さな棒が握られている。


 俺を追い払おうとしているのか。


 近くで見たいだけなのか。


 分からない。


 距離が縮まる。


 危険察知が強く鳴った。


 縄を離して飛び立とうとする。


 だが、足の爪へ細い輪が引っかかっていた。


 身体を持ち上げる。


 縄が地面を引きずる。


 重い。


 飛べない。


 子どもがさらに近づく。


 俺は嘴で輪を外そうとした。


 焦りから、翼を大きく広げた。


 子どもの目の前で、黒い羽が開く。


 驚いた子どもが転んだ。


 泣き声が上がる。


 大人たちが一斉に振り返った。


「危ない!」


「カラスが襲った!」


 違う。


 襲っていない。


 子どもへ触れてもいない。


 ただ、足へ絡まった縄を外そうとしただけだ。


 だが、人間には分からない。


 泣いている子ども。


 その目の前で翼を広げた、大きな黒い鳥。


 人間たちが走ってくる。


 棒。


 石。


 大きな声。


 俺は足を強く引いた。


 輪が外れる。


 すぐに飛び立つ。


 頭の横を石が通り過ぎた。


 高い木へ逃げる。


 広場を見下ろす。


 大人が子どもを抱き起こしていた。


 別の人間がこちらを指差している。


 怒り。


 恐怖。


 警戒。


 誰も、俺が縄を集めていただけだとは思っていない。


 俺はその場を離れた。


 山へ戻る途中も、子どもの泣き声が耳に残っていた。


     ◇


 翌日から、人里の様子が変わった。


 俺が近づくと、人間がすぐに外へ出てくる。


 棒を振る。


 音を鳴らす。


 石を投げる。


 子どもを家の中へ入れる。


 広場の周囲には、見慣れない人間が立つようになった。


 人間たちは空を見上げ、黒い鳥を探している。


 人里へ近づくべきではない。


 危険察知は、はっきりと告げていた。


 必要な材料も、ほとんど集まっている。


 今ある物で罠を作り直せばいい。


 そう考えるべきだった。


 だが、足りない物が一つだけあった。


 広場に置かれていた金属の輪。


 縄の動きを変えるために使える。


 細い紐を通せば、遠くから罠を作動させられる。


 あれがあれば、クマタカへ近づかずに済む。


 一つだけ。


 最後の部品。


 それさえ手に入れれば、もう人里へ来る必要はない。


 数日待った。


 人間たちの警戒が弱まるのを待つ。


 雨の日。


 風の強い日。


 夕方。


 広場へ人がいない時間を探した。


 そして、曇った朝。


 人の姿が見えなかった。


 金属の輪は、まだ広場の端に置かれている。


 今なら取れる。


 俺は人里の上を一度旋回した。


 危険察知が、胸の奥で強く動く。


 屋根。


 木の陰。


 倉庫の隙間。


 どこかから、見られている気がした。


 観察眼を使う。


 人影はない。


 犬も吠えていない。


 窓も閉じている。


 気のせいだ。


 目的を前にして、俺はそう判断した。


 広場へ降りる。


 金属の輪へ近づく。


 嘴で拾う。


 軽い。


 飛べる。


 翼を広げた。


 その瞬間、乾いた音が響いた。


     ◇


 身体が横へ弾かれた。


 何が起きたのか分からない。


 羽が舞う。


 右の翼へ力が入らない。


 金属の輪が嘴から落ちた。


 地面へ身体を打ちつける。


 痛みが遅れて押し寄せた。


 翼の付け根。


 胸。


 身体の中へ、熱い何かが広がっている。


 猟銃。


 言葉とともに、記憶が戻った。


 じいちゃんの肩にあった長い物。


 雉を撃った音。


 イノシシを止めた音。


 今の音は、同じだった。


 人間が一人、木の陰から姿を現す。


 肩には猟銃。


 年老いている。


 じいちゃんではない。


 だが、構え方が似ていた。


 猟師。


 俺は翼を動かした。


 飛ばなければならない。


 ここから逃げる。


 右の翼が持ち上がらない。


 左だけで地面を叩く。


