第7話 星条旗の猟犬(前編)
アメリカ・バージニア州ラングレー。CIA(中央情報局)本部の地下深くにある特別作戦室は、重苦しい沈黙と焦燥感に包まれていた。
壁一面を覆う巨大なモニターには、日本の地図と、完全にブラックアウトした「J-イージス」のステータス画面が映し出されている。
「……信じられん。ペンタゴンの最高機密プロトコルが、たった一人のハッカーに書き換えられたというのか?」
葉巻を苛立たしげに灰皿に押し付けながら、CIA極東支部を統括するアーサー・ケインは低い声で唸った。冷酷な灰色の瞳を持つ彼は、中東や南米で数々の親米政権を裏から操ってきた工作のプロフェッショナルだ。
「イエス、サー。敵のプログラムは自己進化型。我々のサイバー軍が接触するたびに、防御コードを数秒で書き換えて防壁を強化しています。……まるで、意志を持った『鳥』の群れのように」
部下の分析官が、額に冷汗を浮かべながら報告する。
「中国か? それともロシアのサイバー部隊か?」
「いえ……発信源の偽装を三日三晩かけて解析した結果、微弱な痕跡ですが、東京・千代田区周辺に絞り込まれました。間違いなく、日本国内からの単独犯です」
その言葉を聞いた瞬間、ケインの顔に獰猛な笑みが浮かんだ。
「日本国内だと? 飼犬が飼い主に牙を剥いたというわけか。……生意気な」
ケインは手元の極秘回線の受話器を取った。
「日本政府に知らせる必要はない。横田基地に極秘駐留している非正規特殊部隊『ナイトストーカーズ』を出動させろ。千代田区をしらみ潰しにしろ。見つけ次第、確保は不要だ。……消せ。我々のアメリカの威信を傷つけた猿に、身の程を教えろ」
同じ頃、東京・秋葉原。
ロキのアジトでは、ミコが手際よく淹れたコーヒーの香りが漂っていた。
「紅龍資本の崩壊、ついに今朝のニュースでトップ扱いになったわね。総理大臣も防衛大臣も、記者会見で脂汗を流してしどろもどろだったわ」
ミコがスマートフォンを見ながら、痛快そうに笑う。
「当然だ。自分たちの懐に入っていた中国からの裏金が、ある日突然消滅し、しかもその証拠が国税庁に送られているんだからな。今頃、永田町はパニック映画さながらだろうよ」
ロキはモニターから目を離さず、コーヒーカップに手を伸ばした。
J-イージスの奪還と、中国資本の撃退。
二つの巨大な作戦を立て続けに成功させたことで、日本を取り巻くパワーバランスは水面下で確実に狂い始めていた。アメリカは日本の防空網への干渉能力を失い、中国は日本国内での非合法な浸透工作の足場を大きく失った。
だが、ロキの表情に油断はない。
「これでアメリカと中国の双方が、俺たちという『見えざる敵』の存在に気づいたはずだ。特にアメリカは、自分たちが支配していると信じて疑わないこの日本で起きた反逆を、絶対に許さない」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
『――ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
部屋の隅に設置された、独立型の小型サーバーがけたたましい警告音を鳴らし始めた。画面が真っ赤に点滅し、「PHYSICAL INTRUSION ALERT(物理的侵入警告)」の文字が踊る。
「サイバー攻撃じゃない。……物理だ!」
ロキが弾かれたように立ち上がる。
彼が構築したアジト周辺の監視カメラネットワークが、迷彩服に身を包み、消音器付きのアサルトライフルを構えた武装集団の姿を捉えていた。その数、およそ十二名。彼らは統率の取れたプロの動きで、雑居ビルの階段を音もなく上がってきている。
「横田の米軍特殊部隊ね。CIAの猟犬ってところかしら」
ミコは一瞬で表情を引き締め、ソファの裏に隠してあった黒いボストンバッグのジッパーを開けた。中からは、特殊警棒や閃光弾、そして彼女が愛用する刃渡り二十センチのタクティカルナイフが現れた。
「ロキ、データはどうするの!?」
「すべて『ヤタガラス』に分散させて、クラウドの深層に退避させる! 物理サーバーはここで燃やす!」
ロキはキーボードの特定のキーを同時押しし、「焼却プロトコル」を発動させた。サーバーラックの中からシューという音が鳴り、内蔵されたテルミット剤がハードディスクを物理的に溶かし始める。凄まじい高熱と白煙が部屋に立ち込めた。
「時間は?」
「三十秒だ!」
「十分よ」
ミコは両手にナイフと閃光弾を握りしめ、アジトの重厚な鉄扉の横に音もなく張り付いた。
その直後。
ドォォォン!! という耳を劈くような爆音と共に、チタン合金製の扉がプラスチック爆弾(C4)で吹き飛ばされた。
白煙と粉塵が舞う中、レーザーサイトの赤い光線が何本も部屋の中へとなだれ込んでくる。
「Go! Go! Go! ターゲットを排除しろ!」
アメリカの私兵たちが、天皇陛下が治めるこの国の首都で、我が物顔で銃爪を引く。
その光景に、ミコの瞳に冷酷な怒りの火が点った。
「ここは神の国よ。……土足で踏み込むな、毛唐ども」
舞い散る白煙を隠れ蓑に、黒いライダースジャケットの影が、完全武装の特殊部隊の死角へと疾風のごとく飛び込んでいった。




