3-2.深部の番人
卵から孵って、6年が過ぎた。
その間、自分――いや、俺は一度も山の奥へ踏み込まなかった。
じいちゃんが夜を過ごした岩場。
使い終わった薬莢。
イノシシの牙。
その先へ続く、獣道。
見つけた直後は、すぐにでも飛んでいきたいと思った。
記憶の中で、傷ついたじいちゃんは暗闇に現れた獣を追い、山のさらに深い場所へ消えている。
あの先に何があるのか。
じいちゃんはヌシに会えたのか。
なぜ俺は、何度も異なる生き物として生まれ直しているのか。
答えは、すぐ近くにあるように思えた。
だが、俺は進まなかった。
カブトムシだった頃の、冷たい雨の感覚が残っていたからだ。
遠くまで飛べるようになったことへ夢中になり、帰る時間を失った。
冷えた身体は動かなくなり、樹皮の隙間で死を待つことしかできなかった。
じいちゃんの声も残っている。
――帰れるうちに帰れ。
――山では、待つことも生きることだ。
だから、俺は待った。
ただ時間が過ぎるのを待ったのではない。
生きて戻るための準備を続けた。
◇
最初の冬は、寒さを知るために使った。
山の低い場所と高い場所では、同じ夜でも空気の冷たさが違う。
沢沿いには冷気が溜まる。
尾根の上では風が強い。
南向きの斜面は朝になると早く暖まり、岩場の窪みには夜の熱がわずかに残る。
俺は山中にいくつものねぐらを作った。
木の空洞。
岩の裂け目。
倒木の下。
入り口へ樹皮を立てかけ、枝で支える。
中には乾いた苔と枯れ葉を敷く。
雨が吹き込む方向を確かめ、必要なら反対側へ小さな空気穴を残した。
作ったねぐらは一つではない。
山の麓。
沢の手前。
古い山道の途中。
じいちゃんの野営跡から少し離れた岩場。
奥へ進み、途中で天候が崩れても、最寄りの場所へ逃げ込めるようにした。
食料も蓄えた。
木の実。
乾いた肉。
人間の暮らす場所で拾った食べ物。
それぞれを一つの場所へ集めることはしない。
一か所を獣に見つけられれば、すべてを失うからだ。
木の洞。
岩の隙間。
土へ半分埋まった倒木の下。
場所を分けて隠した。
雨で腐る物と、長く保存できる物も分けた。
春になると、冬を越せなかった食料を捨て、新しい物へ入れ替えた。
2年目には、道具を集め始めた。
真っ直ぐな枝。
先端の曲がった枝。
細く尖った骨。
硬く平らな石。
人間が捨てた紐。
錆びた針金。
割れた金属片。
それらをねぐらや岩場へ運び、用途ごとに分けた。
穴の中を探る枝。
樹皮を剥がすための骨。
木の実を割る石。
物を固定する紐。
敵の注意を逸らすために落とす、小さな金属片。
拾ったときには使い道が分からなかった物でも、捨てなかった。
何度も嘴と足で動かしているうちに、新しい使い方を思いつくことがあった。
3年目には、自分だけの道標を作った。
じいちゃんが木へ刻んだ鉈の傷を、俺の嘴では再現できない。
代わりに、目立つ物を木の枝へ結びつけた。
白い布。
細長い紐。
光を反射する金属。
風が吹いても落ちないよう、枝の分かれ目へ押し込む。
空から見える位置。
地上からは目立たない高さ。
帰り道を見失わないため。
天候が崩れたとき、最寄りのねぐらを見つけるため。
じいちゃんの印を追う道へ、俺自身の印を重ねていった。
4年目には、山の敵を調べた。
猛禽が飛ぶ時間。
獲物を探す場所。
風へ乗る方向。
熊が歩く獣道。
蛇が日光を浴びる岩場。
夜になると動き始める獣。
危険な相手へ近づくことはしない。
高い木から見下ろす。
匂いが届かない風下から観察する。
獣が通り過ぎたあとに地面へ降り、足跡や残された毛を調べる。
強い生き物にも、常に動き続ける者はいない。
眠る。
食べる。
水を飲む。
縄張りを見回る。
同じ道を使う。
行動には、繰り返しがあった。
5年目には、じいちゃんの野営跡から先へ少しずつ進んだ。
