第9話 帝都の空を取り戻せ(前編)
東京都・福生市。
国道16号線沿いに建つ、うらぶれたウィークリーマンションの一室。窓の隙間から望遠レンズの付いた暗視カメラが、眼下に広がる広大な敷地をじっと睨みつけている。
在日米軍司令部であり、極東におけるアメリカの軍事拠点の中枢――横田基地。
「見てみろ、ミコ。あれがこの国の歪みの象徴だ」
ノートパソコンの画面に基地の全景を映し出しながら、ロキが吐き捨てるように言った。
「首都のど真ん中に、日本の法律が一切通用しない他国の広大な領土がある。それだけじゃない。空を見上げてみろ」
ミコは窓から夜空を見上げた。星々の瞬きを遮るように、巨大な軍用輸送機が轟音を立てて離着陸を繰り返している。
「『横田空域』。東京、神奈川、埼玉、群馬……首都圏の上空にそびえ立つ、見えない巨大な壁だ。日本の民間機はここを飛ぶことが許されず、米軍の許可なしには立ち入ることすらできない。……天皇陛下がおわす皇居の空すら、アメリカの軍用機が我が物顔で見下ろして飛んでいるんだ」
ロキの言葉に、ミコの顔に静かな怒りが走る。
彼女の一族にとって、皇居を見下ろされることは耐え難い屈辱である。先の大戦で敗れたとはいえ、八十年近くも他国に空を支配され続けている独立国など、世界中のどこを探しても存在しない。
「今日で、その屈辱に終止符を打つわ」
ミコは黒いタクティカルスーツのジッパーを引き上げながら、鋭い視線をロキに向けた。
「作戦の確認だ」
ロキはモニターに、横田基地の地下構造のブループリント(設計図)を展開した。
「奴らの基幹ネットワークは、外部のインターネットから完全に物理遮断されている。俺がどれだけ外からノックしても、扉すら見つからない。だから……」
「私が中に入って、内側から『鍵』を開ける」
ミコが手にしたのは、ロキが特注で組み上げた小型の物理ハッキングデバイス――通称『スサノオ』だった。一見するとただの黒いUSBメモリだが、軍用規格の暗号化通信を強制的にバイパスし、外部のロキと基地の心臓部を繋ぐ「不可視のトンネル」を開通させる機能を持つ。
「目指すは、基地の地下二階にある『作戦情報センター(OIC)』のメインサーバー室。そこにこのスサノオを物理的に接続してくれ。接続さえされれば、あとは俺が『ヤタガラス』を送り込み、日米密約の極秘ファイルを根こそぎ奪い取る」
「了解。警備の配置と巡回ルートは?」
「ドローンからの赤外線スキャンと、ハッキングした基地周辺の交通管制カメラのデータから、すでに割り出してある」
ロキはミコが装着したコンタクトレンズ型のウェアラブル端末に、リアルタイムのマップと敵の配置データを送信した。
「ミコ、相手は先日のような私兵じゃない。実戦経験豊富な正規の海兵隊員と、最新鋭のAI監視システムだ。一度でもアラートが鳴れば、基地全体が完全封鎖される。……死ぬなよ」
「誰に向かって言ってるの? 私たちは、神の国の影よ」
ミコはふっと微笑むと、窓枠に足をかけ、夜の闇へと音もなく身を躍らせた。
午前二時。横田基地、北側ゲート付近。
有刺鉄線が張り巡らされた高さ三メートルのフェンスには、高圧電流が流れ、数メートルおきに熱源感知カメラが設置されている。ネズミ一匹たりとも侵入を許さない、文字通りの要塞。
だが、ミコはそのフェンスからわずか数十メートルの暗がりに、まるで景色に溶け込むように同化していた。呼吸を極限まで薄くし、心拍数を下げる。古武術の「隠形」の術。
『ミコ、聞こえるか?』
骨伝導イヤホンから、ロキの抑えた声が響く。
『現在、第3セクターの熱源感知カメラを、俺が外部から送るダミー映像とループさせている。タイムリミットは三十秒。……今だ!』
「了解」
ミコは地を蹴った。
音も、風切り音すらも立てず、黒豹のようにフェンスへと肉薄する。彼女は特殊な絶縁体で作られたワイヤー付きのフックを投げ上げ、有刺鉄線の隙間に正確に引っ掛けると、腕力だけで一気に三メートルの壁を駆け上がった。
電流の流れるフェンスに触れることなく、わずかなワイヤーの支点だけで体を反転させ、基地の内側へと音もなく着地する。
『第一関門突破。そのまま地下への搬入口を目指せ。巡回兵が二名、角を曲がってくるぞ』
コンタクトレンズの視界の端に、赤い光点が二つ近づいてくるのが映る。
ミコはすぐさま巨大なコンテナの影に身を潜め、タクティカルナイフの柄に手をかけた。緊張で空気が張り詰める中、M4カービンを構えた米兵たちの足音が、すぐそこまで迫っていた。




