カチコミ
サージドは食後の水煙管を堪能していた。
食事とはいっても軽く腹に入れた程度だ。これから妓楼へと繰り出して、最近できたお気に入りの娼妓と遊ぶ。
娼妓は美しかった。西と南の血が混じりあった肌は褐色で、薄い緑の瞳は一度だけ見た海の色によく似ている。
気位の高さもなかなかのものだ。
客への愛想など知らぬとばかり、ほとんど笑わない。他人を顎で使うことに慣れている様子は、それなりの出自なのだろう。
《零落した小国の王族》という楼主の言葉も、案外嘘では無いのかもしれない。
抱いている時もほとんど声を出さないが、嫌悪と屈辱にまみれているのは想像に難くなかった。
恥辱への声にならぬ悲鳴と怨嗟。
女たちのそれが、サージドにはこの上ない喜びだった。高嶺の自尊心を土足で踏み付ける行為こそ快楽で、交合など所詮は道具に過ぎない。
いずれ営む娼館は、自分のような普通では満足できない客ばかりを集めた、高級会員制にする予定だ。
客の暗い欲望を叶えられる秘密の穴倉。成功は確実だった。金にあかせて快楽を追求した挙句、人並みでは満たされない金持ちは多い。
以前から目をつけていた《満月亭》は、あの親子がどう足掻こうが自分のものとなる。娘のソフィアは父親に似ぬなかなかの美形で、しかもサージド好みの気位の高さときている。
既に大きくなった腹はどうしようもないが、ひとまず産ませて、赤子はどこかに売り払えばいい。そして身体が癒えた頃に、好きなだけしゃぶり尽くす。
あの女が目に涙を浮かべ、無言で陵辱に耐え忍ぶ姿を、是非とも拝みたいものだった。
こんな自分の性質を、先代のサダムは蛇のようだと言って嫌っていたものだ。しかしあからさまに嫌悪しても、冷遇されることはなかった。
冷酷で用心深い男だったが、優れた嗅覚を備えていて、自分に益になるか否かを鋭く嗅ぎ分ける。
益になると判断すれば、たとえ嫌いな相手でも重用したし、諫言に耳を傾けるくらいの度量は備えていた。
サダムが急死し、カガンが跡目を継いだ時、己の進退については全く心配していなかった。サダムのお気に入りが粛清されても、自分は大丈夫だという自信があった。
サダムが認めていた商才を、カガンは失いたくないだろうから。サージドはハマムと茶館、料理屋をいくつか営んでいたが、それのどれもが繁盛し、大きな利益を上げていた。
もちろん、《蠍》の後ろ盾があったのは大きい。しかしカガンや他のものではこうは行かないだろう。
なぜならサージドもサダム同様、優れた嗅覚の持ち主であり、人がなにを望み、望まないのかを鋭敏に嗅ぎ分けたからだ。
浮き沈みの激しいミッテの繁華街で、ここまで生き残れたのは彼一人の才覚である。
荒事は苦手だ。腕っ節にも自信はない。しかし腕のいい用心棒を雇えば、大抵のことはなんとかなる。
大金を積めば、一騎当千の猛者を雇うことが出来るのが、このミッテという場所でもあった。
さてそろそろ出かけるか。
サージドは手を叩いて身支度をさせる下女を呼んだ。しかし、姿を見せたのは手下のユースフだ。つねに冷静沈着で、感情を顕にせぬ男だったが、表情にかなりの動揺が見て取れた。
「なんだ、厄介ごとか」
「お出かけになるところ申し訳ありません。お急ぎで、二つ、お耳に入れたいことが」
「手短に言え」
「市場でヘルマンをシバいていたゴーダが、腕を折ったそうです。本人は熱を出して話せる状態ではありませんが、一緒にいたハムが一部始終を見ておりました」
「誰にやられた」
「それがよく分からないそうです」
「分からない?」
「ヘルマンをシバいていたら、旅行者らしい男が仲裁に入ったそうで。いかにもなよっちい野郎だったのでムカついて殴って、気がついたら腕が折れていたとか」
「ふん。で、もうひとつは」
「カチコミです。表の店に二人。妙な言葉遣いの女と、金魚のフンみたいにくっついてきた若い男が」
女……?
