表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
75/76

カチコミ

 サージドは食後の水煙管を堪能していた。

 食事とはいっても軽く腹に入れた程度だ。これから妓楼へと繰り出して、最近できたお気に入りの娼妓(おんな)と遊ぶ。


 娼妓は美しかった。西と南の血が混じりあった肌は褐色で、薄い緑の瞳は一度だけ見た海の色によく似ている。


 気位の高さもなかなかのものだ。

 客への愛想など知らぬとばかり、ほとんど笑わない。他人を顎で使うことに慣れている様子は、それなりの出自なのだろう。

《零落した小国の王族》という楼主の言葉も、案外嘘では無いのかもしれない。


 抱いている時もほとんど声を出さないが、嫌悪と屈辱にまみれているのは想像に難くなかった。


 恥辱への声にならぬ悲鳴と怨嗟。


 女たちのそれが、サージドにはこの上ない喜びだった。高嶺の自尊心を土足で踏み付ける行為こそ快楽で、交合(まぐあい)など所詮は道具に過ぎない。


 いずれ営む娼館は、自分のような普通では満足できない客ばかりを集めた、高級会員制にする予定だ。


 客の暗い欲望を叶えられる秘密の穴倉。成功は確実だった。金にあかせて快楽を追求した挙句、人並みでは満たされない金持ちは多い。


 以前から目をつけていた《満月亭》は、あの親子がどう足掻こうが自分のものとなる。娘のソフィアは父親に似ぬなかなかの美形で、しかもサージド好みの気位の高さときている。


 既に大きくなった腹はどうしようもないが、ひとまず産ませて、赤子はどこかに売り払えばいい。そして身体が癒えた頃に、好きなだけしゃぶり尽くす。

 あの女が目に涙を浮かべ、無言で陵辱に耐え忍ぶ姿を、是非とも拝みたいものだった。


 こんな自分の性質を、先代のサダムは蛇のようだと言って嫌っていたものだ。しかしあからさまに嫌悪しても、冷遇されることはなかった。


 冷酷で用心深い男だったが、優れた嗅覚を備えていて、自分に益になるか否かを鋭く嗅ぎ分ける。

 益になると判断すれば、たとえ嫌いな相手でも重用したし、諫言に耳を傾けるくらいの度量は備えていた。


 サダムが急死し、カガンが跡目を継いだ時、己の進退については全く心配していなかった。サダムのお気に入りが粛清されても、自分は大丈夫だという自信があった。


 サダムが認めていた商才を、カガンは失いたくないだろうから。サージドはハマムと茶館、料理屋をいくつか営んでいたが、それのどれもが繁盛し、大きな利益を上げていた。


 もちろん、《(アクレプ)》の後ろ盾があったのは大きい。しかしカガンや他のものではこうは行かないだろう。


 なぜならサージドもサダム同様、優れた嗅覚の持ち主であり、人がなにを望み、望まないのかを鋭敏に嗅ぎ分けたからだ。

 浮き沈みの激しいミッテの繁華街で、ここまで生き残れたのは彼一人の才覚である。


 荒事は苦手だ。腕っ節にも自信はない。しかし腕のいい用心棒を雇えば、大抵のことはなんとかなる。

 大金を積めば、一騎当千の猛者を雇うことが出来るのが、このミッテという場所でもあった。


 さてそろそろ出かけるか。

 サージドは手を叩いて身支度をさせる下女を呼んだ。しかし、姿を見せたのは手下のユースフだ。つねに冷静沈着で、感情を顕にせぬ男だったが、表情にかなりの動揺が見て取れた。


「なんだ、厄介ごとか」


「お出かけになるところ申し訳ありません。お急ぎで、二つ、お耳に入れたいことが」


「手短に言え」


「市場でヘルマンをシバいていたゴーダが、腕を折ったそうです。本人は熱を出して話せる状態ではありませんが、一緒にいたハムが一部始終を見ておりました」


「誰にやられた」


「それがよく分からないそうです」


「分からない?」


「ヘルマンをシバいていたら、旅行者らしい男が仲裁に入ったそうで。いかにもなよっちい野郎だったのでムカついて殴って、気がついたら腕が折れていたとか」


「ふん。で、もうひとつは」


「カチコミです。表の店に二人。妙な言葉遣いの女と、金魚のフンみたいにくっついてきた若い男が」


 女……?