最初は、日帰りできる距離だけ。
次は、途中のねぐらで一夜を過ごせる距離まで。
獣道の左右へ短く入り、地形を確かめる。
奥へ行くほど木々は太くなり、空から地面が見えにくくなった。
森の上へ出れば進む方向は分かる。
だが、猛禽に見つかりやすい。
木々の間を飛べば身を隠せるが、曲がりくねった獣道を見失う。
俺は何度も往復した。
高く飛び、地形を覚える。
低く戻り、木や岩の形を確認する。
ねぐらを増やす。
食料を隠す。
道具を運ぶ。
そして6度目の春。
俺は、ようやく準備が整ったと判断した。
◇
じいちゃんの野営跡には、ほとんど何も残っていなかった。
6年前に見つけた骨は、雨と土の中でさらに崩れている。
焼けた石の間にも苔が生えていた。
だが、俺が岩の隙間へ隠した薬莢とイノシシの牙は残っている。
嘴で薬莢を取り出す。
黒ずんだ金属の表面へ、朝の光が当たった。
これを見るたびに、記憶が蘇る。
銃声。
雉。
突進するイノシシ。
血に濡れたじいちゃん。
火の消えた岩場。
そして、暗闇の中に浮かんだ二つの目。
「行くぞ」
実際に口から出たのは、低い鳴き声だけだった。
それでも、頭の中の言葉は以前より明確になっている。
俺は薬莢を元の場所へ戻した。
イノシシの牙も、その隣へ置く。
今回持っていく道具は、尖らせた鹿の骨だった。
長すぎず、飛行を邪魔しない。
片側は鋭く削ってある。
嘴で咥えることも、足で掴むこともできる。
戦うためだけの物ではない。
狭い穴を探る。
土を掘る。
物を動かす。
必要なら、敵の目や柔らかい部分を突く。
何があるか分からない場所へ進むための、一本の道具だった。
岩場を離れる。
記憶の中で、二つの目が消えた方向へ飛んだ。
◇
獣道は、すぐに狭くなった。
地面には厚く落ち葉が積もっている。
人間が歩いた形跡はない。
じいちゃんが残した鉈の傷も、岩場から先には見つからなかった。
目印を付ける余裕がなかったのか。
あるいは、獣に導かれ、印を残す必要がないと思ったのか。
俺は低い枝を選びながら進んだ。
ときおり木の上へ上がり、周囲の地形を確認する。
来た道を覚える。
後方にある白い布の位置を確かめる。
しばらく進むと、森の音が減っていった。
最初に消えたのは、虫の音だった。
次に、小鳥の声。
木々の上を移動していた小動物の気配もなくなる。
風は吹いている。
葉も揺れている。
それなのに、生き物の音だけが聞こえない。
記憶の中の岩場と同じだった。
じいちゃんが二つの目を見つける前も、山は不自然なほど静かになっていた。
俺は枝へ止まった。
引き返すべきか。
陽はまだ高い。
最寄りのねぐらまで戻る時間も十分にある。
食料も残っている。
危険の正体を確かめずに戻ることは、生き延びるためには正しいのかもしれない。
だが、6年かけてここまで準備した。
静けさが始まる場所も覚えた。
今すぐ奥へ進まなくても、次の機会はある。
迷っていると、前方の木に奇妙な傷を見つけた。
鉈の跡ではない。
太い幹の表面が、大きく抉れている。
鋭い爪を、上から下へ振り下ろした痕。
一本。
二本。
三本。
人間の腕ほどもある間隔で、深い溝が刻まれていた。
熊の爪痕よりも高い位置にある。
地面からでは届かない。
飛ぶ生き物が残した傷。
俺は近づいた。
傷の中には、新しい木屑が残っている。
古い痕ではない。
木へ止まろうとした瞬間、身体の羽毛が逆立った。
上だ。
考えるより先に、枝から飛び離れた。
直後、先ほどまで止まっていた場所へ何かが落ちてきた。
枝が折れる。
葉が舞う。
大きな翼が開いた。
クマタカ。
だが、これまで見たどの個体よりも大きい。
翼を畳んでも、俺の身体の数倍はある。
太い脚。
湾曲した爪。
獲物の肉を引き裂く嘴。
褐色の羽毛には、ところどころ白い筋が走っていた。
何より異様だったのは、その目だった。
