オルタ・チャルシュ
喧騒と混沌、そして熱気。
ミッテの市場に実際足を運んだものでなければ、この独特の空気は分からないであろう。
あらゆる人種と肌の色、言語がこのミッテの中心街に集まり、モザイクのようにひとつの光景を浮かび上がらせていた。
明らかに東洋系と分かる者や、エルフリーデのような白人種、御影石のような肌を持つ、南から来た赭岸の民。
髪や瞳の色もさまざまで、まさに人種と文化の見本市である。
旧王城に近い屋根付きの中央市場は、高級な品々が並ぶ、日本でいえば東京の銀座のようなところらしい。
店構えも装飾を凝り、扱う品々は宝飾品や絨毯、絹織物に陶磁器など。庶民には手の届かぬ品ばかりだ。しかしここは、店主も客も日本とはまるで違っていた。
表に飾ってある品に少しでも目を向ければ、もっと見ていかないかとしきりに誘われる。とにかく品物を売りたいという情熱がすごい。アディいわく
――ここじゃ売り込まないと生き残れないんだ。いい物を扱っているんだから、それをちゃんと伝えるのも商売のうちだからね。
とのことだ。
そして客も、いい物を少しでも安く手に入れようとする。様々な言語が飛び交うなか、人種の違うものたちが、たどたどしいカルタリアの公用語で、値段の交渉をしている。
身振り手振りを交え、双方白熱した口調なので、初めは口論でもしているのかと勘違いしたのだが、ここではあれが普通らしい。
「市場では値段交渉が当たり前なんだ。ただし、慣れていないとなかなか難しい。なにか欲しいものがあれば言ってよ。ボクが交渉するから」
胸を叩くアディが実に頼もしかった。
「そうね。明日にはカートが王都に戻るのだし、なにかお父さまとお母さまに、ひとつずつ買っていこうかしら」
エルフリーデは絹織物の店先に目を向けた。鮮やかな色合いは、王都の流行とは明らかに違うが、かえってそれが個性的に見える。
保守的な貴族たちは眉をひそめるかもしれないが、母はきっと気にしないだろう。
ギュンターにはもう少し落ち着いたポケットチーフなどどうだろう。
他にはリーゼロッテやメイソン、フラウ・マイヤーにもなにか、そんなに高価ではないものを――。
顔は黒いベールで隠しても、旅行を満喫しているのが目の輝きで分かる。そんなエルフリーデを見つめ、トーマは心から安堵した。
なにしろ出発して少しの間、ずっとなにかを考えている様子で、口数も少なかった。食欲はあったのだか、何をしていても心ここに在らずといった体である。
アディとクラリスは、ホームシックではないかと言った。
さすがに使命に臆したとは思えないが、初めて一人で王都を離れ、しかも帰れる保証のない旅である。両親が恋しくなったとしても、無理からぬことだった。
トーマとしてはただ見守ることしか出来なかったのだが、ミッテに来てから、また元の彼女にすっかり戻ってくれた。それがなにより嬉しい。
「トーマ、これどう思う?」
エルフリーデは店先にあった反物を示した。浅葱色の絹地に、銀糸で唐草模様の刺繍が施されている。どこか着物の柄を思わせて、トーマは懐かしさを覚えた。
「お母さまのドレスにどうかしら。きっとお似合いになると思うのだけど」
「いいのではないでしょうか」
「おや、それに目を止められるとは、お客さま、たいそうお目が高いですな」
濃いヒゲをたくわえた店主が、目ざとく奥からでてきた。
「こちらは出したばかりのものでして。いやはやお客さまは運がいい。
実は最近、うちの工房で紅蘭民の宮廷職人だった者たちを雇い入れましてね。東方風の生地を、今までよりお安くお出しできるようになったのですよ。
これまでは、向こうから仕入れるしか手段がありませんでしたからな」
「ふうん、アディ、これどうかしら?」
「うん、これは、どれどれ……たいそう良いものだよ。ご主人、これはいくらだい」
店主が黙って指を四本立てた。つまり、金幣四百。それを見て、アディがニヤリと笑い、二言、三言、聞いたことのない言語でなにかを伝える。
それからは店主とアディ、早口で言葉の応酬が始まった。
指を二本にしたり三本にしたり、店主は激しく首を振り、アディの方は手のひらを上に向けたかと思えば、頭の上でヒラヒラと振ったりする。
「あれはミッテでも商人たちしか使わない、独特の方言なのです。あれで値段交渉するのは、ミッテでも古くからいる商人たちと、ゲルド族くらいでしょうね」
クラリスがエルフリーデに説明した。
「言葉は分からないのに面白いわ」
「商人たちにとって値段交渉は、良い取引相手を見極めるテストでもあります。
相手も強かそうですが、アディはああ見えて百戦錬磨ですから。さて、どうなりますか」
やがて店主が両手を高くかかげ、ひとこと叫んでから満面の笑みで、アディとがっちり握手を交わす。どうやら、双方納得のいく価格にまとまったらしい。
「金幣三百と八十五で手を打つそうです」
「意外だな。あれだけ交渉して、向こうが最初に言った値段より、少し下がっただけではないか」
クラリスが呆れた顔になる。
「ははは、でもこの人は面白い話を聞かせてくれるらしい。その情報代としては決して安くはないと思うけどね」
* * *
「ささ、どうぞこちらへ。いまお茶をお入れしましょう」
