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ヘルマンたちの事情(上)

 ヘルマンが一行を案内したのは小さな宿屋であった。立地は悪くない。小さな通りに面しているとはいえ、近くには大きな浴場(ハマム)があるせいで人通りは多かった。


 それなのに。

 宿屋には客一人おらず、なんとも寒々しい空気が漂っている。出迎えた若い娘はヘルマンとトーマたちを見て、


「お父さん?」


 大きくなった腹部を庇うように歩いてきた。トーマに妊婦のことは分からないが、そろそろ出産が近いのではないか。


 浅黒い肌に黒目がちの瞳が美しい。父親にまるで似ていなかった。ベールを被っていないので、拝火教徒ではないのだろう。


「ひどい怪我……。またアイツらにやられたのね。だから外に出ちゃダメって言ったのに」


「失礼ですが、あなたがヘルマンのお嬢さん?」


 エルフリーデが問いながら、顔のベールを外した。途端、不審気な表情が、みるみるうちに恐れのそれへと変わる。

 

「も……もしかして、エルフリーデさま、ですか?」

 

「そのもしかして。あなたたちには訊きたいことが山ほどあるの。でも先ずは怪我の手当てをしなくては。アディを手伝ってあげてちょうだい」



 * * *



 要するに。

 全てが《(アクレプ)》の嫌がらせなのだ。宿に客が来ないのも、ヘルマンが執拗に嫌がらせをされるのも。

 

 大きな都市の例に漏れず、ここにも宿場業の組合(ギルド)があって、案内所を運営している。つまり、宿を探している旅人に、加盟している宿を紹介し、手配するのだ。

 

 しかし。一年と半年ほど前から、そこに《(アクレプ)》からの横槍が入るようになった。彼らは案内所を恫喝し、この宿《満月亭》に客を泊めることを禁じたのである。

 

 そのために稼ぎは半減、なんとか常客で食い扶持をつなごうとするが、どだい無理な話であった。

 

「それで、連中に借金したってわけ?」

 

「違います!」 


 娘が声を上げた。自らソフィアと名乗っていたが、どう見ても二十歳そこそこだ。これが実の親子というのも、にわかには信じ難い。

 

「元々、お金を借りたのはもっと前で……。借りたのもカガンじゃなくて、ラーイドさまです」

 

「どういうこと? ラーイドへの借金を、《(アクレプ)》の手下が取り立てているということかしら」

 

「悔しいけどそうなります。元々ここ辺りは、ラーイドさまのシマでした。でもあの方は、評判通りの、昔気質の侠気を重んじる方。手下たちにも、堅気のものには決して迷惑をかけるなと、きつく言っていたのです。それなのに……」

 

 娘は心底悔しそうに言った。

 二年前、ちょうど国境戦終結のゴタゴタでミッテが混乱していた頃。ラーイドが倒れ、辛うじて命は取り留めたものの、半身に麻痺が残ってしまった。

 

 代わりに《(シャヒーン)》を取りきったのが、ラーイドの三男、ミクダムである。優秀な長男次男といつも比べられた彼は、たしかに凡庸で、しかも父には無い冷酷さを持ち合わせていた。

 

「ラーイドの長男次男は、徴兵されたんだ。残念ながら、帰ってこなかった」

 

 ボソリとアディがつぶやく。

 

「ミクダムが徴兵されてたならって、いつも思ってます。憎まれっ子世にはばかるって、本当ですね」

 

 ため息をついて、ソフィアは言葉を継いだ。

 

「ラーイドさまにお金を借りたのは、国境戦のときです。宿が軍に接収されてしまって、どこにも行くところがありませんでした。市街地封鎖のせいで、父からの仕送りも途絶えてしまって。

 

 王都にいる父を頼ろうにも、祖母は病気で、長旅は無理でしたし。でもラーイドさまが返すのはいつでもいいとお金を貸してくださって。そのお金で、ヤロバにある療養所に祖母を入れたんです。最期はそこで看取りました」

 

「ヤロバはここから西にあります。馬車だと半日くらいで行けるでしょう」

 

 クラリスがエルフリーデに耳打ちした。

 

「嘘だと思うなら療養所に尋ねてください」

 

「別に疑っていないわ。それで、つまりその時の債権が、どういう訳かミクダムによって《(アクレプ)》のカガンに譲渡されたと。そういう事ね、ヘルマン」

 

 腕を組んだエルフリーデに問いかけられ、老人は力なく頷いた。

 

