第5話 神域の協力者(前編)
J-イージスが完全に日本の手へと「独立」を果たしてから数日。
日米の政府間では極秘裏に熾烈な駆け引きが続いていたが、表向きのニュースは人気アイドルのスキャンダルばかりを垂れ流し、国民は自国の防衛システムに起きた異常事態に何一つ気づいていなかった。
秋葉原のアジトで、ロキは次なる標的の調査に行き詰まりを感じていた。
北海道の水源地や、沖縄の自衛隊基地周辺の広大な土地を次々と買い漁っている中国系巨大ファンド『紅龍資本』。
その資金源と裏帳簿を暴こうとしたのだが、重要なデータはサイバー空間には存在しなかった。彼らはハッキングを警戒し、最終的な決済記録や政治家への裏金の証拠を、完全にネットワークから切り離された物理サーバーと、紙の帳簿で管理していたのだ。
「……物理的な壁か。厄介だな」
ロキがキーボードから手を離し、ため息をついたその時だった。
絶対に外部からアクセスできないはずの、彼のサブモニターが突如として明滅した。
『――ヤタガラスには、休むための止まり木が必要でしょう?』
黒い背景に、白抜きで表示されたたった一文のメッセージ。
ロキは瞬時に全身の筋肉を硬直させ、逆探知のプログラムを走らせた。しかし、痕跡はゼロ。IPアドレスの偽装すらない。まるで幽霊が直接モニターに書き込んだかのようだった。
「誰だ……?」
『今夜午前零時。神田明神の裏手で待つ。手土産はあるわ』
メッセージは数秒で自己消去され、モニターは元の静寂を取り戻した。罠の可能性は極めて高い。しかし、相手の技術力は本物であり、何より「ヤタガラス」というロキの自律型プログラムの名称を知っている時点で、只者ではない。
「……上等だ。乗ってやる」
深夜の神田明神。
参拝客の姿はとうに消え、朱塗りの社殿が静かな月光に照らされていた。冷たい夜風が吹き抜ける中、ロキは警戒を怠らずに指定された裏手へと足を踏み入れた。
「時間通りね。優秀なハッカーは時間を守らないものだと思っていたけれど」
暗がりから、澄んだ凛とした声が響いた。
石畳の上に立っていたのは、一人の若い女だった。年齢はロキと同じか、少し下くらいだろう。黒髪を後ろで無造作に束ね、動きやすい黒のライダースジャケットに身を包んでいる。しかし、その立ち姿には、武道に通じるような一本の揺るぎない「芯」があった。
「お前が俺のシステムに侵入したのか?」
「侵入じゃないわ。あなたが張っていた防壁の『隙間』に、手紙を置かせてもらっただけ」
女は静かに微笑み、ロキの鋭い視線を正面から受け止めた。
「初めまして、ロキ。私のコードネームは『ミコ』。巫女の、ミコよ」
「ふざけた名前だ。何者だ、お前は」
ロキがポケットの中でスタンガンのスイッチに指をかけると、ミコは両手を軽く挙げて敵意がないことを示した。そして、ジャケットの内ポケットから黒いUSBメモリを取り出し、ロキに向かって放り投げた。
反射的に受け取ったロキに、ミコは告げる。
「紅龍資本の東京支社。そこの地下金庫にあるオフライン端末から、私が直接引っこ抜いてきた『裏帳簿』の完全なコピーよ」
「……物理的に潜入したのか? あの厳重な警備を抜けて?」
「サイバー空間の神様でも、現実の分厚い鉄扉や、オフラインの金庫はハッキングできないでしょう? だから、私が足を使って取ってきたのよ」
ミコは悪びれもせず、さらりと言ってのけた。
ロキの目は驚愕に見開かれていた。どれほど高度なハッキング技術があっても、物理的な制約には勝てない。それが彼の唯一の弱点だった。彼女は、そこを完全に補完してみせたのだ。
「なぜ、俺にこれを渡す?」
ロキの問いに、ミコの表情から微かな笑みが消え、刃のように冷たく、そして熱い光を帯びた。
「私の一族は、古くから皇室の影として仕え、この国を裏から守ってきた。……でも、今の日本はどう? アメリカの顔色をうかがい、中国の資本に国土を売り渡している。政治家も官僚も、国を売ることしか考えていない」
ミコは一歩、ロキへと近づいた。
「この美しい神の国が、穢されていくのを黙って見てはいられないの。天皇陛下の祈りが届くこの国を、本当の独立国にするために……あなたの力が必要なのよ、ロキ」
彼女の瞳の奥に宿る強烈な愛国心と、現状への激しい憤り。それは、ロキが心の奥底に抱え続けてきた孤独な炎と、完全に同じ色をしていた。
「……ミコ、と言ったな」
ロキは手の中のUSBメモリを強く握りしめ、ふっと口角を上げた。
「手土産の検証が先だ。これが本物なら、お前の『止まり木』、使わせてもらう」
サイバー空間を支配する天才ハッカーと、現実世界を暗躍する美しき潜入のプロ。
この夜、アメリカと中国、そして売国奴たちを震え上がらせる最凶の「矛」と「盾」が、神域の暗がりで静かに結託した。