暗闇の中で見た二つの光。
じいちゃんを導いた何かと同じ、淡い光を宿している。
クマタカは、折れた枝の上から俺を見た。
獲物を見る目ではない。
侵入者を見定める目。
戻れ。
言葉は聞こえない。
それでも、意思だけが頭へ押し込まれた。
この先へ進むな。
俺は翼を広げた。
戦うつもりはない。
正面から勝てる相手ではなかった。
ここまで来られただけでも十分だ。
相手の姿を見た。
場所も覚えた。
戻って調べればいい。
身体の向きを変える。
来た道へ飛ぼうとした。
風が逆向きに吹いた。
森の奥から、強い風が押し寄せる。
翼が持ち上げられた。
姿勢が崩れる。
風向きは、先ほどまで変わっていなかった。
枝葉も同じ方向へ揺れていた。
それなのに、自分の身体へ当たる風だけが違う。
クマタカが翼を広げた。
一度羽ばたく。
その姿が消えた。
速い。
右から爪が迫る。
急降下する。
頭上を爪が通り過ぎた。
木々の間へ入る。
太い幹を利用し、相手の視線を切る。
以前、猛禽から逃げ切った方法だ。
枝の隙間を縫う。
急旋回する。
幹の裏側へ回る。
だが、クマタカは離れない。
俺が進む方向を、先に知っているかのように回り込んでくる。
左へ曲がろうとする。
左側から風が吹く。
翼が押し戻された。
下へ逃げる。
枝が不自然に揺れ、進路を塞ぐ。
上へ出ようとする。
クマタカが待っている。
山そのものが、俺の逃げ道を教えているようだった。
このままでは捕まる。
俺は嘴に咥えていた骨を足へ持ち替えた。
逃げながら、クマタカの位置を確認する。
相手は後方。
距離が縮まっている。
太い木の幹へ向かう。
直前で翼を畳む。
身体を落とす。
クマタカが上を通り過ぎた。
俺は幹を蹴った。
反動を使って上昇する。
相手の腹が見えた。
足から骨を放す。
尖った先端が、クマタカの胸へ向かう。
刺さった。
羽毛の間へ骨が入り込む。
クマタカが大きく鳴いた。
初めて聞く声だった。
森全体を震わせるような、低く鋭い声。
身体が一瞬だけ止まる。
効いた。
俺はすぐに距離を取った。
骨は深く刺さっている。
胸の羽毛の間から、赤い血がにじんだ。
傷つけられる。
倒せなくても、逃げる時間は作れる。
そう思った直後、木々の奥から白い霧が流れてきた。
霧はクマタカの身体へまとわりつく。
血が止まった。
刺さっていた骨が、押し出されるように落ちる。
開いていた傷が塞がっていく。
羽毛まで、元の位置へ戻った。
あり得ない。
生き物の傷が、これほど早く消えるはずがない。
クマタカの目の光が強くなった。
怒り。
明確な殺意。
今度は、戻れという警告ではなかった。
翼が開く。
風が爆発した。
枝ごと身体を吹き飛ばされる。
幹へ背中を打ちつけた。
息が止まる。
翼を動かす。
右側へ力が入らない。
骨は折れていない。
だが、羽の一部が曲がっている。
飛べる。
まだ逃げられる。
そう思い、枝から足を離した。
身体が浮かばない。
風が上から押さえつけている。
飛行の技能は残っている。
翼の動かし方も分かる。
それなのに、空気を掴めない。
まるで、ここでは飛ぶことを許されていないようだった。
クマタカが枝から飛び立つ。
俺は地面近くまで高度を下げた。
木の根。
岩。
低い茂み。
狭い場所へ入れば、大きな相手は動きにくい。
だが、身体が重い。
飛ぶほどに力が抜けていく。
嘴から血が落ちた。
先ほど幹へぶつかったとき、身体の内側を傷つけたらしい。
前方に、岩の裂け目が見えた。
入れる。
あと少し。
翼を動かす。
地面すれすれを進む。
背後から影が覆いかぶさった。
クマタカの爪が、背中へ食い込む。
羽毛。
皮。
肉。
鋭い爪がまとめて突き破った。
身体が持ち上げられる。
脚を動かす。
嘴を振る。
届かない。
俺は足元にある石を掴もうとした。
爪の先が触れる。