 身体がわずかに跳ねるだけだった。


 猟師はすぐには近づいてこない。


 こちらの動きを見ている。


 撃った獲物が、まだ危険かどうか確かめている。


 その後ろに、別の人間がいる。


 広場の近くから、こちらを見ている。


「この前、子どもへ向かっていったやつだ」


「また来ると思ってた」


「大きいな」


「巣が近くにあるんじゃないか」


「子どもが襲われてからじゃ遅い」


 人間の言葉が、断片的に頭へ入ってくる。


 俺は、子どもを襲っていない。


 嘴で傷つけてもいない。


 餌として狙ったわけでもない。


 だが、人間には関係がない。


 俺が何を考えていたかではなく。


 何をしているように見えたか。


 それだけが、人間たちにとっての事実だった。


 人里へ何度も現れた。


 畑の網を切った。


 家の近くから物を持ち去った。


 子どもの前で翼を広げた。


 警告されても戻ってきた。


 人間から見れば、危険なカラスだった。


 子どもを守るために排除する。


 それは、山で親鳥が雛を守ることと変わらない。


 巣へ近づく蛇を追い払う。


 猛禽へ群れで鳴きかかる。


 危険が迫れば、相手が何を考えているかなど確かめない。


 自分たちの子を守る。


 それもまた、生き物の掟だった。


「俺が、近づきすぎたのか」


 嘴からは、掠れた鳴き声しか出なかった。


 人間に害を与えるつもりはない。


 だから大丈夫だと思っていた。


 目的がある。


 必要な材料を集めているだけ。


 そう説明できるつもりでいたのかもしれない。


 だが、俺は人間の言葉を話せない。


 人間は俺の記憶を知らない。


 じいちゃんを探していることも。


 ヌシの眷属と戦おうとしていることも。


 俺にしか見えない事情を理由に、人間の領域へ入り続けた。


 畑の物を壊し。


 家の近くを飛び。


 子どもたちのそばへ降りた。


 目的を急ぎすぎた。


 罠を完成させることしか見えていなかった。


 相手が自分をどう見るか。


 何を恐れるか。


 そこまで考えられていなかった。


 猟師が猟銃を構え直した。


 最初の一発で、俺はもう逃げられない。


 それでも、苦しませないためなのだろう。


 じいちゃんも、撃った獲物が生きていれば、小刀で命を絶っていた。


 山で生きていた頃の記憶が、重なる。


 猟師の目には、楽しんでいる様子はなかった。


 仕事を終わらせようとしているだけだった。


 銃口が向けられる。


 今度は、飛ぼうとしなかった。


 乾いた音が、人里へ響いた。


     ◇


『個体の死亡を確認しました』


 感情のない声が響く。


 人里の広場。


 猟師。


 地面へ落ちた金属の輪。


 すべてが遠ざかっていく。


 代わりに、死後の暗闇が戻ってきた。


「やりすぎたな」


 誰もいない場所で呟く。


 人間に殺されたことへの怒りはなかった。


 俺を撃った猟師は、子どもを守るために呼ばれた。


 人間たちから見れば、当然の判断だったのかもしれない。


 危険察知は何度も警告していた。


 畑の男にも追い払われた。


 広場では子どもが泣いた。


 人間たちが警戒していることも分かっていた。


 それでも、最後の一つを求めて戻った。


「一つだけ。今日だけ。もう少しだけ」


 何度も、自分へ同じ言い訳をした。


 じいちゃんを追うことは大切だ。


 ヌシの眷属へ勝つための準備も必要だ。


 だが、急いで死ねば、結局は遠回りになる。


 カブトムシだったときにも、同じ失敗をした。


 遠くへ飛べることに夢中になり、帰る時間を失った。


 今回は、道具を集めることに夢中になり、引き返す時期を失った。


「できることが増えても、俺自身はあまり変わってないのか」


 暗闇の中へ、白い文字が浮かび上がる。


――――――――――


【第8生 集計結果】


 種族:ハシブトガラス


 生存期間:2年214日


 死亡原因:猟銃による致命傷


 獲得EP:14


