第27話 狂信の牙
屋根裏の暗がりから、ミコは獲物を狙う鷹のように静かに降下した。
ワイヤーをするすると伸ばし、数百人の狂信者たちがひれ伏している最後尾――祭壇の真裏にある木箱の影へと、羽を休めるように音もなく着地する。
数十メートル先では、ローブ姿の指導者がマイクを握りしめ、唾を飛ばしながら「異教徒殲滅」の聖戦を叫び続けている。熱狂に包まれたフロアの空気は異常に淀んでおり、誰一人として背後に死神が舞い降りたことに気づいていない。
「……着いたわ」
ミコは木箱の影から腕を伸ばし、祭壇の裏側に置かれたノートパソコンの側面に、漆黒の物理ハッキングデバイスを差し込んだ。
『リンク確立。よくやった、ミコ』
イヤホンからロキの弾んだ声が響く。
『ものすごい量のデータだ。各地方都市に潜伏している工作員のリスト、武器の密輸ルート、そして……資金の出所。すべてヤタガラスが吸い上げている』
「時間はどれくらいかかるの?」
『相手の暗号化プロトコルが厄介だ。……九十秒。九十秒間、そのデバイスを抜かずに死守しろ』
「九十秒ね。カップ麺も作れないわ」
ミコが薄く笑った、その瞬間だった。
「――ん? 誰だ、そこにいるのは!」
不意に、祭壇の裏手に回ってきた大柄な男と目が合った。
武器庫である木箱から、見本用のアサルトライフルを取り出そうとした護衛の一人だ。男は、黒いライダースジャケットを着た異教徒の女が、聖なる祭壇の裏でパソコンにいじりついているのを見て、目を丸くした。
「侵入者だ! 異教徒のネズミが紛れ込んでいるぞ!」
男の怒声が、マイクを通した指導者の演説を掻き消した。
数百人の狂信者たちが一斉に振り返り、血走った目をミコへと向ける。
「捕らえろ! 唯一神への供物にしろ!」
指導者が狂ったように叫び、男たちが怒号を上げて祭壇へと殺到してくる。
「……ロキ、少し騒がしくなるわよ」
『デバイスだけは絶対に守り抜け!』
「言われるまでもないわ」
ミコはゆっくりと立ち上がり、背中の日本刀に手をかけた。
チャキッ、という冷たい金属音が、怒号の渦の中でも不思議なほど澄んで響き渡る。
先頭を走ってきた男が、錆びた鉄パイプを振り被ってミコの頭へと叩き下ろす。
「遅い」
ミコは刀を鞘からわずかに数センチだけ抜き、その鯉口で鉄パイプの軌道を弾き飛ばした。そして、すれ違いざまに鞘の先端を男のみぞおちに深々と叩き込む。
「がはッ……!」
空気を強制的に吐き出され、白目を剥いて崩れ落ちる巨体。ミコはそれを蹴り台にして跳躍し、群衆の真っ只中へと自ら飛び込んでいった。
「異端の魔女め! 殺せ!」
四方八方から刃物や鈍器が迫る。
しかし、ミコの動きは物理法則を無視しているかのように流麗だった。彼女は決して力で打ち合わない。古流武術の極意である「円の動き」で敵の力を受け流し、自身の回転力に変えていく。
刀の峰が空気を裂き、男たちの鎖骨を、膝の関節を、手首を正確に粉砕していく。
殺しはしない。だが、二度と武器を持てない体にしていく。
天皇の影として代々受け継がれてきた凄絶な武術が、狂信者たちの波を次々と床の血だまりに沈めていった。
「バカな……! たかが女一人に、我ら聖なる戦士が……!」
指導者が顔面を蒼白にして後ずさる。
「神聖な教義を、この国を侵略するための道具にするな」
ミコが群衆を蹴散らし、指導者を冷たい眼差しで射抜いた。
「ここは八百万の神々が住まう国。あなたたちのような穢れた野心で、この美しい大地を汚すことは絶対に許さない」
その背後で、パソコンの画面のプログレスバーが『100%』に到達し、緑色のランプが点灯した。
『ミコ、ダウンロード完了だ! 抜けろ!』
「じゃあね、偽りの羊たち。日本の神々の怒りを、その身に刻んでおきなさい」
ミコはパソコンからデバイスを引き抜くと同時に、懐から閃光弾を取り出し、群衆の足元へと放り投げた。
カァァァァンッ!!