だが、持ち上げられた身体はすぐに地面から離れた。
道具がない。
逃げ道もない。
6年かけて覚えた飛び方。
作ったねぐら。
蓄えた食料。
集めた道具。
調べた獣の行動。
そのすべてが、この場所では通じなかった。
準備が足りなかったのか。
違う。
クマタカが強いことだけが原因ではない。
風が進路を塞いだ。
枝が動いた。
傷が塞がった。
自分の身体から力が抜けた。
俺が戦っている相手は、目の前の鳥だけではない。
この山そのものだった。
クマタカが太い枝へ降りた。
爪で俺の身体を押さえつける。
嘴が振り下ろされる。
頭を動かす。
一度目は避けた。
嘴が枝を抉る。
二度目。
肩へ刺さる。
翼が動かなくなった。
視界の端で、淡く光る目がこちらを見ている。
暗闇の中で、じいちゃんを導いた目。
だが、このクマタカではない。
記憶の中の獣は、地面を歩いていた。
同じ光を宿していただけだ。
ヌシの力。
その言葉が、頭の奥に浮かんだ。
こいつは、ヌシではない。
ヌシの力を与えられた、配下。
配下にさえ勝てない。
このままでは、じいちゃんがたどり着いた場所へ届かない。
嘴が、もう一度振り下ろされた。
今度は避けられなかった。
◇
『個体の死亡を確認しました』
感情のない声が響いた。
失われていた記憶が、一気に戻ってくる。
人間として16歳で死んだこと。
蟻として4度生きたこと。
カブトムシとして2度生きたこと。
ハシブトガラスへ進化したこと。
そして、6年をかけて山の深部へ挑み、巨大なクマタカに敗れたこと。
「……勝てなかった」
準備はした。
天候を調べた。
ねぐらを作った。
食料を蓄えた。
道具を集めた。
敵から逃げる方法も学んだ。
それでも、届かなかった。
暗闇の中に、白い文字が浮かび上がる。
――――――――――
【第7生 集計結果】
種族:ハシブトガラス
生存期間:6年82日
死亡原因:ヌシの眷属による捕食
獲得EP:12
獲得SP:26
――――――――――
【達成した特殊条件】
6度の越冬
複数のねぐらの構築
食料の分散貯蔵
道具の加工および複合利用
独自の道標の作成
山林深部への再到達
ヌシの領域への侵入
ヌシの眷属との交戦
――――――――――
【現在の保有値】
EP:12
SP:26
――――――――――
「ヌシの眷属……」
やはり、あのクマタカは普通の生き物ではなかった。
「じいちゃんを導いた獣も、ヌシの眷属なのか」
『回答できません』
「あのクマタカの傷を治したのは、ヌシの力か」
『回答できません』
「どうして俺の力が弱くなった」
『回答できません』
いつもの返答。
だが、今回は問いの形が見えている。
俺は単純な力比べに負けたのではない。
飛ぶ速さだけなら、逃げる余地はあった。
道具も傷を与えた。
骨は確かに胸へ刺さった。
それでも傷は塞がった。
俺が進もうとする方向へ風が吹いた。
枝が逃げ道を塞いだ。
深部へ入るほど、自分の身体は重くなった。
何かがある。
あの場所にいるクマタカだけが強くなる理由。
侵入した俺だけが弱くなる理由。
それを知らないまま、何度挑んでも結果は同じだ。
『生存中の経験から、技能が形成されました』
――――――――――
【新規技能】
道具使用 Lv.2
――――――――――
6年の間に、さまざまな物を使った。
拾うだけではない。
折る。
削る。
組み合わせる。
目的に合わせて形を変える。
食料を得る。
寒さを防ぐ。
道を示す。
敵の注意を逸らす。
そして最後には、尖らせた骨で眷属へ傷を与えた。
その経験が、技能として残った。
『次の生を選択してください』
白い文字が切り替わる。
――――――――――
【転生可能】
ハシブトガラス
【進化可能】
トビ 必要EP:10
フクロウ 必要EP:12
【現在の保有EP】
12
――――――――――