 獲得SP:25


――――――――――


【達成した特殊条件】


 複数素材による罠の作成


 連動機構の構築


 人工物の収集および転用


 金属素材の加工


 人間生活圏への適応


――――――――――


【現在の保有値】


 EP:26


 SP:31


――――――――――


 生存期間は、前の生より短い。


 ヌシの眷属へ挑むこともできなかった。


 それでも、道具と罠に関する経験は大きく評価されている。


『技能の成長を確認しました』


――――――――――


【技能成長】


 道具使用 Lv.2 → Lv.3


――――――――――


 頭の中へ、さまざまな物の形が浮かぶ。


 枝。


 蔓。


 骨。


 石。


 紐。


 網。


 針金。


 金属の輪。


 それらを単独で使うだけではない。


 加工する。


 固定する。


 組み合わせる。


 一つの動きを、別の動きへつなげる。


 人間が作った物を、元とは異なる目的へ転用する。


 前の生までとは違う。


 俺はもう、道具を見つけて使うだけの生き物ではなかった。


 必要な働きを考え、そのための仕組みを作り出せる。


『特殊進化条件の達成を確認しました』


 白い文字が切り替わる。


――――――――――


【達成条件】


 道具使用 Lv.3


 複数素材の加工


 連動機構の作成


 人工物の用途転換


 手を持つ生物の継続観察


――――――――――


【特殊進化候補】


 ニホンザル 必要EP:24


――――――――――


「出た」


 前の生では表示されなかった進化先。


 トビでも。


 フクロウでもない。


 鳥類ではない生き物。


 あの山の中腹で見た猿。


 二本の手。


 物を掴む指。


 仲間と暮らし。


 互いの行動を見て学ぶ生き物。


 保有EPは26。


 必要な24を上回っている。


 ようやく、手を持つ身体へ進める。


 そう思った。


 だが、ニホンザルの文字は白く光らなかった。


 薄い灰色のまま、選択できない状態になっている。


「EPは足りているはずだ」


『追加条件が不足しています』


 表示の下へ、新しい文字が加わる。


――――――――――


【ニホンザルへの進化条件】


 必要EP:24    達成


 道具使用 Lv.3  達成


 統率連携 Lv.1  未達成


――――――――――


【状態】


 選択不可


――――――――――


「統率連携……?」


『社会性を基盤とする種族への進化には、同種個体との協力経験が必要です』


 これまでの生を思い返す。


 蟻だった頃は、群れの一員として働いていた。


 仲間と餌を運び。


 敵と戦い。


 巣を守った。


 だが、あの頃の俺は自分の意思で仲間を動かしていたわけではない。


 群れの匂いと本能に従っていただけだ。


 カブトムシになってからは、ほとんど一匹で生きた。


 ハシブトガラスとしても同じだった。


 親や兄弟と過ごしたのは、巣立つまでの短い時間だけ。


 その後は、一羽で山を飛んだ。


 一羽でねぐらを作った。


 一羽で食料を集めた。


 一羽で道具を運んだ。


 一羽で罠を作った。


 前の生では、6年かけてすべてを一羽で準備した。


 今の生でも、複雑な罠を一羽で完成させようとした。


 手がないことばかりを不便に思っていた。


 だが、足りないのは手だけではなかった。


「仲間か」


 一羽では持ち上げられない物も、複数なら動かせる。


 一羽が紐を引き。


 一羽が支えを押さえ。


 別の一羽が周囲を警戒する。


 役割を分ければ、足と嘴だけでもできることは増える。


 人間の道具を盗むために危険な場所へ何度も通う必要もなかったかもしれない。


 自分一羽ですべてを完成させようとしたこと。


 それもまた、今回の死につながったのかもしれない。


『統率連携の形成条件を表示します』


――――――――――


【統率連携 Lv.1】


 形成条件:


 ・同種個体との継続的な共同生活


 ・目的を共有した役割分担


 ・成果または食料の共有


 ・危険時の相互支援


 ・個体間の意思伝達


――――――――――


【現在の達成状況】


 未達成


――――――――――


 必要なのは、同じ場所へ集まるだけではない。


 餌を奪い合うだけでもない。


 互いの目的を理解する。


 役割を分ける。


 得たものを分ける。


 危険なら助ける。


 群れを利用するのではなく、自分も群れの一員として動く。


 それを学ばなければ、ニホンザルには進めない。


『次の生を選択してください』


――――――――――


【転生可能】


 ハシブトガラス


【進化可能】


 トビ     必要EP:10


 フクロウ   必要EP:12


【特殊進化候補】


 ニホンザル  必要EP:24


 追加条件未達成のため選択不可


【現在の保有EP】


 26


――――――――――


 トビやフクロウへ進めば、今すぐ別の身体を得られる。


 だが、欲しいのは空を飛ぶ力ではない。


 クマタカより優れた爪でも。


 夜を見通す目でもない。


 物を作る手。


 そして、その身体を得るために必要な、仲間と生きる力。


「もう一度、ハシブトガラスになる」


『同一種族への転生を選択しますか』


「はい」


『保有EPおよびSPは継続されます』


 白い光が広がり始める。


 次の生で、すべてを覚えていられる保証はない。


 人里で撃たれたこと。


 子どもを怖がらせたこと。


 ニホンザルが進化先へ現れたこと。


 統率連携が足りなかったこと。


 それらはまた、霧の中へ沈むかもしれない。


 それでも、ハシブトガラスの知能なら、断片は残る。


 今までにも残った。


 じいちゃん。


 光る目。


 白い霧。


 挑むな、まず見ろという警告。


 次に残すべきものは、一つだった。


「一羽で、全部やろうとするな」


 白い光の中で、何度も繰り返す。


「仲間と動け」


 誰かと食べ物を分ける。


 誰かが危険なら知らせる。


 自分だけで道具を使うのではなく、使い方を見せる。


 互いに役割を持つ。


「兄弟と、協力するんだ」


 その言葉へしがみついたまま、意識が薄れていく。


     ◇


 暗い。


 狭い。


 硬い殻が身体を包んでいる。


 近くから、小さな音が聞こえた。


 自分以外にもいる。


 嘴を動かす。


 殻を叩く。


 一度。


 もう一度。


 亀裂が入る。


 光が差し込んだ。


 身体を押し出す。


 木の上に作られた巣。


 すぐ隣では、別の卵も割れ始めている。


 一羽。


 また一羽。


 黒い鳥の雛が、同じ巣の中へ生まれてくる。


 兄弟。


 姉妹。


 誰がどちらなのか、今はまだ分からない。


 誰もが裸に近い身体で。


 目も開かず。


 食べ物を求めて嘴を開いている。


 親鳥が巣へ降り立った。


 嘴には、細かく分けられた肉がある。


 雛たちが一斉に鳴く。


 自分の身体も空腹を訴えた。


 以前の生なら、誰よりも高く首を伸ばしただろう。


 兄弟を押し退けてでも、先に食べようとしたかもしれない。


 だが、胸の奥に奇妙な感覚が残っていた。


 一羽では駄目だ。


 隣にいるものを、押し落としてはいけない。


 雛の一羽が、巣の端へ転がりかけている。


 自分は弱い身体を動かした。


 翼にもならない小さな腕で。


 嘴で。


 隣の雛へ身体を寄せる。


 押し出すのではなく、巣の中央へ戻すように。


 雛同士の身体が重なった。


 温かい。


 親鳥から食べ物が運ばれる。


 自分だけではなく。


 兄弟姉妹の口にも、一つずつ。


 まだ目的は思い出せない。


 ニホンザルという名前も。


 統率連携という技能も。


 人里で撃たれた記憶も、霧の奥にある。


 それでも、一つの思いだけは残っていた。


 今度は、一羽で生きない。


 手を持つ生き物へ進むための、新しい生が始まった。


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