サージドの脳裏に過ぎったのは、珠璃と名乗った女剣士の顔だった。女にしては目付きが鋭く、身体つきは小柄で、一見うら若き少年にも見える。
その女がひと月ほど前、つれの男とここを訪ねて来たのは、ある奴隷商人のことを探るためだった。
白海の幇会、黒龍からの紹介とあれば、会わぬ訳にもいかない。
奴隷商人と、彼が連れ去った少年を探しているとの事だった。手には一枚の人相書き。
なんとしてでも彼を探さねばならない――。
差し出されたそれに描かれていたのは、いかにも育ちの良さげな顔立ちの、東方人の少年だった。
印象的なのはその両目が……。
「いかが致しましょう」
そう尋ねられ、我に返ったサージドは苦い表情を作った。
「先生はどうした」
「ちょうど出かけておりまして」
またか。腕はいいのだが、サボり癖が玉に瑕なのだ。いや肝心な時にいないのでは、それどころでは無い。
「で、表はどうなってる?」
「こちらは穏便に話そうとしたのですがね、女の方が血の気が多くて、しかもえらくめっぽう腕がたつ。おかげで店はひどい有様ですよ。なんでも旦那さまに是非ともお会いしたいとか」
「ほう、そんなに強いのか」
「気になるのでしたら、ご自分の目でお確かめになられては。女はなかなかの美形ですよ。着ているものは、ずいぶんと古臭いですが」
なかなかの美形――。
その言葉にサージドの食指が動いた。髭を撫で付け、ユースフの背後にいた老女に
「出かけるのはやめだ。妓楼にそう使いを出せ」
そう言い捨てて部屋を出る。
かつて貴族の邸宅だった屋敷は、玄関を中心に、表通りと裏側に分かれていた。表通り側は大広間で直接通りと繋がっている。
ここを改装して開いた茶館は大当たりで、特に王都からの観光客がよく訪ねてきた。
勢を尽くした異国風の内装は評判がよく、椅子や木卓、茶器にもこだわり、この街では貴重な生花を惜しみなく飾った。
しかしそれが――。
惨憺たる室内をざっと見渡した。
割れた茶器は五十以上。破砕された木卓と椅子が二十脚ほど。床には手下が全員伸びているが、命はあるらしく苦痛に呻いていた。
その体たらくを見下ろしながら、卓に腰かけ、のんびりと酒杯を傾ける女が一人。
たしかに息をのむほど美しい。
濡れたような黒髪と、切れ長の瞳。しかし、その瞳は明るい琥珀色で、光の加減で金色にも見えた。この辺りだと《狼の目》と言われて嫌われている色だ。
しかし、だ――。
ユースフの言葉どおり、着ているものがずいぶんと古臭い。今どき漢服など、古物の掛け軸か、芝居小屋でしかお目にかからないだろう。
おまけに後ろ髪を高く結って、かんざしを刺している。おそらく銀細工だろう。紅玉の花が飾られているところを見ると、かなりの値打ちもののようだ。
「ほう、お主がサージドか。意外と若いのだな。この酒は実にいい。」
隣にいるのは側仕えの下男だろうか。
いかにも小物らしく、悠然と構える女の横で慌てふためいていた。
こちらは女とは違い、格好だけはまともだ。流行のえりの高い長袍をまとっているが、ずいぶんと着古してくたびれている。
着物の一枚も新調してくれないのだろう、ずいぶんとこき使われているようだ。
しかし、この男の顔をどこかで見たことがあるような気がした。いったいいつ何処でなのか、記憶から抜け落ちている。
「ばく……じゃない、あ、藍璃さま……少しどころか、派手に暴れすぎですよ」
「なに、どうせなら派手な方が妾の好みじゃ。それで館の主も顔を見せてくれた。全て妾の読み通りよ。なあそう思わんか、サージド殿」
「そのお考えには同意しかねますな」
髭を撫でつけ、サージドは一歩前へと進み出た。
「私は紹介状のない相手とは、会わない主義です。時間がもったいない。時は金なりという言葉をご存知でしょう。
私があなた方の狼藉でここにいる間も、私の時間は無駄に消費させられている。おまけに店をめちゃくちゃにされ、この損害も甚大ですよ」