「カガンが若頭から首領に成り上がって、いきなり三下連中が取り立てに来たそうです。戦争が終わって……ようやく……稼業を立て直せたころでした。

 なのにヤツら……返せねえんなら、ソフィアを娼館に売り払う、それどころか、ここを娼館に作り替えるとまで言いやがりまして。それを手紙で知らされて、あっしは悔しくて、悔しくて」

 

 シワの浮いた手で目尻を拭った。

 

「なるほど。話が見えてきた。つまり借金が返せないなら娘と宿をよこせ、それが嫌なら、私を誘拐しろ――そう言われた、ということかしら」

 

「その通りでございます」

 

 身をちじこませ、ヘルマンはうなだれた。

 

「どうか……お慈悲を。全てはこの爺がやったことでございます。娘にはなんの罪もありません」

 

「でもそれなら、お前に化けていたあの男は何者なの? 共犯よね。しかも、エレナを撃って、このトーマはそれで死にかけた。私は自分がさらわれかけたことより、その方が腹立たしいわ」

 

 エレナの名前を出した途端、ヘルマンが恐怖でおののいた。わなわなと全身を震わせ、膝から崩れ落ちる。と、同時に

 

「本当に申し訳ありません」

 

 床に座り込んだソフィアが、腹を庇うように額を地につけた。

 

「エレナさんを撃ったのは、私の夫です……。荒事なんて向いていない人なのに……私のために無理して……それでこんなことに」

 

「あー、えっと、ソフィアさんだっけ。その格好はお腹の子に悪いよ。謝罪はとりあえず、そこの椅子に座って……。いいよね、フリーデ」

 

 アディがそう言って、エルフリーデの返事も待たずにソフィアを抱き起こした。

 

「事情はどうあれ、いまは赤ちゃんのことを優先しないとね。それでキミの旦那さんは今どこにいるのかな?」

 

「分かりません。誘拐には失敗したと手紙だけよこして、あとはナシのつぶてです。生きているのかも……」

 

 両手で顔を覆うソフィアを、フリーデは冷たく見下ろした。

 

「あなたにはお気の毒だけど、私は被害者なの。エレナとトーマに怪我をさせた償いは、しっかりさせてもらうから」

 

「本当に、本当にすみません。夫がしたことは、私が償います。それでもどうか、お腹の子だけは」

 

「お嬢さま、どうかこの爺のことは、どのようなお裁きでもお受けします。この場で切り刻んでくださっても構いません。ですが、娘夫婦のことは……」

 

「いい加減にして。あなたを切り刻んでも、なにも解決しないでしょ」

 

 ひたすら謝罪を繰り返す親子を一喝し、腕を組んだまま、エルフリーデは大きく息を吐いた。

 

「正直に答えなさい。あなたに私の誘拐を命じたのは誰なの」

 

「《(アクレプ)》の若頭、サージドです。最近ここいらで大きな顔をしてるんですが、いきなりここに乗り込んできたそうです。

 あっしが公爵邸で馭者をしていることを、どこかで嗅ぎつけらしくて。それで娘夫婦に、こんな無茶ぶりを――」

 

「ふん。もちろん、そのサージドの独断ではないわよね。カガンに命じられたと考えると、いったい目的はなんなのかしら。彼に私をさらうメリットが?」

 

「それはボクも考えた。フリーデをさらえば大事だ。下手をすれば、軍隊が出てくる事態にだってなりかねない。後暗い裏稼業の連中が、それを望むとは思えないな」

 

「たしかにそれはそうですが」

 

 それまで無言だったクラリスが、口を開いた。

 

「そもそも、ヘルマンの言うことを信用なさるのですか? 天涯孤独の独り身だと言っていたのに、実は家族がいた。これだけでも、旦那さまや奥さまへの重大な背信行為だと思いますが」

 

「たしかにそうね」

 

「本当に親子かも怪しいでしょう。彼らのことはカートに任せて、我々は予定通りミッテを出発するべきです」

 

 冷たい口調に親子は肩を落として項垂れる。言っていることはもっともで、王都の警察に引き渡せばそれで済むことなのだ。

 

 傍から見ると実に非情に見えるが、実のところ、行方不明になったヘルマンのことを誰よりも気にかけていたクラリスである。

 

 それだけに裏切られたという思いも強い。ましてや、天涯孤独という身の上に同情するところも多かった。それすら嘘だったのだから、彼女が誰より腹を立てるのも無理からぬことだった。

 

「まあまあ、クラリス。気持ちはわかるけどさ、あまり追い詰めるようなことを言うもの、ね?」

 

 アディがひらひらと手を振った。

 


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