トビ。
大きな翼と鋭い爪を持ち、上昇気流へ乗って長く飛ぶ鳥。
今よりも高く、少ない力で広い範囲を移動できる。
フクロウ。
夜の森を音もなく飛び、暗闇の中でも獲物を捉える鳥。
夜間の視覚と聴覚に優れ、眷属の目を避けて奥へ進める可能性がある。
どちらも、ハシブトガラスより戦いに向いた身体を持つ。
トビなら、空中での力が増す。
フクロウなら、闇へ紛れることができる。
だが、それだけでは足りない。
相手がクマタカより大きいから負けたのではない。
見つかったから負けたのでもない。
ヌシの領域に入った瞬間、何かが変わった。
その原因を見つけなければならない。
新しい身体へ変われば、見えるものまで変わってしまう。
同じ場所。
同じ相手。
同じハシブトガラスの身体。
条件を揃えなければ、何が違ったのかを確かめられない。
「もう一度、ハシブトガラスになる」
『同一種族への転生を選択しますか』
「ああ」
『技能を選択してください』
――――――――――
【獲得可能技能】
観察眼 必要SP:12
危険察知 必要SP:8
隠密 必要SP:10
記憶固定 必要SP:18
【強化可能技能】
飛行 Lv.3 → Lv.4
必要SP:20
【保有SP】
26
――――――――――
飛行Lv.4。
もっと速く。
もっと鋭く曲がり。
もっと自在に空を飛べる。
前の自分なら、それを選んだかもしれない。
速さが足りなかった。
力が足りなかった。
ならば、さらに強くなればいい。
だが、今は違う。
速く飛んでも、風に進路を塞がれれば意味がない。
強く傷つけても、すぐに治される。
原因が分からないまま力だけを増やしても、また同じ場所で死ぬ。
「観察眼を取得する」
『SPを12消費します』
『技能――観察眼Lv.1を取得しました』
「危険察知も取得する」
『SPを8消費します』
『技能――危険察知Lv.1を取得しました』
――――――――――
【保有技能】
飛行 Lv.3
道具使用 Lv.2
観察眼 Lv.1
危険察知 Lv.1
【現在の保有値】
EP:12
SP:6
――――――――――
強靭な顎と脚力強化も、異なる身体へ適応した形で残っている。
だが、次の生で必要なのは、正面から戦う力ではない。
見る。
比べる。
違いを探す。
クマタカが強くなる瞬間。
傷が塞がる条件。
風が変わる場所。
自分の身体から力が抜け始める境界。
そこに、勝てない原因がある。
『第8生を開始します』
『転生先――ハシブトガラス』
白い光が、暗闇へ広がっていく。
死後の場所で考えたことは、次の生へそのまま持ち越せない。
観察するという方針も。
原因を見つけるという決意も。
技能以外は、また記憶の霧へ飲み込まれる。
それでも、今回は完全には消えない。
クマタカの淡く光る目。
傷を塞いだ白い霧。
逆向きに吹いた風。
空気を掴めなくなった翼。
そして、戦ってはいけないという強い感覚。
それらが断片となり、光の中へ残った。
◇
狭い殻の内側で、新しい身体が動いた。
嘴を打ちつける。
殻へ亀裂が入る。
もう一度。
光が差し込んだ。
黒い鳥の雛が、巣の中へ身体を押し出す。
親鳥の気配。
兄弟の鳴き声。
空腹。
温かな羽毛。
新しい生の感覚が、頭の中を満たしていく。
それでも、消えなかったものがある。
淡く光る目。
白い霧。
自分を押し戻す風。
雛はまだ立てない。
翼も生え揃っていない。
敵と戦うことも、山の奥へ向かうこともできない。
だが、胸の奥には一つの衝動が残っていた。
挑むな。
まず、見ろ。
言葉として覚えているわけではない。
誰がそう決めたのかも分からない。
ただ、その生き物は生まれた瞬間から、光る目へ正面から向かってはいけないことを知っていた。
勝つためではない。
勝てない理由を見つけるための、新しい生が始まった。