 サージドの脳裏に()ぎったのは、珠璃と名乗った女剣士の顔だった。女にしては目付きが鋭く、身体つきは小柄で、一見うら若き少年にも見える。


 その女がひと月ほど前、つれの男とここを訪ねて来たのは、ある奴隷商人のことを探るためだった。

 白海(バイハイ)の幇会、黒龍(ヘイロン)からの紹介とあれば、会わぬ訳にもいかない。

 奴隷商人と、彼が連れ去った少年を探しているとの事だった。手には一枚の人相書き。


 なんとしてでも彼を探さねばならない――。


 差し出されたそれに描かれていたのは、いかにも育ちの良さげな顔立ちの、東方人(イシュト)の少年だった。

 印象的なのはその両目が……。


「いかが致しましょう」


 そう尋ねられ、我に返ったサージドは苦い表情を作った。


「先生はどうした」


「ちょうど出かけておりまして」


 またか。腕はいいのだが、サボり癖が玉に瑕なのだ。いや肝心な時にいないのでは、それどころでは無い。


「で、表はどうなってる?」


「こちらは穏便に話そうとしたのですがね、女の方が血の気が多くて、しかもえらくめっぽう腕がたつ。おかげで店はひどい有様ですよ。なんでも旦那さまに是非ともお会いしたいとか」


「ほう、そんなに強いのか」


「気になるのでしたら、ご自分の目でお確かめになられては。女はなかなかの美形ですよ。着ているものは、ずいぶんと古臭いですが」


 なかなかの美形――。

 その言葉にサージドの食指が動いた。髭を撫で付け、ユースフの背後にいた老女に


「出かけるのはやめだ。妓楼(みせ)にそう使いを出せ」


 そう言い捨てて部屋を出る。


 かつて貴族の邸宅だった屋敷は、玄関を中心に、表通りと裏側に分かれていた。表通り側は大広間で直接通りと繋がっている。


 ここを改装して開いた茶館は大当たりで、特に王都からの観光客がよく訪ねてきた。

 勢を尽くした異国風の内装は評判がよく、椅子や木卓、茶器にもこだわり、この街では貴重な生花を惜しみなく飾った。


 しかしそれが――。


 惨憺たる室内をざっと見渡した。

 割れた茶器は五十以上。破砕された木卓と椅子が二十脚ほど。床には手下が全員伸びているが、命はあるらしく苦痛に呻いていた。


 その体たらくを見下ろしながら、卓に腰かけ、のんびりと酒杯を傾ける女が一人。


 たしかに息をのむほど美しい。

 濡れたような黒髪と、切れ長の瞳。しかし、その瞳は明るい琥珀色で、光の加減で金色にも見えた。この辺りだと《狼の目》と言われて嫌われている色だ。


 しかし、だ――。


 ユースフの言葉どおり、着ているものがずいぶんと古臭い。今どき漢服など、古物の掛け軸か、芝居小屋でしかお目にかからないだろう。


 おまけに後ろ髪を高く結って、かんざしを刺している。おそらく銀細工だろう。紅玉の花が飾られているところを見ると、かなりの値打ちもののようだ。


「ほう、お主がサージドか。意外と若いのだな。この酒は実にいい。」


 隣にいるのは側仕えの下男だろうか。

 いかにも小物らしく、悠然と構える女の横で慌てふためいていた。


 こちらは女とは違い、格好だけはまともだ。流行のえりの高い長袍をまとっているが、ずいぶんと着古してくたびれている。

 着物の一枚も新調してくれないのだろう、ずいぶんとこき使われているようだ。


 しかし、この男の顔をどこかで見たことがあるような気がした。いったいいつ何処でなのか、記憶から抜け落ちている。


「ばく……じゃない、あ、藍璃さま……少しどころか、派手に暴れすぎですよ」


「なに、どうせなら派手な方が妾の好みじゃ。それで館の主も顔を見せてくれた。全て妾の読み通りよ。なあそう思わんか、サージド殿」 


「そのお考えには同意しかねますな」


 髭を撫でつけ、サージドは一歩前へと進み出た。


「私は紹介状のない相手とは、会わない主義です。時間がもったいない。時は金なりという言葉をご存知でしょう。

 私があなた方の狼藉でここにいる間も、私の時間は無駄に消費させられている。おまけに店をめちゃくちゃにされ、この損害も甚大ですよ」


「ならば無駄な前置きも嫌いじゃろう。本題に入らせてもらうがよろしいか」


「ご自由に」


「用件は《満月亭》の借金ことじゃ。実は妾はある者の代理人での。依頼人があの《満月亭》をたいそう気に入り、買い取ったのち、宿を経営したいと申しておる。しかし聞けばカガン殿に莫大な借金があるとか」