数万カンデラの閃光と強烈な爆音が廃工場を包み込む。
数百人の男たちが視力と平衡感覚を奪われ、阿鼻叫喚の悲鳴を上げている間に、ミコは再びワイヤーを射出し、煙のように工場の屋根裏へと消え去っていた。
数時間後。秋葉原の地下アジト。
シャワーを浴び、着替えたミコがメインコンソールに近づくと、ロキは食い入るようにモニターのデータ群を睨みつけていた。
「見つけたわね、黒幕の正体」
ミコが温かいコーヒーをデスクに置く。
「ああ。とんでもないパンドラの箱を開けちまったかもしれないぜ」
ロキの顔には、獰猛な笑みと、深い警戒の色が入り交じっていた。
「聖国メギドの資金源。ダミー会社や暗号資産を経由して徹底的にマネーロンダリングされていたが、ヤタガラスの追跡プロトコルで大元まで遡った。……ミコ、こいつらの名前を知っているか?」
ロキが画面に表示したのは、『プロメテウス財団』という名の一つの巨大なグローバル投資ファンドのロゴだった。
「……表向きは、環境保護や難民支援を謳っている世界最大級の慈善団体ね。国連にも強い影響力を持っているはずだわ」
「その通りだ。だが、裏の顔は違う」
ロキはキーボードを叩き、財団の極秘議事録のファイルを展開した。
「彼らは『国家』という枠組みそのものを旧時代の遺物だと考えている。国境をなくし、民族を混ぜ合わせ、最終的には自分たち一握りの超富裕層が世界を一つのルールで管理する『新世界秩序』……それが彼らの目的だ」
ロキの言葉に、ミコは眉をひそめた。
「つまり、強固な主権と独自の文化を持つ『日本』は、彼らにとって最も目障りな存在だということね」
「ビンゴだ。アメリカの軍事力や、中国の武力侵略ですら日本を落とせなかった。だから奴らは、人権という『絶対に反撃されない武器』を使って、内側から国を溶かしに来た。メギドの狂信者たちは、そのための使い捨ての兵器にすぎない」
ロキはさらに別のファイルを画面に大写しにした。
そこには、日本の首都・東京の地図と、いくつもの赤い印が付けられていた。
「ミコ、悠長に構えている暇はなさそうだ。奴らが大量の武器を密輸していた理由がわかった」
「……テロの計画書?」
「『同時多発・聖戦』だ。日時は……明日の正午」
ロキが忌々しげに画面を指差す。
「明日は、都内で天皇陛下もご臨席される大規模な『国民スポーツ大会』の開会式がある。奴らは、その開会式の会場である国立競技場と、周辺のターミナル駅を同時に襲撃するつもりだ」
ミコの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「天皇陛下を……狙うというの!?」
「奴らにとって、日本の精神的支柱である天皇陛下は最大の『異端』であり『破壊目標』だ。陛下を討ち、帝都を血の海に沈めることで、日本を完全な混乱状態に陥れる。それが奴らの最終計画だ」
ミコはギリッと奥歯を噛み締め、先ほど置いたばかりの日本刀を再び手に取った。
その手は、かつてないほどの激しい怒りで震えていた。
「……絶対に許さない」
ミコの瞳に、静かだが狂気すら孕んだ殺意が宿る。
「神域を穢すだけでなく、陛下のお命まで狙うというのなら。……私は明日、鬼になるわ」
「俺もだ。帝都のすべての監視カメラと通信網を掌握して、奴らの動きを完全に封じ込めてやる。日本の『免疫力』の恐ろしさを、グローバリストの豚どもに思い知らせてやろう」
サイバー空間の神と、古流の暗殺者。
国の心臓部を守り抜くための、猶予なき防衛戦のカウントダウンが、静かに時を刻み始めた。