接客を若いものに任せ、店主は店の奥へとトーマたちを誘った。
奥は意外と広く、応接の間として使われているらしい。真ん中に立派な木卓があり、囲むように長椅子が置かれてある。
「さて、お聞きしたいこととはその、紅蘭民から引き抜いた宮廷職人のこととか」
アディ以外の三人が、いっせいに彼女へと目を向ける。当の本人は涼しい顔で、手のひらをエルフリーデに向けた。
「実はこのお嬢さまは、紅蘭民といささか縁がありまして。現在の紫金殿の状況を詳しく知りたいそうです」
「ほほう」
店主が好奇心をあらわに目を細める。刹那、常に商機を逃さない鋭さが奥に光った。
「何故かとはお尋ねしますまい。しかし私でよろしければ、知り得た限りのことをお教えしますよ」
「宮中にいた職人を雇い入れたとのことですが」
アディがさっそく尋ねた。
「普通なら現役の、腕の良い職人が外に出ることはないはずです。それは、間違いのない話なのですか?」
「もちろんですよ。常日頃昵懇にさせていただいているお方から、頼まれたのですよ。
いまより半年ほど前、皇帝より倹約の勅令が出ましてね。華美な服装は禁止され、それゆえ、彼らもお役御免になったと」
「倹約令の話は聞いたことがありますが、まさか職人を解雇するほどとは」
アディの言葉に店主はうなずいた。
「着物だけではありません。殿中で演じられていた芝居も全て禁じられたそうで、演者たちはたいそう困り果てておるそうです」
「でも、たいそう腕の良い職人でしたら、城の外でも引く手あまたではありませんの? わざわざ国境を越えて、ミッテまで来なくても……」
エルフリーデの疑問は至極当然であるし、トーマも同感であった。しかし、店主は悲しげに顔を横に振る。
「普通ならそうでしょうな。しかし残念ながら、彼らは宦官なのです。宮中では重用されても、外では違う。
彼らの子をなせぬ身体は、不吉なものとして、民からひどく忌み嫌われております」
「それは私も聞いたことがあります」
クラリスが暗い顔で口を開いた。
「以前はシルヴァ族の居留地からも、度々、貢ぎ物として宦官を差し出していました。
しかし、彼らの多くは二度と故郷に戻れないと聞いています。年老いて、紫金殿を後にした者たちの多くが、野垂れ死ぬのだとか」
「その通りです。それ故に、職を解かれた宦官の多くがこのミッテに集まるのですよ。
ここでは宦官を忌む風習はありませんし、それが金を産む《メンドリ》なら、ここじゃ諸手を挙げて歓迎されます」
(このときトーマは気が付かなかったが、《メンドリ》とは宦官を指す隠語であった)
「なるほど、事情は分かりました。先をどうぞ」
促したエルフリーデに、店主は熱い茶を注いだ。薄荷の香りではなく、かぐわしい花の香りが辺りに満ちる。
「茉莉花茶ですよ。良いものが手に入りましてね。そうそう、その彼らから、実に面白い話を聞けました。
宮中の財政は、確かに火の車です。先代、先々代と、たいそう遊び好きの皇帝が続きましたからな。しかし、今回の倹約令は単に贅沢を禁止して、その台所事情を何とかしようって訳では、どうも無いらしいのですよ」
「では、目的が他にある?」
エルフリーデは首をかしげ、店主は茶をひと口すすった。
「これはあくまで職人たちの噂話ですがね、国境戦の敗北を受けて、皇帝は軍備の近代化を進めようとしているそうで。
そのために、カルタリアから亡命した若い技術者を迎えたのですが、たいそうな厚遇だそうですよ」
「若い技術者?」
「なにしろ、職人たちの噂話です。どこから話が漏れたのか分かりませんが、カルタリアでは知らぬものない、ある名家の生まれだそうで」
すっ。
エルフリーデが一瞬、息を止める。彼女が驚きの声を飲み込んだのが分かった。エルフリーデだけではない。クラリスも同様で、室内の空気が一気に緊張を孕んだように思える。
「クラリス、この方に金幣五百をお支払いして」
「分かりました」
立ち上がったクラリスが、懐から財布を取り出した。黄金色の百幣五枚が、クラリスから店主に支払われる。
「これは実に太っ腹ですね。今のお話が、よほどお気にいられたようで」
「ええ、とても有益でした。ありがとう。反物はあとで使いのものに取りによこさせます」
店の奥から出て、エルフリーデが深いため息をついた。
「まったく、これをフェリックスが知ったら、どんな顔をするかしら」
まだ自体がよく飲み込めないトーマだった。しかし、どうやら、カルタリアから亡命したという技術者に、心当たりがあるらしい。
「これは私の推測だけど、おそらく間違いないと思う」
エルフリーデはトーマへと向き直った。
「アンドレアスを覚えている?」
「えーっと……誰だっけ?」
「アンドレアス・ヴォルフガング・フォン・ケンペレン。私との縁談が噂されていた人」
「あ……」
そういえばそんなことがあった。しかし、彼は確か――。
「いきなり消息不明で、今も行方が分からない。でも、その紅蘭民に亡命したのが彼だとしたら、状況が飲み込めてきたわ」
「あんまり良いニュースでは無いけどね」
アディが肩をすくめた。
「フリーデの推測が正しいなら、皇帝はおそらく、魔導装甲の開発に着手したってことさ。どうやら、いろいろときな臭くなってきたな」