 女は手にした瓶を逆さにし、グラスに注ごうとする。しかしあいにくと既に空だった。つまらなさそうに肩越しへ放り投げ


「依頼人はその借金を肩代わりしたい――そう申しておるのだ。もちろん利子も含めて耳を揃えてお返しする。どうじゃ悪い話ではなかろう」


 そう言って上体を逸らした。


「ほほう、それはそれは。しかし、残念ですが私の一存では決めかねますな。この件を取り仕切っているのはカガンです」


 サージドは両手を大きく広げて見せた。


「彼はあの場所で営む予定の宿に、たいそう期待していましてね。まさに金の卵を産むニワトリだと思っている」


「なるほど。借金で返す額などはした金か。しかしあの宿はそこまで大きくはない。建物自体もかなり傷みが目立つの。

 金の卵を産むなどとは妄想で、ただの年老いた、卵も産めぬめんどりではないのか」


「いやいや心配いただき恐縮ですが、あの周辺の土地と建物は、既にこちらのものとなっておりましてね。あのボロ宿は取り壊し、新しく大きなものを立てる予定です」


「なるほど、これでは交渉の余地はないのお」


 さも不快そうに顔をしかめて、女は天井を仰いだ。


「妾はあくまで代理人だからのお。ここまで付け入る隙がないのでは、しっぽを巻いて帰るしかあるまい、そうじゃろ」


 卓上であぐらをかいて、吐息とともに従者らしき男を見下ろした。


「ですが藍璃さま、それでは……」


「なに、打つ手などいくらでも考えるわ。今回はほんの様子見よ。サージド殿、邪魔をしたな」


 軽やかに立ち上がると、木卓を蹴ってふわりと舞い上がり、床に足をつけた。まるで身体の重みを感じさせない。かなりの功夫(コンフー)を積んだと見える。


「あなたが壊されたものの弁償は、どちらに請求すればよろしいので」


「なに、いずれまた来る。それまでに……」


 女が言いかけたそのとき。


 慌ただしい足音がして一人の男が飛び込んできた。たしかゴーダがいつも連れ歩いている三下で、名前はたしか、ハムといったか。


「サージドさま! 大変です! あ、兄貴が!」


 周囲の視線がいっせいに三下に集まった。


「おい、いまだんな様は取り込み中だ。分からないのか」


 ユースフが胸ぐらをつかみ、この場からつまみ出そうとする。しかし三下の視線はユースフではなくその向こうに注がれ、たちまち恐怖のそれに変わった。


「あ、あいつです! 兄貴が、あいつを殴ったら、急に腕を抱え始めて!」


 三下の指さした方には例の従者がいた。とてもバツの悪そうな表情で、サージドへと顔を向ける。


「お、お前、兄貴に何をしたんだよ。兄貴の腕、骨がばらばらになって、医者が頭抱えてたぜ。どうやったらこんなふうになるのか、さっぱり分からねえって」


 サージドはそこでようやく、従者の顔を凝視した。そうだ、どこかで見たことがあったような気がしたのは――。


 光の加減で気が付かなかったが、特徴的な青い目は間違いなく……。


「だんな様、あの男、人相書きの」


 サージドは答える代わりに、手のひらをユースフの顔の横で振った。


「騒がせたな。妾たちはこれで(いとま)する。なに近々、また会えるだろうよ」


 踵を返した女に


「いえいえ、ここでお返ししては、私の方がかえってあなた様がたに申し訳ないというもの。せっかくご足労いただいたのですから、もてなすくらいはさせてください」


 態度を豹変させ、サージドは笑顔で両手を広げてみせた。


「奥の方に賓客用の個室があります。どうかそこで、話を伺いたいものです。ユースフ、料理人(タッバーフ)に言って、客が来たと伝えなさい。この方たちは、私の大切な友人なのですから」 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