「ならば無駄な前置きも嫌いじゃろう。本題に入らせてもらうがよろしいか」
「ご自由に」
「用件は《満月亭》の借金ことじゃ。実は妾はある者の代理人での。依頼人があの《満月亭》をたいそう気に入り、買い取ったのち、宿を経営したいと申しておる。しかし聞けばカガン殿に莫大な借金があるとか」
女は手にした瓶を逆さにし、グラスに注ごうとする。しかしあいにくと既に空だった。つまらなさそうに肩越しへ放り投げ
「依頼人はその借金を肩代わりしたい――そう申しておるのだ。もちろん利子も含めて耳を揃えてお返しする。どうじゃ悪い話ではなかろう」
そう言って上体を逸らした。
「ほほう、それはそれは。しかし、残念ですが私の一存では決めかねますな。この件を取り仕切っているのはカガンです」
サージドは両手を大きく広げて見せた。
「彼はあの場所で営む予定の宿に、たいそう期待していましてね。まさに金の卵を産むニワトリだと思っている」
「なるほど。借金で返す額などはした金か。しかしあの宿はそこまで大きくはない。建物自体もかなり傷みが目立つの。
金の卵を産むなどとは妄想で、ただの年老いた、卵も産めぬめんどりではないのか」
「いやいや心配いただき恐縮ですが、あの周辺の土地と建物は、既にこちらのものとなっておりましてね。あのボロ宿は取り壊し、新しく大きなものを立てる予定です」
「なるほど、これでは交渉の余地はないのお」
さも不快そうに顔をしかめて、女は天井を仰いだ。
「妾はあくまで代理人だからのお。ここまで付け入る隙がないのでは、しっぽを巻いて帰るしかあるまい、そうじゃろ」
卓上であぐらをかいて、吐息とともに従者らしき男を見下ろした。
「ですが藍璃さま、それでは……」
「なに、打つ手などいくらでも考えるわ。今回はほんの様子見よ。サージド殿、邪魔をしたな」
軽やかに立ち上がると、木卓を蹴ってふわりと舞い上がり、床に足をつけた。まるで身体の重みを感じさせない。かなりの功夫を積んだと見える。
「あなたが壊されたものの弁償は、どちらに請求すればよろしいので」
「なに、いずれまた来る。それまでに……」
女が言いかけたそのとき。
慌ただしい足音がして一人の男が飛び込んできた。たしかゴーダがいつも連れ歩いている三下で、名前はたしか、ハムといったか。
「サージドさま! 大変です! あ、兄貴が!」
周囲の視線がいっせいに三下に集まった。
「おい、いまだんな様は取り込み中だ。分からないのか」
ユースフが胸ぐらをつかみ、この場からつまみ出そうとする。しかし三下の視線はユースフではなくその向こうに注がれ、たちまち恐怖のそれに変わった。
「あ、あいつです! 兄貴が、あいつを殴ったら、急に腕を抱え始めて!」
三下の指さした方には例の従者がいた。とてもバツの悪そうな表情で、サージドへと顔を向ける。
「お、お前、兄貴に何をしたんだよ。兄貴の腕、骨がばらばらになって、医者が頭抱えてたぜ。どうやったらこんなふうになるのか、さっぱり分からねえって」
サージドはそこでようやく、従者の顔を凝視した。そうだ、どこかで見たことがあったような気がしたのは――。
光の加減で気が付かなかったが、特徴的な青い目は間違いなく……。
「だんな様、あの男、人相書きの」
サージドは答える代わりに、手のひらをユースフの顔の横で振った。
「騒がせたな。妾たちはこれで暇する。なに近々、また会えるだろうよ」
踵を返した女に
「いえいえ、ここでお返ししては、私の方がかえってあなた様がたに申し訳ないというもの。せっかくご足労いただいたのですから、もてなすくらいはさせてください」
態度を豹変させ、サージドは笑顔で両手を広げてみせた。
「奥の方に賓客用の個室があります。どうかそこで、話を伺いたいものです。ユースフ、料理人に言って、客が来たと伝えなさい。この方たちは、私の大切な友人なのですから」




